ナメたらいかんぜよ
2008年8月21日(木) くもり
きょうは迷うことなく、朝からストーブをつけた。
あったけ〜。
火は偉大である。
ちなみに、<Kussharo Factory>のフレンドリープレイス・阿寒湖アイヌ部落では8月末まで、「北の大地にアツい風が吹く」ということで、アイヌ古式舞踊と琉球太鼓奏者によるコラボレーションステージが繰り広げられている。
しかも、屋外で。
こんな寒い夜も?
ええ、実施されているそうです。
「北の大地に寒い風が吹く」
「北の大地は寒くてカゼをひく」…みたい。
アツいステージを「耐寒」だな。
体感予定のある方は、あったかい格好でおでかけくださいますよう。
なになに?
明日の朝は北海道の広い地域で低音注意報が出ている。
「農作物にはご注意ください」だと。
ヤバい。
アイコ(フルーツトマト)と福(中長ナス)が危険じゃ!
きょうは迷うことなく、朝からストーブをつけた。
あったけ〜。
火は偉大である。
ちなみに、<Kussharo Factory>のフレンドリープレイス・阿寒湖アイヌ部落では8月末まで、「北の大地にアツい風が吹く」ということで、アイヌ古式舞踊と琉球太鼓奏者によるコラボレーションステージが繰り広げられている。
しかも、屋外で。
こんな寒い夜も?
ええ、実施されているそうです。
「北の大地に寒い風が吹く」
「北の大地は寒くてカゼをひく」…みたい。
アツいステージを「耐寒」だな。
体感予定のある方は、あったかい格好でおでかけくださいますよう。
なになに?
明日の朝は北海道の広い地域で低音注意報が出ている。
「農作物にはご注意ください」だと。
ヤバい。
アイコ(フルーツトマト)と福(中長ナス)が危険じゃ!
マリモとぬか床の共通点とは
2008年7月27日(日) 晴れ!
♪ピリカ ピリカ タント シリ ピリカ♪
昨晩は、今月に入って初めてじゃないかい?ってぐらい美しい満天の星空であった。
でもって今朝は放射冷却でけっこう冷え込んだ。
ゆえに日中はもンのすごい青空が広がった。久しぶりじゃ。
<Kussharo Factory>の洗濯担当はうれしくなって2回も洗濯機を動かした。天日で乾かせるのはありがたいことである。
<Kussharo Factory>のフレンドリー・プレイス阿寒湖アイヌコタンへ行ってみると−。
いつもは民芸品店の照明が灯されていて、こんなカンジの部落が

およっ!? 真っ暗である。まさか部落閉鎖か? と思いきや、今晩は「ガイヤナイト」なんだと。
脚本家の倉本聰氏が命名したガイヤとは、ギリシャ神話に登場する大地の女神で、闇が半日を覆う本来の地球を認識するためにも、「たまには電気を消してローソクの灯りで過ごしてみよう」という夜なのだ。お客さまもタイマツを掲げてアイヌコタンを出発し、湖岸まで行進。

実際に倉本氏も来られていて、セレモニーも行われた。
ところで。
阿寒湖といえばマリモ。マリモといえば阿寒湖っちゅーぐらい両者は切っても切れない関係である。
そんな「マリモ」とは、「鞠状の藻」のことで、日本国内でも存在する湖はいくつかある。しかしながら美しい鞠状でかつある程度の大きさまで成長するのは阿寒湖が一番!なので国の特別天然記念物に指定されているわけである。
阿寒湖の民芸品店ならば必ずといっていいほど売られているマリモだが、実は2種類ある。
海外か国内かはともかく、どこかの湖で実際に育ったモノが「天然マリモ」。
糸状体=バラバラ状態の藻を手で丸めて加工したモノが「アートマリモ」。
どこにも「阿寒湖で採集されたマリモ」とは謳っておりませんから、そこんところは勘違いされぬよう。
だって、特別天然記念物だもん。阿寒湖のマリモが売られるわけないっしょ。
「昔、アイヌは(阿寒湖のマリモを)自由に採れたのにねえ」
「(マリモの)たたきはうまかったなあ」
「えー、酢の物のほうがイケたっしょ」
……。
どちらもきちんと世話をすれば育ちます。ええ、育ちますとも。植物ですから。
基本的には水道水でOK。一週間に一回程度、水を替えてあげればいいそうです。
ちょうど時期的に、夏休みの自由研究にはもってこいですぜ。そもそも1年に1〜5ミリほどの成長だそうだから、観察日記をつけるのにラクだあねえ。
「暑い時期、ある程度の日数で家を空ける場合に限っては冷蔵庫に入れてあげてください」という店員の説明を聞いた女性客が即答していた。
「まあ、ぬか床と同じだね。あたしもいま冷蔵庫に(ぬか床を)入れてこっちに来てるの」
♪ピリカ ピリカ タント シリ ピリカ♪
昨晩は、今月に入って初めてじゃないかい?ってぐらい美しい満天の星空であった。
でもって今朝は放射冷却でけっこう冷え込んだ。
ゆえに日中はもンのすごい青空が広がった。久しぶりじゃ。
<Kussharo Factory>の洗濯担当はうれしくなって2回も洗濯機を動かした。天日で乾かせるのはありがたいことである。
<Kussharo Factory>のフレンドリー・プレイス阿寒湖アイヌコタンへ行ってみると−。
いつもは民芸品店の照明が灯されていて、こんなカンジの部落が

