視察報告・9(2月23日のできごと)松阪と屈斜路の縁
2008年3月27日(木) どんより曇り のち 小雪
雨から雪に変わるという天気予報だったが、夕方になってやっと雨を省いていきなり雪が落ちてきた。
車の上とか自慢のオープンデッキの上はうっすら雪化粧。
けど周辺の山々は間違いなく厚化粧!
うえーん。
実はきのう、天気が良かったので山へ視察に入ったのである。
<cirayapappo>フクジュソウに混じって<makayo マカヨ>フキノトウも顔を出していた。

が、肝心の<pukusa プクサ>ギョウジャニンニクはまーだまだ。
結局、例年と同じくらいなんでないかい?
誰よ? 今年の春は早いって言ったのは?
…みんな言ってるっしょ。
2月23日(土)のできごと
2008年は北海道の名づけ親である松浦武四郎翁が現在の三重県松阪市小野江町で生まれてから190年、亡くなってから120年、自身6回目となる北海道調査から150年というMemorial Yearなんである。
この6回目の調査の行程中に屈斜路湖にも立ち寄ったのだ。
松阪市では2009年2月までの1年間に、さまざまな記念事業を計画しているとのこと。
「武四郎の魅力を市内外へと発信し、さらに多くの人びとに知っていただくとともに、松阪市の文化のみならず、教育・観光・産業・まちづくりにおける取り組みへとつなげていきたいと考えています。そして、市外へ向けて松阪を大きくPRしていくとともに、みなさんに地域への誇りや愛着を感じていただくことで、薫り高い文化の創造へとつながる事業を展開してまいりたいと思います」と、パンフレットの前書きにある。
ほんのちょびっと、このイベントの手伝いをさせていただいただけだが、そのわずかな時間でも松浦武四郎翁を尊敬し、後世に伝え続けていきたいという意気込みをもった方が、松阪には大勢いるのだと実感できた。
アツい。
この日は松阪市民文化会館にてオープニングイベント。
松阪しょんがい音頭と踊り「松浦武四郎一代記」で幕を開けた。
松阪地方の郷土民謡としては最も古いものとされ、起源は蒲生氏郷による松阪城築城に携わった民衆の間から誕生したとか。
「松浦武四郎一代記」は15番に及ぶ唄と踊りによって武四郎の生涯を紹介するもの。
ということは、歌詞を覚えれば歴史の勉強にもなるんだ…。
続いては、松浦武四郎記念館から一番近い小野江小学校の6年生34人が群読で松浦武四郎の功績を披露した。
探検家、作家、画家、出版社、学者などのさまざまな顔を持ち、幅広い活躍をした武四郎。
短い時間の中で、北海道での調査やアイヌとの交流を軸にわかりやすくまとめられていた。
群読とは一人で読んだり、大勢で読んだりと読み方の工夫で効果的に表現する発表方法。
卒業式などでよく聞かれる。

子どもたちは、
「さまざまな価値観を受け入れる広い心
偏見を持たない目
つねに先を切り拓く力
そんな武四郎を愛し、そんな武四郎に一歩でも近づきたい」
と結んだ。
さて、いよいよ、である。
最大の任務を遂行すべきときがきた。
もちろん、小学校を訪ねるということも大切な任務で、天候不順による交通機関の影響なども考え、数日前から松阪入りをしていたのである。
「アイヌ民族から見た松浦武四郎」を話してきた。
といっても20分とはいえ、1人で話すのは不可能なので松浦武四郎記念館の館長さんとの対談形式。
アツい思いはいろいろある。
あるのだが、とかく言葉にするのは難しいものである。
対談中にも触れたのだが、アイヌ民族であることを、なんていうか、「より自覚させてくれた」のが松浦武四郎なのだ。
150年も前に、先祖の記録を残してくれたことで、いまの自分へとつながる重みみたいなものをリアルに感じられるのだから。
それはアイヌ民族としての誇りとして自分に迫ってきている。
