視察報告(11月20日その3)・掘り出し物
2008年11月28日(金) くもり
週間天気予報は大事である。
降雪と競争するかのように外仕事を片付けねばならないこの時期、「晴れ」の予報が出ている日に出かけるのはもったいない。
逆をいえば、悪そうな天気の予報が出ている日は出かけても…いいっしょ? いいんでないかい? いいべや。
今週の初めごろから、「金曜日あたりに天気が崩れる」ことになっていた。
もちろん、個人的見解ではないぞ。
テレビや新聞の天気予報による「公式見解」じゃ。
なので“仕方なく”、<Kussharo Factory>のフレンドリープレイス・阿寒湖経由で釧路へ。
いったいどんなルートだ。
おまけに何を血迷ったか、道中某所でタイ国の口琴を購入してしまうという暴挙に(笑)。

いやいやいやいや、A湖のPのGには間違っても聞かせられん。
得意げに演奏する<Kussharo Factory>のスタッフ1に対し、スタッフ2曰く、
「車の中でまで聞きたくない」だと! こらっ!
まっ、きょう1日の走行距離なんて視察旅行のときに比べれば。
<Kussharo Factory>の行き当たりばっ旅ドタバタ視察旅行。
とりあえず、名称に魅かれてやってきたのは「北海道立埋蔵文化財センター」である。
文京台という周辺の地名からも想像がつくように、いくつかの大学と多くの住宅が並ぶエリアの一角にその建物はあった。
「入館無料」
おおーっ、なんて太っ腹な。
埋蔵〜というだけあって駐車スペースも雪に埋もれていて(!?)「P」という看板は立っているものの、ラインがタテなのかヨコなのかもわからんかったが、まあいっかあ。
「ここ掘れワンワン」とばかり、埋蔵物を楽しみにしていたであろう<Kussharo Factory>の看板犬は車内で留守番。
【土の中に埋まっている土器や石器、住居跡やお墓などを埋蔵文化財と呼ぶ】パンフレットより
このセンターは北海道の埋蔵文化財について調査研究し、出土した資料の収蔵、保管、保存処理を図ることを目的として平成11年4月に設置された。
大陸と本州、双方の影響を受けながら独特の文化が営まれてきた北海道には1万か所を超える遺跡が確認されているという(驚)。
擦文時代からアイヌ文化期のものと考えられる千歳市の美々8遺跡出土品も数多く展示されていて、非常に興味深かった。

なによりも木製品はほとんど腐ってしまうため、残っていること自体が珍しいのである。
この遺跡からは船の一部や火おこし道具といった、貴重な木製品が数多く出土したという。ほかにも斧やキセルといった金属製、動物の骨や角で作られた骨角器の品も。
船底は、12世紀から16世紀といわれる千歳市ユカンボシC15遺跡から出土したもので、シナノキ属の材とみられている。

その時代、素材の特性を見極めて形にした人々の知恵もすばらしいし、時空を超えて解析、復元した現代の人々の知恵もすばらしい。
一見の価値あり、ですぞ。
こういう分野に興味があれば…。
特別展示として、「栽培植物利用からみた沖縄と北海道」をテーマにした研究発表がされていた。
本州と北海道、それに沖縄では文化形成が違うということを知っているようで知らない人が多い…と思うのだが?
たとえば、一般的な日本史の時代区分は「縄文〜弥生〜古墳〜飛鳥〜奈良〜平安〜鎌倉〜室町…」だろう。
それが北海道では「縄文〜続縄文〜擦文(一部オホーツク文化期)〜アイヌ文化期…」となるのだ。
このことさえもご存知ない方が結構いらっしゃる。
沖縄は、本州の「縄文…平安」北海道の「縄文…擦文」までとほぼ同時期を「貝塚文化」といい、その後は「グスク時代」へと移ってゆく。
弥生時代といえばイコール農耕の発達であり、本州に住んでいた人たちが農耕民族といわれる所以であろう。
弥生という時代がなかった北海道は、つまり農耕が行われていなかったというのがこれまでの有力な説だった。
そもそも13世紀から19世紀ごろまでにあたる「アイヌ文化期」でさえ、積極的な農耕は行われていなかったとされていた。
沖縄では…すみません。勉強不足なのでうっかりしたことは書けない→なので書かないことにする。
要は、ここ数年、北海道にしろ沖縄にしろ、さまざまな時代の遺跡からさまざまな栽培植物の炭化種子が検出されている…といった内容。
とってもおもしろいきっかけで、今後、ちょっと関心をもってみたいテーマとなった。
−さて、次はどこへ行こう?
(早く行け! by陰の声)
週間天気予報は大事である。
降雪と競争するかのように外仕事を片付けねばならないこの時期、「晴れ」の予報が出ている日に出かけるのはもったいない。
逆をいえば、悪そうな天気の予報が出ている日は出かけても…いいっしょ? いいんでないかい? いいべや。
今週の初めごろから、「金曜日あたりに天気が崩れる」ことになっていた。
もちろん、個人的見解ではないぞ。
テレビや新聞の天気予報による「公式見解」じゃ。
なので“仕方なく”、<Kussharo Factory>のフレンドリープレイス・阿寒湖経由で釧路へ。
いったいどんなルートだ。
おまけに何を血迷ったか、道中某所でタイ国の口琴を購入してしまうという暴挙に(笑)。