およっ!? 真っ暗である。まさか部落閉鎖か? と思いきや、今晩は「ガイヤナイト」なんだと。
脚本家の倉本聰氏が命名したガイヤとは、ギリシャ神話に登場する大地の女神で、闇が半日を覆う本来の地球を認識するためにも、「たまには電気を消してローソクの灯りで過ごしてみよう」という夜なのだ。お客さまもタイマツを掲げてアイヌコタンを出発し、湖岸まで行進。

実際に倉本氏も来られていて、セレモニーも行われた。
ところで。
阿寒湖といえばマリモ。マリモといえば阿寒湖っちゅーぐらい両者は切っても切れない関係である。
そんな「マリモ」とは、「鞠状の藻」のことで、日本国内でも存在する湖はいくつかある。しかしながら美しい鞠状でかつある程度の大きさまで成長するのは阿寒湖が一番!なので国の特別天然記念物に指定されているわけである。
阿寒湖の民芸品店ならば必ずといっていいほど売られているマリモだが、実は2種類ある。
海外か国内かはともかく、どこかの湖で実際に育ったモノが「天然マリモ」。
糸状体=バラバラ状態の藻を手で丸めて加工したモノが「アートマリモ」。
どこにも「阿寒湖で採集されたマリモ」とは謳っておりませんから、そこんところは勘違いされぬよう。
だって、特別天然記念物だもん。阿寒湖のマリモが売られるわけないっしょ。
「昔、アイヌは(阿寒湖のマリモを)自由に採れたのにねえ」
「(マリモの)たたきはうまかったなあ」
「えー、酢の物のほうがイケたっしょ」
……。
どちらもきちんと世話をすれば育ちます。ええ、育ちますとも。植物ですから。
基本的には水道水でOK。一週間に一回程度、水を替えてあげればいいそうです。
ちょうど時期的に、夏休みの自由研究にはもってこいですぜ。そもそも1年に1〜5ミリほどの成長だそうだから、観察日記をつけるのにラクだあねえ。
「暑い時期、ある程度の日数で家を空ける場合に限っては冷蔵庫に入れてあげてください」という店員の説明を聞いた女性客が即答していた。
「まあ、ぬか床と同じだね。あたしもいま冷蔵庫に(ぬか床を)入れてこっちに来てるの」
隣の湖畔にて
2008年7月3日(木) 晴れ のち くもり 夜は雨
新しい月となり、今年も残すところあと半年。折り返しである。
アイヌの文化伝承者・故山本多助エカシ曰く、7月は“女性もよく働く月”だそうで。
女性でも男性でも働きますよ。働きますとも。
こう何から何まで値上がりされたら、働けど働けど追いつかんぞ。
追いつかんどころか、逆に後ろから煽られた挙句、気がついたら周回遅れ?…みたいな。
まあ、それならそれでかえって潔くきっぱりさっぱりあきらめもつくってもんだ。
はああああ。ガソリン1ℓ=180円…。
そんな重苦しい気分に浸りつつ、フレンドリー・プレイス阿寒湖アイヌ部落へ行ったらブッ飛んだ。
な、なんだ? なにが起きてるんでいっ!?

それは、琉球太鼓奏者とアイヌ古式舞踊のコラボレーションであった。
はああああ。そうですかい。
寝た子も起きる…ってゆーか、寝ようと思っても寝られんわな、こりゃ。うーむ。
8月いっぱい毎晩行われるそうです、ハイ。
本格的な観光シーズンを迎え、いろんなモノやコトやヒトが動き始めている。
どうせ同じ時間が流れるのなら、つまらんよりは楽しいほうがいいもんだ。
で。
楽しく過ごすための新しいとっておき情報。
阿寒湖アイヌ部落に棲息する、ちと変わった生物もとい人物(まっ、どっちでもいいのだが)=<Kussharo Factory>のゆかいな仲間のひとり、Gちゃんがこのたびブログを開設したそうな。
数日前、<Kussharo Factory>のスタッフが阿寒湖アイヌ部落で道東観光の活性化を図るべく活動に勤しんでいると、いつものようにスリスリスリと近づいてくるのであった。
G:「お願いがありまして」
KF:「やだ」
G:「じゃあ、言わない」
KF:「言いたいくせに」
G:「聞きたいくせに」
KF:「しょうがない。聞いてあげるから言ってみな」
なんでもリンクを貼ってくださるそうな(急に態度が軟化)。
G:「ただし若干の問題がありまして…」
KF:「なにっ?」
G:「苦労して書いた初ブログがアドレスやらタイトルやらをストレートにそのまま入力して検索しても引っかからないンすよ」
…そりゃあ、この世に存在していないってことだべさ。
G:「いや、どこか地球の片隅に残っていると思う」
ふうん。往生際の悪いヤツめ。
とはいえ、<Kussharo Factory>も人が好いので連日のように検索を試みていたら、やっと引っかかるようになったのでお知らせしておきます。
http://poronno.blog43.fc2.com/?no=2
ちなみに先日。
このGちゃん(手前右のエゾシカ肉提供)とガイドのGくん(手前左のカキ提供)と民芸品店2代目のKくん(その他の肉提供)とで焼肉パーティーを開催。