そして、対談中に触れられなかった心の中の本当の思い−。
少なくとも屈斜路コタンでいまを生きるアイヌ民族(それは自分だけでなく仲間も含んだ)にとって、現代の松浦武四郎が館長さんなのである。
先祖のひとりにイソリツカラという人物がいたということは、細々ながら語り継がれていた。
けれど、それ以上は…という程度にすぎない。
そのイソリツカラが松浦武四郎に屈斜路湖を案内したということ、記録として残っている事実、それがどれほど重要な意味を持つのかということを、何回も屈斜路湖へ足を運び、何十回となくアツく語ってくれたのは館長さんご夫妻なのだ。
松浦武四郎の足跡を訪ねて
事前の下書き原稿には書いてあったのだが、前日に2人で行ったリハーサルのときに「僕ら個人的な交流のことは話さなくていいですからね。こういう場ですし」と見透かされたように言われたのであきらめた。
そりゃそうだな、と納得はできたが、そういう意味のお礼はずっと言えないでいる。
館長さんご夫妻に出会わなければ、こういう形で松阪の地を踏むことも絶対になかったのだから。
とはいえ、面と向かって改めて伝えるのもテレくさい。なので、この場で披露しておきます。
伊勢の国から松浦武四郎が自分の足で蝦夷地まで歩いてきた時代とは何もかも違う。
飛行機でひとっ飛び、半日もあれば来ることができる距離にまで縮まった。
松阪で武四郎の心意気を受け継ぎながら生きる人たちと、北海道で民族の伝統を守りながら生きようとするアイヌとの距離もどんどん縮んでいくことを願う。
そのために、ちょびっとでも役に立てるようなことがあれば喜んで。
松阪市民の方は屈斜路湖へお越しの際、「松阪から来た!」と言っていただければ特別待遇で周辺をご案内させていただきます。
先祖イソリツカラが松浦武四郎翁にしたように…。
(ちょっと意味が違うんでないかい? By陰の声)
雨から雪に変わるという天気予報だったが、夕方になってやっと雨を省いていきなり雪が落ちてきた。
車の上とか自慢のオープンデッキの上はうっすら雪化粧。
けど周辺の山々は間違いなく厚化粧!
うえーん。
実はきのう、天気が良かったので山へ視察に入ったのである。
<cirayapappo>フクジュソウに混じって<makayo マカヨ>フキノトウも顔を出していた。

が、肝心の<pukusa プクサ>ギョウジャニンニクはまーだまだ。
結局、例年と同じくらいなんでないかい?
誰よ? 今年の春は早いって言ったのは?
…みんな言ってるっしょ。
2月23日(土)のできごと
2008年は北海道の名づけ親である松浦武四郎翁が現在の三重県松阪市小野江町で生まれてから190年、亡くなってから120年、自身6回目となる北海道調査から150年というMemorial Yearなんである。
この6回目の調査の行程中に屈斜路湖にも立ち寄ったのだ。
松阪市では2009年2月までの1年間に、さまざまな記念事業を計画しているとのこと。
「武四郎の魅力を市内外へと発信し、さらに多くの人びとに知っていただくとともに、松阪市の文化のみならず、教育・観光・産業・まちづくりにおける取り組みへとつなげていきたいと考えています。そして、市外へ向けて松阪を大きくPRしていくとともに、みなさんに地域への誇りや愛着を感じていただくことで、薫り高い文化の創造へとつながる事業を展開してまいりたいと思います」と、パンフレットの前書きにある。
ほんのちょびっと、このイベントの手伝いをさせていただいただけだが、そのわずかな時間でも松浦武四郎翁を尊敬し、後世に伝え続けていきたいという意気込みをもった方が、松阪には大勢いるのだと実感できた。
アツい。
この日は松阪市民文化会館にてオープニングイベント。
松阪しょんがい音頭と踊り「松浦武四郎一代記」で幕を開けた。
