視察報告(11月20日その3)・掘り出し物
2008年11月28日(金) くもり
週間天気予報は大事である。
降雪と競争するかのように外仕事を片付けねばならないこの時期、「晴れ」の予報が出ている日に出かけるのはもったいない。
逆をいえば、悪そうな天気の予報が出ている日は出かけても…いいっしょ? いいんでないかい? いいべや。
今週の初めごろから、「金曜日あたりに天気が崩れる」ことになっていた。
もちろん、個人的見解ではないぞ。
テレビや新聞の天気予報による「公式見解」じゃ。
なので“仕方なく”、<Kussharo Factory>のフレンドリープレイス・阿寒湖経由で釧路へ。
いったいどんなルートだ。
おまけに何を血迷ったか、道中某所でタイ国の口琴を購入してしまうという暴挙に(笑)。

いやいやいやいや、A湖のPのGには間違っても聞かせられん。
得意げに演奏する<Kussharo Factory>のスタッフ1に対し、スタッフ2曰く、
「車の中でまで聞きたくない」だと! こらっ!
まっ、きょう1日の走行距離なんて視察旅行のときに比べれば。
<Kussharo Factory>の行き当たりばっ旅ドタバタ視察旅行。
とりあえず、名称に魅かれてやってきたのは「北海道立埋蔵文化財センター」である。
文京台という周辺の地名からも想像がつくように、いくつかの大学と多くの住宅が並ぶエリアの一角にその建物はあった。
「入館無料」
おおーっ、なんて太っ腹な。
埋蔵〜というだけあって駐車スペースも雪に埋もれていて(!?)「P」という看板は立っているものの、ラインがタテなのかヨコなのかもわからんかったが、まあいっかあ。
「ここ掘れワンワン」とばかり、埋蔵物を楽しみにしていたであろう<Kussharo Factory>の看板犬は車内で留守番。
【土の中に埋まっている土器や石器、住居跡やお墓などを埋蔵文化財と呼ぶ】パンフレットより
このセンターは北海道の埋蔵文化財について調査研究し、出土した資料の収蔵、保管、保存処理を図ることを目的として平成11年4月に設置された。
大陸と本州、双方の影響を受けながら独特の文化が営まれてきた北海道には1万か所を超える遺跡が確認されているという(驚)。
擦文時代からアイヌ文化期のものと考えられる千歳市の美々8遺跡出土品も数多く展示されていて、非常に興味深かった。

なによりも木製品はほとんど腐ってしまうため、残っていること自体が珍しいのである。
この遺跡からは船の一部や火おこし道具といった、貴重な木製品が数多く出土したという。ほかにも斧やキセルといった金属製、動物の骨や角で作られた骨角器の品も。
船底は、12世紀から16世紀といわれる千歳市ユカンボシC15遺跡から出土したもので、シナノキ属の材とみられている。

その時代、素材の特性を見極めて形にした人々の知恵もすばらしいし、時空を超えて解析、復元した現代の人々の知恵もすばらしい。
一見の価値あり、ですぞ。
こういう分野に興味があれば…。
特別展示として、「栽培植物利用からみた沖縄と北海道」をテーマにした研究発表がされていた。
本州と北海道、それに沖縄では文化形成が違うということを知っているようで知らない人が多い…と思うのだが?
たとえば、一般的な日本史の時代区分は「縄文〜弥生〜古墳〜飛鳥〜奈良〜平安〜鎌倉〜室町…」だろう。
それが北海道では「縄文〜続縄文〜擦文(一部オホーツク文化期)〜アイヌ文化期…」となるのだ。
このことさえもご存知ない方が結構いらっしゃる。
沖縄は、本州の「縄文…平安」北海道の「縄文…擦文」までとほぼ同時期を「貝塚文化」といい、その後は「グスク時代」へと移ってゆく。
弥生時代といえばイコール農耕の発達であり、本州に住んでいた人たちが農耕民族といわれる所以であろう。
弥生という時代がなかった北海道は、つまり農耕が行われていなかったというのがこれまでの有力な説だった。
そもそも13世紀から19世紀ごろまでにあたる「アイヌ文化期」でさえ、積極的な農耕は行われていなかったとされていた。
沖縄では…すみません。勉強不足なのでうっかりしたことは書けない→なので書かないことにする。
要は、ここ数年、北海道にしろ沖縄にしろ、さまざまな時代の遺跡からさまざまな栽培植物の炭化種子が検出されている…といった内容。
とってもおもしろいきっかけで、今後、ちょっと関心をもってみたいテーマとなった。
−さて、次はどこへ行こう?
(早く行け! by陰の声)
週間天気予報は大事である。
降雪と競争するかのように外仕事を片付けねばならないこの時期、「晴れ」の予報が出ている日に出かけるのはもったいない。
逆をいえば、悪そうな天気の予報が出ている日は出かけても…いいっしょ? いいんでないかい? いいべや。
今週の初めごろから、「金曜日あたりに天気が崩れる」ことになっていた。
もちろん、個人的見解ではないぞ。
テレビや新聞の天気予報による「公式見解」じゃ。
なので“仕方なく”、<Kussharo Factory>のフレンドリープレイス・阿寒湖経由で釧路へ。
いったいどんなルートだ。
おまけに何を血迷ったか、道中某所でタイ国の口琴を購入してしまうという暴挙に(笑)。