だから宣伝したわけではないぞ!?
新しい月となり、今年も残すところあと半年。折り返しである。
アイヌの文化伝承者・故山本多助エカシ曰く、7月は“女性もよく働く月”だそうで。
女性でも男性でも働きますよ。働きますとも。
こう何から何まで値上がりされたら、働けど働けど追いつかんぞ。
追いつかんどころか、逆に後ろから煽られた挙句、気がついたら周回遅れ?…みたいな。
まあ、それならそれでかえって潔くきっぱりさっぱりあきらめもつくってもんだ。
はああああ。ガソリン1ℓ=180円…。
そんな重苦しい気分に浸りつつ、フレンドリー・プレイス阿寒湖アイヌ部落へ行ったらブッ飛んだ。
な、なんだ? なにが起きてるんでいっ!?

それは、琉球太鼓奏者とアイヌ古式舞踊のコラボレーションであった。
はああああ。そうですかい。
寝た子も起きる…ってゆーか、寝ようと思っても寝られんわな、こりゃ。うーむ。
8月いっぱい毎晩行われるそうです、ハイ。
本格的な観光シーズンを迎え、いろんなモノやコトやヒトが動き始めている。
どうせ同じ時間が流れるのなら、つまらんよりは楽しいほうがいいもんだ。
で。
楽しく過ごすための新しいとっておき情報。
阿寒湖アイヌ部落に棲息する、ちと変わった生物もとい人物(まっ、どっちでもいいのだが)=<Kussharo Factory>のゆかいな仲間のひとり、Gちゃんがこのたびブログを開設したそうな。
数日前、<Kussharo Factory>のスタッフが阿寒湖アイヌ部落で道東観光の活性化を図るべく活動に勤しんでいると、いつものようにスリスリスリと近づいてくるのであった。
G:「お願いがありまして」
KF:「やだ」
G:「じゃあ、言わない」
KF:「言いたいくせに」
G:「聞きたいくせに」
KF:「しょうがない。聞いてあげるから言ってみな」
なんでもリンクを貼ってくださるそうな(急に態度が軟化)。
G:「ただし若干の問題がありまして…」
KF:「なにっ?」
G:「苦労して書いた初ブログがアドレスやらタイトルやらをストレートにそのまま入力して検索しても引っかからないンすよ」
…そりゃあ、この世に存在していないってことだべさ。
G:「いや、どこか地球の片隅に残っていると思う」
ふうん。往生際の悪いヤツめ。
とはいえ、<Kussharo Factory>も人が好いので連日のように検索を試みていたら、やっと引っかかるようになったのでお知らせしておきます。
http://poronno.blog43.fc2.com/?no=2
ちなみに先日。
このGちゃん(手前右のエゾシカ肉提供)とガイドのGくん(手前左のカキ提供)と民芸品店2代目のKくん(その他の肉提供)とで焼肉パーティーを開催。

だから宣伝したわけではないぞ!?
視察報告・14(2月28日のできごと)ついに“しょっぱいかわ”を渡る
2008年4月14日(月) 晴れ
しつこくヒグマの足跡を見に行く。
昨日撮影したエゾシカの足の骨のすぐ横に残っていた前足跡はすでに解けてなくなってしまっていた。
車のダッシュボードの中にいつもメジャーを積んでいるのだが、昨日は興奮していたあまり、持って降りるのを忘れてしまって悔しかったのである。
せっかく持って来たのだが…。
執念深く周りを見回してみたら、斜面を滑ったと思われる近くに後ろ足だけど残っていた。

じ、18cm!?
2月28日(木)のできごと
杜の都・仙台に来たからには伊達政宗公にごあいさつせねばということで青葉城址へ。

おおーっ、兜の弦月形がりりしい。
NHK大河ドラマの「独眼竜政宗」、欠かさず見ておりましたぞ。
みぞれ降る中、15人くらいの団体が政宗公の像をバックに写真を撮っていた。
聞こえてくる声は日本語ではない。
以下、カタコト英語での会話。
「どっから来たの?」
「台湾だよ」
「歓迎光臨!」
「オウ、謝謝」
ちょっとした国際交流である。
「この犬、かわいいね」
「そうかい? ありがと」
「一緒に写真を撮ってもいい?」
「い、いいけど…!?」
そして予想外の事態に。な、なんとほぼ全員が入れ替わり立ち代わり<Kussharo Factory>の看板犬と記念撮影を始めたのである。
な、なして?????
そんなに珍しい犬種? とも思えんが。はて?
ダテ男、伊達政宗公も苦笑いされそうなチョー人気ぶりであった。
ちょっとした国際交流である。
モデル犬はかなりお疲れのご様子であった。ご苦労。
東北自動車道に乗り、サービスエリアでちょっと休憩。
牛タン串orずんだ餅か、どちらの仙台名物を食すかでしばし悩む。で、結局ずんだ餅。