いやいやいやいや、A湖のPのGには間違っても聞かせられん。
得意げに演奏する<Kussharo Factory>のスタッフ1に対し、スタッフ2曰く、
「車の中でまで聞きたくない」だと! こらっ!
まっ、きょう1日の走行距離なんて視察旅行のときに比べれば。
<Kussharo Factory>の行き当たりばっ旅ドタバタ視察旅行。
とりあえず、名称に魅かれてやってきたのは「北海道立埋蔵文化財センター」である。
文京台という周辺の地名からも想像がつくように、いくつかの大学と多くの住宅が並ぶエリアの一角にその建物はあった。
「入館無料」
おおーっ、なんて太っ腹な。
埋蔵〜というだけあって駐車スペースも雪に埋もれていて(!?)「P」という看板は立っているものの、ラインがタテなのかヨコなのかもわからんかったが、まあいっかあ。
「ここ掘れワンワン」とばかり、埋蔵物を楽しみにしていたであろう<Kussharo Factory>の看板犬は車内で留守番。
【土の中に埋まっている土器や石器、住居跡やお墓などを埋蔵文化財と呼ぶ】パンフレットより
このセンターは北海道の埋蔵文化財について調査研究し、出土した資料の収蔵、保管、保存処理を図ることを目的として平成11年4月に設置された。
大陸と本州、双方の影響を受けながら独特の文化が営まれてきた北海道には1万か所を超える遺跡が確認されているという(驚)。
擦文時代からアイヌ文化期のものと考えられる千歳市の美々8遺跡出土品も数多く展示されていて、非常に興味深かった。

なによりも木製品はほとんど腐ってしまうため、残っていること自体が珍しいのである。
この遺跡からは船の一部や火おこし道具といった、貴重な木製品が数多く出土したという。ほかにも斧やキセルといった金属製、動物の骨や角で作られた骨角器の品も。
船底は、12世紀から16世紀といわれる千歳市ユカンボシC15遺跡から出土したもので、シナノキ属の材とみられている。

その時代、素材の特性を見極めて形にした人々の知恵もすばらしいし、時空を超えて解析、復元した現代の人々の知恵もすばらしい。
一見の価値あり、ですぞ。
こういう分野に興味があれば…。
特別展示として、「栽培植物利用からみた沖縄と北海道」をテーマにした研究発表がされていた。
本州と北海道、それに沖縄では文化形成が違うということを知っているようで知らない人が多い…と思うのだが?
たとえば、一般的な日本史の時代区分は「縄文〜弥生〜古墳〜飛鳥〜奈良〜平安〜鎌倉〜室町…」だろう。
それが北海道では「縄文〜続縄文〜擦文(一部オホーツク文化期)〜アイヌ文化期…」となるのだ。
このことさえもご存知ない方が結構いらっしゃる。
沖縄は、本州の「縄文…平安」北海道の「縄文…擦文」までとほぼ同時期を「貝塚文化」といい、その後は「グスク時代」へと移ってゆく。
弥生時代といえばイコール農耕の発達であり、本州に住んでいた人たちが農耕民族といわれる所以であろう。
弥生という時代がなかった北海道は、つまり農耕が行われていなかったというのがこれまでの有力な説だった。
そもそも13世紀から19世紀ごろまでにあたる「アイヌ文化期」でさえ、積極的な農耕は行われていなかったとされていた。
沖縄では…すみません。勉強不足なのでうっかりしたことは書けない→なので書かないことにする。
要は、ここ数年、北海道にしろ沖縄にしろ、さまざまな時代の遺跡からさまざまな栽培植物の炭化種子が検出されている…といった内容。
とってもおもしろいきっかけで、今後、ちょっと関心をもってみたいテーマとなった。
−さて、次はどこへ行こう?
(早く行け! by陰の声)
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