いやいやいやいや、A湖のPのGには間違っても聞かせられん。
得意げに演奏する<Kussharo Factory>のスタッフ1に対し、スタッフ2曰く、
「車の中でまで聞きたくない」だと! こらっ!
まっ、きょう1日の走行距離なんて視察旅行のときに比べれば。
<Kussharo Factory>の行き当たりばっ旅ドタバタ視察旅行。
とりあえず、名称に魅かれてやってきたのは「北海道立埋蔵文化財センター」である。
文京台という周辺の地名からも想像がつくように、いくつかの大学と多くの住宅が並ぶエリアの一角にその建物はあった。
「入館無料」
おおーっ、なんて太っ腹な。
埋蔵〜というだけあって駐車スペースも雪に埋もれていて(!?)「P」という看板は立っているものの、ラインがタテなのかヨコなのかもわからんかったが、まあいっかあ。
「ここ掘れワンワン」とばかり、埋蔵物を楽しみにしていたであろう<Kussharo Factory>の看板犬は車内で留守番。
【土の中に埋まっている土器や石器、住居跡やお墓などを埋蔵文化財と呼ぶ】パンフレットより
このセンターは北海道の埋蔵文化財について調査研究し、出土した資料の収蔵、保管、保存処理を図ることを目的として平成11年4月に設置された。
大陸と本州、双方の影響を受けながら独特の文化が営まれてきた北海道には1万か所を超える遺跡が確認されているという(驚)。
擦文時代からアイヌ文化期のものと考えられる千歳市の美々8遺跡出土品も数多く展示されていて、非常に興味深かった。

なによりも木製品はほとんど腐ってしまうため、残っていること自体が珍しいのである。
この遺跡からは船の一部や火おこし道具といった、貴重な木製品が数多く出土したという。ほかにも斧やキセルといった金属製、動物の骨や角で作られた骨角器の品も。
船底は、12世紀から16世紀といわれる千歳市ユカンボシC15遺跡から出土したもので、シナノキ属の材とみられている。