ひとえに経済的理由による。
一説によると、ずんだ餅は料理好きだった正宗公が考案されたとか。
その後は一路、青森に向け走る走るひた走る。
岩手に入ると、途端に道の脇の雪の量が増え、一時、吹雪状態で路面のラインが見えなくなるくらい。にもかかわらず、なしてそんなに(ほかの車は)スピードを出せるのだ!?
5時間ほどして、やっと東北自動車道の終点、青森ICの看板が見えてきた。
長かったなあ。青森って何か見るところあるべか?
「三内丸山遺跡って、(東北自動車道から)遠いんだべか?」
ああ、どうなんだべ? 地図、見てみっかい? ってなことで後ろのシートに置いてあった地図を手元に引き寄せようとしたところで、路肩に立っていた看板が目に入った。
<三内丸山遺跡 すぐ>
いや、実際は「すぐ」じゃなくて、○kmって書いてあったんだけど忘れちまって。とにかく、すごく近かったのである。
なんてラッキーな。
延々走り続けてきた東北自動車道ともついにお別れ。

標識に導かれるまま進むと5分ほどで三内丸山遺跡に到着。青森は寒いのう。
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
縄文時代最大級の集落として、江戸時代から知られている遺跡である。
これまでに縄文時代前期から中期(約5500年前〜4000年前)の大集落跡や平安時代(約1000年前)の集落跡、中世末(約400年前)の城館跡の一部が見つかっているという。
いつの時代も、人々が住みやすい場所の条件は同じということか。
それにしても5000年以上も前に、これほど多くの竪穴住居、しかも大型から小型までタイプもさまざまに建てる技術があったというのは驚きである。建築工学上からしても理にかなっているそうだ。
また動物や魚の骨、植物の種子や花粉からは当時の実に豊かな自然環境や食生活が窺い知れるという。
遺物が花粉とわかったこと自体、すごいことだと思うのだが。
ヒスイやコハク、黒曜石は遠方との交易があったことを示しているという。漆器は専門的な技術を持った人がいたと考えられるそうだ。挙句の果てに、失敗したと思われる土器が5000年以上経った時代に公開されるなんざ、作者もフクザツな心境であろう。

屋外の遺跡やら屋内の展示室やら見て回っていたら2時間近くが経過。一気に知識を詰め込むにはこのあたりが限界じゃ。
外に出ると、青森もはや夕暮れ時。ほかに見てみたいところも特にないし、そろそろ北の大地に帰るとするか、ということで18:00に青森港を出るフェリーに乗ることにした。フェリー会社はいくつかあったが、出航時間と料金の兼ね合いによる。
青森−函館を結ぶ4時間。あー、揺れるんだろうなあ。短距離航路のフェリーなのでペットゲージは設置されておらず、<Kussharo Factory>の看板犬はマイカーの中で過ごすことになる。お約束の誓約書=「何があってもフェリー会社側としては責任とれませんぜ」って用紙にサインをする。
乗り込む車はトラックばっかり。乗用車はなんと<Kussharo Factory>の1台だけであった。最後の最後にちょこんと乗せられて搬入ゲートが閉まる。ライトアップされた青森ベイブリッジ(青森のウォーターフロントのシンボル。全長2km。すぐ近くには歩行者専用道「ラブリッジ」っちゅーのもあって、デートスポットとして人気…らしい)だけが見送ってくれた。
で、どこのフェリーでも船室っていうのは一般客室と業務用トラック運転手さんたちの専用スペースが別に設けられている。
ということで、60人収容という一般客室は<Kussharo Factory>の人間スタッフ2人だけの貸切状態。

なんだ、これなら看板犬も連れ込めたじゃないか…という邪な考えが頭をよぎらなくもなかった。
低気圧がもろ近づいていた影響で、けっこう揺れた。というか、かなり揺れた。前回<Kussharo Factory>のなんちゃって刺繍担当が経験した悪夢=外洋でも船酔いしなかったのに冬の苫小牧−敦賀という日本海航路で船酔いするという精神的ショックが大きかった出来事、のときよりも揺れたかもしれない。が、2人ともまったく酔わなかった。それどころかカップラーメンを食べ、足元が不安定にもかかわらずシャワーも浴びた。
するってえと前回の船酔いは単に体調が悪かっただけかい?
22:00、定刻どおり♪は〜るばる来たぜ函館に到着。クンクンクン。北海道のにおいだ!
しつこくヒグマの足跡を見に行く。
昨日撮影したエゾシカの足の骨のすぐ横に残っていた前足跡はすでに解けてなくなってしまっていた。
車のダッシュボードの中にいつもメジャーを積んでいるのだが、昨日は興奮していたあまり、持って降りるのを忘れてしまって悔しかったのである。
せっかく持って来たのだが…。
執念深く周りを見回してみたら、斜面を滑ったと思われる近くに後ろ足だけど残っていた。