松阪地方の郷土民謡としては最も古いものとされ、起源は蒲生氏郷による松阪城築城に携わった民衆の間から誕生したとか。
「松浦武四郎一代記」は15番に及ぶ唄と踊りによって武四郎の生涯を紹介するもの。
ということは、歌詞を覚えれば歴史の勉強にもなるんだ…。
続いては、松浦武四郎記念館から一番近い小野江小学校の6年生34人が群読で松浦武四郎の功績を披露した。
探検家、作家、画家、出版社、学者などのさまざまな顔を持ち、幅広い活躍をした武四郎。
短い時間の中で、北海道での調査やアイヌとの交流を軸にわかりやすくまとめられていた。
群読とは一人で読んだり、大勢で読んだりと読み方の工夫で効果的に表現する発表方法。
卒業式などでよく聞かれる。

子どもたちは、
「さまざまな価値観を受け入れる広い心
偏見を持たない目
つねに先を切り拓く力
そんな武四郎を愛し、そんな武四郎に一歩でも近づきたい」
と結んだ。
さて、いよいよ、である。
最大の任務を遂行すべきときがきた。
もちろん、小学校を訪ねるということも大切な任務で、天候不順による交通機関の影響なども考え、数日前から松阪入りをしていたのである。
「アイヌ民族から見た松浦武四郎」を話してきた。
といっても20分とはいえ、1人で話すのは不可能なので松浦武四郎記念館の館長さんとの対談形式。
アツい思いはいろいろある。
あるのだが、とかく言葉にするのは難しいものである。
対談中にも触れたのだが、アイヌ民族であることを、なんていうか、「より自覚させてくれた」のが松浦武四郎なのだ。
150年も前に、先祖の記録を残してくれたことで、いまの自分へとつながる重みみたいなものをリアルに感じられるのだから。
それはアイヌ民族としての誇りとして自分に迫ってきている。
そして、対談中に触れられなかった心の中の本当の思い−。
少なくとも屈斜路コタンでいまを生きるアイヌ民族(それは自分だけでなく仲間も含んだ)にとって、現代の松浦武四郎が館長さんなのである。
先祖のひとりにイソリツカラという人物がいたということは、細々ながら語り継がれていた。
けれど、それ以上は…という程度にすぎない。
そのイソリツカラが松浦武四郎に屈斜路湖を案内したということ、記録として残っている事実、それがどれほど重要な意味を持つのかということを、何回も屈斜路湖へ足を運び、何十回となくアツく語ってくれたのは館長さんご夫妻なのだ。
松浦武四郎の足跡を訪ねて
事前の下書き原稿には書いてあったのだが、前日に2人で行ったリハーサルのときに「僕ら個人的な交流のことは話さなくていいですからね。こういう場ですし」と見透かされたように言われたのであきらめた。
そりゃそうだな、と納得はできたが、そういう意味のお礼はずっと言えないでいる。
館長さんご夫妻に出会わなければ、こういう形で松阪の地を踏むことも絶対になかったのだから。
とはいえ、面と向かって改めて伝えるのもテレくさい。なので、この場で披露しておきます。
伊勢の国から松浦武四郎が自分の足で蝦夷地まで歩いてきた時代とは何もかも違う。
飛行機でひとっ飛び、半日もあれば来ることができる距離にまで縮まった。
松阪で武四郎の心意気を受け継ぎながら生きる人たちと、北海道で民族の伝統を守りながら生きようとするアイヌとの距離もどんどん縮んでいくことを願う。
そのために、ちょびっとでも役に立てるようなことがあれば喜んで。
松阪市民の方は屈斜路湖へお越しの際、「松阪から来た!」と言っていただければ特別待遇で周辺をご案内させていただきます。
先祖イソリツカラが松浦武四郎翁にしたように…。
(ちょっと意味が違うんでないかい? By陰の声)
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