その時代、素材の特性を見極めて形にした人々の知恵もすばらしいし、時空を超えて解析、復元した現代の人々の知恵もすばらしい。
一見の価値あり、ですぞ。
こういう分野に興味があれば…。
特別展示として、「栽培植物利用からみた沖縄と北海道」をテーマにした研究発表がされていた。
本州と北海道、それに沖縄では文化形成が違うということを知っているようで知らない人が多い…と思うのだが?
たとえば、一般的な日本史の時代区分は「縄文〜弥生〜古墳〜飛鳥〜奈良〜平安〜鎌倉〜室町…」だろう。
それが北海道では「縄文〜続縄文〜擦文(一部オホーツク文化期)〜アイヌ文化期…」となるのだ。
このことさえもご存知ない方が結構いらっしゃる。
沖縄は、本州の「縄文…平安」北海道の「縄文…擦文」までとほぼ同時期を「貝塚文化」といい、その後は「グスク時代」へと移ってゆく。
弥生時代といえばイコール農耕の発達であり、本州に住んでいた人たちが農耕民族といわれる所以であろう。
弥生という時代がなかった北海道は、つまり農耕が行われていなかったというのがこれまでの有力な説だった。
そもそも13世紀から19世紀ごろまでにあたる「アイヌ文化期」でさえ、積極的な農耕は行われていなかったとされていた。
沖縄では…すみません。勉強不足なのでうっかりしたことは書けない→なので書かないことにする。
要は、ここ数年、北海道にしろ沖縄にしろ、さまざまな時代の遺跡からさまざまな栽培植物の炭化種子が検出されている…といった内容。
とってもおもしろいきっかけで、今後、ちょっと関心をもってみたいテーマとなった。
−さて、次はどこへ行こう?
(早く行け! by陰の声)
視察報告(11月20日その2)・長いからって
2008年11月26日(水) 晴れ
昨日は全道的に冷え込みが厳しかったようで、弟子屈町でも最高気温がプラスにならない、いわゆる「真冬日」。
上川管内下川町では−20.9℃を記録したそうだ。11月中に道内で−20℃以下を観測するのは20年ぶりとのこと。
つい5日ほど前に滞在した旭川市では、空気中の水分が凍るダイヤモンドダストが見られたそうな。
真冬でなくてもムリだったんか…。あぶない、あぶない。
それに比べると、本日は風がなく穏やかな日和だったので、外仕事はそれなりにはかどったのである。
ガラス越しに差し込む太陽の光はあったかくて、部屋の中はストーブを切ることができた。
そう、あの日の車の中もあったかかったっけ。
「道の駅・樹海ロード日高」を元気に出発した<Kussharo Factory>の親睦旅行一行、もとい、視察参加者一同。
天気も良くて快適なドライブが続く。
国道274号はほどなく、占冠村へ。
この村、何がスゴいかって、あーた!
どこを見てもネギ=<pukusa>ギョウジャニンニクが<poronno>たくさんありそうな谷が続くんである。
「うーむ。すばらしい」
続いては、むかわ町へ。
この町、何がスゴいかって、あーた!
どこを見ても<hat>ヤマブドウが<poronno>たくさんありそうな山が続くんである。
「うーむ。すばらしい」
むかわ町といえば<susuham=susu(柳)ham(葉)>ししゃもで有名なだけに海沿いの町かと思いきや、内陸にかけて細長い地形であることを初めて知った(汗)。
ところで。
ネギがありそうな谷とヤマブドウがありそうな山の違いは何よ? と思ったあーた!
カンです。勘。単にそれだけ。
深くツッコまないように。
どうやらこの辺りも野生のエゾシカが多いらしく、「鹿飛び出し注意」の標識が至るところで見られた。
印象的だったのは、「鹿飛び出し注意」の標識の真横を通過しようとしていた対向車の前に、<niyow>エゾリスが飛び出したことである。
偶然目撃した<Kussharo Factory>のスタッフも驚いたが、対向車のドライバーはかなりビックリしていた。
エゾリスくん、飛び出しはいかんよ、飛び出しは。
「エゾリス飛び出し注意」の看板も立てにゃあならんしょ。
そんなこんなで順調に走行が進み、次なる道の駅「マオイの丘公園」(長沼町)の看板が表れた。
それにしてもこの町に入ったとたん、明らかに積雪量が増した。
積雪量の増加は車のウオッシャー液の消費量に比例する。
案内表示に導かれるまま、休憩すべく駐車スペースへ。
すると、本当にたまたま偶然だったのだが、停車した位置の真ん前に何やら石碑が建っている。
近ごろ向学心に燃えている(自分で言うな)<Kussharo Factory>のスタッフは、「何の碑だ?」と書かれている文字を確認して、全員(といっても2人)が同時に感嘆の声を挙げた。
「おおーっ! 松浦武四郎翁の碑ではないか!」
松浦武四郎紀行足跡之碑