じ、18cm!?
2月28日(木)のできごと
杜の都・仙台に来たからには伊達政宗公にごあいさつせねばということで青葉城址へ。

おおーっ、兜の弦月形がりりしい。
NHK大河ドラマの「独眼竜政宗」、欠かさず見ておりましたぞ。
みぞれ降る中、15人くらいの団体が政宗公の像をバックに写真を撮っていた。
聞こえてくる声は日本語ではない。
以下、カタコト英語での会話。
「どっから来たの?」
「台湾だよ」
「歓迎光臨!」
「オウ、謝謝」
ちょっとした国際交流である。
「この犬、かわいいね」
「そうかい? ありがと」
「一緒に写真を撮ってもいい?」
「い、いいけど…!?」
そして予想外の事態に。な、なんとほぼ全員が入れ替わり立ち代わり<Kussharo Factory>の看板犬と記念撮影を始めたのである。
な、なして?????
そんなに珍しい犬種? とも思えんが。はて?
ダテ男、伊達政宗公も苦笑いされそうなチョー人気ぶりであった。
ちょっとした国際交流である。
モデル犬はかなりお疲れのご様子であった。ご苦労。
東北自動車道に乗り、サービスエリアでちょっと休憩。
牛タン串orずんだ餅か、どちらの仙台名物を食すかでしばし悩む。で、結局ずんだ餅。

ひとえに経済的理由による。
一説によると、ずんだ餅は料理好きだった正宗公が考案されたとか。
その後は一路、青森に向け走る走るひた走る。
岩手に入ると、途端に道の脇の雪の量が増え、一時、吹雪状態で路面のラインが見えなくなるくらい。にもかかわらず、なしてそんなに(ほかの車は)スピードを出せるのだ!?
5時間ほどして、やっと東北自動車道の終点、青森ICの看板が見えてきた。
長かったなあ。青森って何か見るところあるべか?
「三内丸山遺跡って、(東北自動車道から)遠いんだべか?」
ああ、どうなんだべ? 地図、見てみっかい? ってなことで後ろのシートに置いてあった地図を手元に引き寄せようとしたところで、路肩に立っていた看板が目に入った。
<三内丸山遺跡 すぐ>
いや、実際は「すぐ」じゃなくて、○kmって書いてあったんだけど忘れちまって。とにかく、すごく近かったのである。
なんてラッキーな。
延々走り続けてきた東北自動車道ともついにお別れ。

標識に導かれるまま進むと5分ほどで三内丸山遺跡に到着。青森は寒いのう。
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
縄文時代最大級の集落として、江戸時代から知られている遺跡である。
これまでに縄文時代前期から中期(約5500年前〜4000年前)の大集落跡や平安時代(約1000年前)の集落跡、中世末(約400年前)の城館跡の一部が見つかっているという。
いつの時代も、人々が住みやすい場所の条件は同じということか。
それにしても5000年以上も前に、これほど多くの竪穴住居、しかも大型から小型までタイプもさまざまに建てる技術があったというのは驚きである。建築工学上からしても理にかなっているそうだ。
また動物や魚の骨、植物の種子や花粉からは当時の実に豊かな自然環境や食生活が窺い知れるという。
遺物が花粉とわかったこと自体、すごいことだと思うのだが。
ヒスイやコハク、黒曜石は遠方との交易があったことを示しているという。漆器は専門的な技術を持った人がいたと考えられるそうだ。挙句の果てに、失敗したと思われる土器が5000年以上経った時代に公開されるなんざ、作者もフクザツな心境であろう。

屋外の遺跡やら屋内の展示室やら見て回っていたら2時間近くが経過。一気に知識を詰め込むにはこのあたりが限界じゃ。
外に出ると、青森もはや夕暮れ時。ほかに見てみたいところも特にないし、そろそろ北の大地に帰るとするか、ということで18:00に青森港を出るフェリーに乗ることにした。フェリー会社はいくつかあったが、出航時間と料金の兼ね合いによる。
青森−函館を結ぶ4時間。あー、揺れるんだろうなあ。短距離航路のフェリーなのでペットゲージは設置されておらず、<Kussharo Factory>の看板犬はマイカーの中で過ごすことになる。お約束の誓約書=「何があってもフェリー会社側としては責任とれませんぜ」って用紙にサインをする。
乗り込む車はトラックばっかり。乗用車はなんと<Kussharo Factory>の1台だけであった。最後の最後にちょこんと乗せられて搬入ゲートが閉まる。ライトアップされた青森ベイブリッジ(青森のウォーターフロントのシンボル。全長2km。すぐ近くには歩行者専用道「ラブリッジ」っちゅーのもあって、デートスポットとして人気…らしい)だけが見送ってくれた。
で、どこのフェリーでも船室っていうのは一般客室と業務用トラック運転手さんたちの専用スペースが別に設けられている。
ということで、60人収容という一般客室は<Kussharo Factory>の人間スタッフ2人だけの貸切状態。

なんだ、これなら看板犬も連れ込めたじゃないか…という邪な考えが頭をよぎらなくもなかった。
低気圧がもろ近づいていた影響で、けっこう揺れた。というか、かなり揺れた。前回<Kussharo Factory>のなんちゃって刺繍担当が経験した悪夢=外洋でも船酔いしなかったのに冬の苫小牧−敦賀という日本海航路で船酔いするという精神的ショックが大きかった出来事、のときよりも揺れたかもしれない。が、2人ともまったく酔わなかった。それどころかカップラーメンを食べ、足元が不安定にもかかわらずシャワーも浴びた。
するってえと前回の船酔いは単に体調が悪かっただけかい?
22:00、定刻どおり♪は〜るばる来たぜ函館に到着。クンクンクン。北海道のにおいだ!
視察報告・13(2月27日のできごと)匠と世界遺産
2008年4月9日(水) くもり のち 晴れ
朝のうちはモワモワ〜ンと朝もやがかかっていたものの、昼前にはすっきりと晴れ渡った。
気持ちのいい青空を見るのは久しぶりのような気がする。
あまりに気持ちがいいので、ドライブがてら森林管理署に行った。
国有林に入るときは届出が必要なのだよ。
「雪解けでまだぬかるんでいますから、走行には気をつけてくださいね。あとゲートの鍵を開けたら必ず閉めてくださいね。…云々かんぬん」とご丁寧な注意を受ける。
任せておきなって!
おNEWの長靴も買ったし、おNEWのホイッスルも買った。
準備万端! さあ来い!
「何が?」
春。
2月27日(水)のできごと
寒い軽井沢を後にして群馬県に入る国道18号は2ルートある。
20kmくらい走ればまた1本化するのだが、要は碓氷峠をどう越えるかである。
地図を見ると、ややグニャグニャ道の中山道orかなりグニャグニャ道の碓氷バイパス、という選択。
時期が時期だけに、少しでもカーブが少なくなだらかそうな中山道コースを行くことにした。
結果的には、対向車がほとんどなく、日陰が多くて路面が凍結している下りカーブの連続。
山の中を走っているときの会話といえば、テーマはおのずと決まってくる。
「このあたり、ネギ=ギョウジャニンニクないべか?」「マイタケは?」「シイタケは?」。
どうせスピードも出せないのだ。思いっきりキョロキョロしながら走行していると…およっ!?
なんか、いいカンジの風景が目に飛び込んできた。が、車は急に停まれない。しばらく走りすぎた後、どちらからともなく「ちょっと戻ってみるかい?」ということになって、凍結した路上でUターン。慣れていない人はやってはいけませんよ。たいへん危険ですから。
国指定重要文化財 碓氷峠鉄道施設「碓氷第五橋梁」

明治26年に群馬県の横川〜軽井沢が開通し、同45年には日本初の電化になったが、この碓氷峠は交通の要衝であり難所でもあったという。平成9年に廃線となるまでの間には、土砂崩れや脱線転落事故などで少なからず犠牲者が出たようだ。
アーチ径11m、高さ8.8m。
登れるところはすぐに登ってしまう習性がある<Kussharo Factory>のスタッフである。
当然、アーチ橋の上まで行ってみた。
山間を削って敷かれた鉄道であるから、こういった橋やトンネルは数多く存在したのであろう。
先に停車していた長野ナンバーの車の運転手は結構お年を召したおじいであった。
「あんたらは若いから上まで行けてええのう。ここはいい景色じゃろ。ワシは何回かここに来とるんだ。なんでもな、またこの鉄道を通そうという話が持ち上がっているらしいぞ」。
夏草や兵どもが夢のあと−。
しばし感慨にふけった後、お礼をいっておじいと別れる。
ちょっと下った場所に、めがね橋もあったのだが、「落書きをしないでください」という看板が悲しかった。

上信越自動車道〜北関東自動車道〜東北自動車道をひた走り、宇都宮ICで降りて日光宇都宮道路へ。
いろは坂、明智平を経由して中禅寺湖に到着。
「(中禅寺湖)凍ってないなあ。もう解けちゃったのか」
「凍るんだ?」
「この間、テレビに映ってたもん」
それにしても、もンのすごい強風だ。軟弱な<Kussharo Factory>のスタッフはコーヒーを飲みながら湖を眺めることにする。

「もう、湖の氷、解けちゃったんですかい?」
「????……中禅寺湖は凍らないですよ」
おいおい。どこの湖を見たんじゃ!
駐車場に車を停め、華厳の滝を見に行く。こちらは凍ってた。

今回の視察中に見た和歌山県・那智の滝と今回は見る予定のない茨城県・袋田の滝とともに日本三大瀑布のひとつに数えられる。高さ97m。
「圧巻だねえ」
「熱燗? 飲みたい」
「…寒いもんな」
いろは坂を下り、世界文化遺産である東照宮、二荒山神社、輪王寺をサササッと見学。

観光地として名を馳せているのに、「この時期でも開いている数少ない土産物店」(泣)をのぞいてみる。
日光といえば、軽井沢に彫り物を伝えた職人が活躍した日光彫りの本場である。
なので、日光木彫りの里工芸センターにも立ち寄ってみることにした。
1634年から36年にかけて、徳川家3代将軍家光が東照宮を造り替えた際に、全国から集められた名匠が「余技」として始めたのがきっかけだという。
浮き彫り、透かし彫りなど数種類の技法があるが、日光彫りの特徴はなんといってもヒッカキと呼ばれる独特の刀を用いることだそうだ。社殿修復の際に、掻き落としにくいところに塗られた漆を除去するために、先端を曲げて手前に引く道具が考えられた。それを改良したものがこのヒッカキ刀だという。三角刀と同じような使い方をするみたいだが、三角刀といえば普通は押しながら彫るのに対し、ヒッカキは手前に引っ張りながら彫る。

少なくとも<Kussharo Factory>の彫り物担当は見たことがない道具であった。誕生秘話を知れば納得。
箪笥とか盆とかティッシュボックスとか実用品が中心。材は県の木でもあるトチやカツラが多いとのことであった。
江戸から明治の時代にかけて、手挽きロクロという道具を使ってお椀などを作った職人を木地師という。彼らの余技として作られ、広まったのが観賞用としてのミニチュア茶道具である。
材も違うし技法も違う。だからといってやってみたいかどうかというのはまた別の話だが、丹精込めて作られているモノを見るのは気持ちがいい。
次なる目的地へ向かうべく、再び東北自動車道を北上する。
途中、上河内SAで食した「きのこそば」に味わったことのないきのこが投入されていて、思わず店員さんに尋ねる。
「<ちたけ>って言うんですよ。この辺りではよく採れて食べられているものなんですけどね。ちょっとあのー、弾力がないのでボソボソするというか…。食べなれない方には…ねえ? ……でしたでしょ?」
こちらの表情を読み取りながら、適切な回答をくださったのであった。
ここには、松阪で毎朝あいさつを交わしたD○Doの自販機が。バリバリの関西弁であった。
夜9時過ぎ、杜の都・仙台に到着。
ジャ○コがあったので引力に逆らえず入店。なんと!フラットなまま斜面を動くエスカレーターが!
都会は違うのう。利用者にしかわからないかもしれんが、踵を付けたままだとアキレス腱が伸びていい刺激になる健康的な乗り物(?)であった。
外は大粒の雪が降っていた。
実はこのころ、屈斜路コタン(だけではなく釧路根室地方)は比較にならないくらい、たいへんな事態になっていたことなど知る由もなく。
朝のうちはモワモワ〜ンと朝もやがかかっていたものの、昼前にはすっきりと晴れ渡った。
気持ちのいい青空を見るのは久しぶりのような気がする。
あまりに気持ちがいいので、ドライブがてら森林管理署に行った。
国有林に入るときは届出が必要なのだよ。
「雪解けでまだぬかるんでいますから、走行には気をつけてくださいね。あとゲートの鍵を開けたら必ず閉めてくださいね。…云々かんぬん」とご丁寧な注意を受ける。
任せておきなって!
おNEWの長靴も買ったし、おNEWのホイッスルも買った。
準備万端! さあ来い!
「何が?」
春。
2月27日(水)のできごと
寒い軽井沢を後にして群馬県に入る国道18号は2ルートある。
20kmくらい走ればまた1本化するのだが、要は碓氷峠をどう越えるかである。
地図を見ると、ややグニャグニャ道の中山道orかなりグニャグニャ道の碓氷バイパス、という選択。
時期が時期だけに、少しでもカーブが少なくなだらかそうな中山道コースを行くことにした。
結果的には、対向車がほとんどなく、日陰が多くて路面が凍結している下りカーブの連続。
山の中を走っているときの会話といえば、テーマはおのずと決まってくる。
「このあたり、ネギ=ギョウジャニンニクないべか?」「マイタケは?」「シイタケは?」。
どうせスピードも出せないのだ。思いっきりキョロキョロしながら走行していると…およっ!?
なんか、いいカンジの風景が目に飛び込んできた。が、車は急に停まれない。しばらく走りすぎた後、どちらからともなく「ちょっと戻ってみるかい?」ということになって、凍結した路上でUターン。慣れていない人はやってはいけませんよ。たいへん危険ですから。
国指定重要文化財 碓氷峠鉄道施設「碓氷第五橋梁」

明治26年に群馬県の横川〜軽井沢が開通し、同45年には日本初の電化になったが、この碓氷峠は交通の要衝であり難所でもあったという。平成9年に廃線となるまでの間には、土砂崩れや脱線転落事故などで少なからず犠牲者が出たようだ。
アーチ径11m、高さ8.8m。
登れるところはすぐに登ってしまう習性がある<Kussharo Factory>のスタッフである。
当然、アーチ橋の上まで行ってみた。
山間を削って敷かれた鉄道であるから、こういった橋やトンネルは数多く存在したのであろう。
先に停車していた長野ナンバーの車の運転手は結構お年を召したおじいであった。
「あんたらは若いから上まで行けてええのう。ここはいい景色じゃろ。ワシは何回かここに来とるんだ。なんでもな、またこの鉄道を通そうという話が持ち上がっているらしいぞ」。
夏草や兵どもが夢のあと−。
しばし感慨にふけった後、お礼をいっておじいと別れる。
ちょっと下った場所に、めがね橋もあったのだが、「落書きをしないでください」という看板が悲しかった。

上信越自動車道〜北関東自動車道〜東北自動車道をひた走り、宇都宮ICで降りて日光宇都宮道路へ。
いろは坂、明智平を経由して中禅寺湖に到着。
「(中禅寺湖)凍ってないなあ。もう解けちゃったのか」
「凍るんだ?」
「この間、テレビに映ってたもん」
それにしても、もンのすごい強風だ。軟弱な<Kussharo Factory>のスタッフはコーヒーを飲みながら湖を眺めることにする。

「もう、湖の氷、解けちゃったんですかい?」
「????……中禅寺湖は凍らないですよ」
おいおい。どこの湖を見たんじゃ!
駐車場に車を停め、華厳の滝を見に行く。こちらは凍ってた。

今回の視察中に見た和歌山県・那智の滝と今回は見る予定のない茨城県・袋田の滝とともに日本三大瀑布のひとつに数えられる。高さ97m。
「圧巻だねえ」
「熱燗? 飲みたい」
「…寒いもんな」
いろは坂を下り、世界文化遺産である東照宮、二荒山神社、輪王寺をサササッと見学。

観光地として名を馳せているのに、「この時期でも開いている数少ない土産物店」(泣)をのぞいてみる。
日光といえば、軽井沢に彫り物を伝えた職人が活躍した日光彫りの本場である。
なので、日光木彫りの里工芸センターにも立ち寄ってみることにした。
1634年から36年にかけて、徳川家3代将軍家光が東照宮を造り替えた際に、全国から集められた名匠が「余技」として始めたのがきっかけだという。
浮き彫り、透かし彫りなど数種類の技法があるが、日光彫りの特徴はなんといってもヒッカキと呼ばれる独特の刀を用いることだそうだ。社殿修復の際に、掻き落としにくいところに塗られた漆を除去するために、先端を曲げて手前に引く道具が考えられた。それを改良したものがこのヒッカキ刀だという。三角刀と同じような使い方をするみたいだが、三角刀といえば普通は押しながら彫るのに対し、ヒッカキは手前に引っ張りながら彫る。

少なくとも<Kussharo Factory>の彫り物担当は見たことがない道具であった。誕生秘話を知れば納得。
箪笥とか盆とかティッシュボックスとか実用品が中心。材は県の木でもあるトチやカツラが多いとのことであった。
江戸から明治の時代にかけて、手挽きロクロという道具を使ってお椀などを作った職人を木地師という。彼らの余技として作られ、広まったのが観賞用としてのミニチュア茶道具である。
材も違うし技法も違う。だからといってやってみたいかどうかというのはまた別の話だが、丹精込めて作られているモノを見るのは気持ちがいい。
次なる目的地へ向かうべく、再び東北自動車道を北上する。
途中、上河内SAで食した「きのこそば」に味わったことのないきのこが投入されていて、思わず店員さんに尋ねる。
「<ちたけ>って言うんですよ。この辺りではよく採れて食べられているものなんですけどね。ちょっとあのー、弾力がないのでボソボソするというか…。食べなれない方には…ねえ? ……でしたでしょ?」
こちらの表情を読み取りながら、適切な回答をくださったのであった。
ここには、松阪で毎朝あいさつを交わしたD○Doの自販機が。バリバリの関西弁であった。
夜9時過ぎ、杜の都・仙台に到着。
ジャ○コがあったので引力に逆らえず入店。なんと!フラットなまま斜面を動くエスカレーターが!
都会は違うのう。利用者にしかわからないかもしれんが、踵を付けたままだとアキレス腱が伸びていい刺激になる健康的な乗り物(?)であった。
外は大粒の雪が降っていた。
実はこのころ、屈斜路コタン(だけではなく釧路根室地方)は比較にならないくらい、たいへんな事態になっていたことなど知る由もなく。