【この碑は翁の神仏崇敬と早逝した長女を追悼して明治八年東京上野東照宮に奉納した大銅神鏡を模し、また旅路にあって分身の如く携帯した鍋(鍋塚)の意を汲んで碑に収む】碑文より
てっぺんに模した大銅神鏡を配し、その下部右には鍋が、左には夕張日誌の表紙が掲げられている。
なかなか立派な碑であった。
「うーむ。すばらしい」
町の名である「長沼」はアイヌ語の<tanne>長い<to>沼から付けられたという。
松浦武四郎が残した記録によると旧夕張川筋は二つの大沼になっていて、上にあったタンネトウに由来するそうだ。
「やっぱり“長沼”は<tanne to>から名付けられたんだな」
「そうか、この辺りはヘビがいっぱいいたんだな」って、いやいやいやいや。ちゃうちゃう。
<tanne>は長いという意味であって、<kamuy>神という単語が続いてはじめて<tanne kamuy>ヘビということになるんしょ?
「おっと、そうかそうか。イヤな場所だと思っちまった。あぶない、あぶない」
して、マオイはアイヌ語の<mawoi=maw(ハマナスの実)o(多い)i(ところ)>。
ハマナスは浜茄子とも書く字のごとく海岸沿いに多く見られるとされ、内陸のこの地に?とも思えるが、昔は沼の近くでハマナスの群生地が存在していたという。
ふむ。納得。
それが漢字になると「馬追」になっちまうもんだから、わかりにくいったら。
さて−。
行き当たりばっ旅の一行は、ここに来てやっと「札幌でどこに行くか?」の議論を開始。
「埋蔵文化財センターってのは、どうだい?」
「埋蔵金?」
「埋蔵金は霞ヶ関! 埋蔵文化財じゃ」
「いいんでないかい。埋蔵物は看板犬も好きそうだし」
「埋もれているモノ掘るの大好き!」
そんなこんなで、札幌の手前の江別市にある北海道立野幌(のっぽろ)森林公園を目指すことにした。
きょうはここまで。
(…それにしても、札幌まで遠すぎるんでないかい? by陰の声)
昨日は全道的に冷え込みが厳しかったようで、弟子屈町でも最高気温がプラスにならない、いわゆる「真冬日」。
上川管内下川町では−20.9℃を記録したそうだ。11月中に道内で−20℃以下を観測するのは20年ぶりとのこと。
つい5日ほど前に滞在した旭川市では、空気中の水分が凍るダイヤモンドダストが見られたそうな。
真冬でなくてもムリだったんか…。あぶない、あぶない。
それに比べると、本日は風がなく穏やかな日和だったので、外仕事はそれなりにはかどったのである。
ガラス越しに差し込む太陽の光はあったかくて、部屋の中はストーブを切ることができた。
そう、あの日の車の中もあったかかったっけ。
「道の駅・樹海ロード日高」を元気に出発した<Kussharo Factory>の親睦旅行一行、もとい、視察参加者一同。
天気も良くて快適なドライブが続く。
国道274号はほどなく、占冠村へ。
この村、何がスゴいかって、あーた!
どこを見てもネギ=<pukusa>ギョウジャニンニクが<poronno>たくさんありそうな谷が続くんである。
「うーむ。すばらしい」
続いては、むかわ町へ。
この町、何がスゴいかって、あーた!
どこを見ても<hat>ヤマブドウが<poronno>たくさんありそうな山が続くんである。
「うーむ。すばらしい」
むかわ町といえば<susuham=susu(柳)ham(葉)>ししゃもで有名なだけに海沿いの町かと思いきや、内陸にかけて細長い地形であることを初めて知った(汗)。
ところで。
ネギがありそうな谷とヤマブドウがありそうな山の違いは何よ? と思ったあーた!
カンです。勘。単にそれだけ。
深くツッコまないように。
どうやらこの辺りも野生のエゾシカが多いらしく、「鹿飛び出し注意」の標識が至るところで見られた。
印象的だったのは、「鹿飛び出し注意」の標識の真横を通過しようとしていた対向車の前に、<niyow>エゾリスが飛び出したことである。
偶然目撃した<Kussharo Factory>のスタッフも驚いたが、対向車のドライバーはかなりビックリしていた。
エゾリスくん、飛び出しはいかんよ、飛び出しは。
「エゾリス飛び出し注意」の看板も立てにゃあならんしょ。
そんなこんなで順調に走行が進み、次なる道の駅「マオイの丘公園」(長沼町)の看板が表れた。
それにしてもこの町に入ったとたん、明らかに積雪量が増した。
積雪量の増加は車のウオッシャー液の消費量に比例する。
案内表示に導かれるまま、休憩すべく駐車スペースへ。
すると、本当にたまたま偶然だったのだが、停車した位置の真ん前に何やら石碑が建っている。
近ごろ向学心に燃えている(自分で言うな)<Kussharo Factory>のスタッフは、「何の碑だ?」と書かれている文字を確認して、全員(といっても2人)が同時に感嘆の声を挙げた。
「おおーっ! 松浦武四郎翁の碑ではないか!」
松浦武四郎紀行足跡之碑

【この碑は翁の神仏崇敬と早逝した長女を追悼して明治八年東京上野東照宮に奉納した大銅神鏡を模し、また旅路にあって分身の如く携帯した鍋(鍋塚)の意を汲んで碑に収む】碑文より
てっぺんに模した大銅神鏡を配し、その下部右には鍋が、左には夕張日誌の表紙が掲げられている。
なかなか立派な碑であった。
「うーむ。すばらしい」
町の名である「長沼」はアイヌ語の<tanne>長い<to>沼から付けられたという。
松浦武四郎が残した記録によると旧夕張川筋は二つの大沼になっていて、上にあったタンネトウに由来するそうだ。
「やっぱり“長沼”は<tanne to>から名付けられたんだな」
「そうか、この辺りはヘビがいっぱいいたんだな」って、いやいやいやいや。ちゃうちゃう。
<tanne>は長いという意味であって、<kamuy>神という単語が続いてはじめて<tanne kamuy>ヘビということになるんしょ?
「おっと、そうかそうか。イヤな場所だと思っちまった。あぶない、あぶない」
して、マオイはアイヌ語の<mawoi=maw(ハマナスの実)o(多い)i(ところ)>。
ハマナスは浜茄子とも書く字のごとく海岸沿いに多く見られるとされ、内陸のこの地に?とも思えるが、昔は沼の近くでハマナスの群生地が存在していたという。
ふむ。納得。
それが漢字になると「馬追」になっちまうもんだから、わかりにくいったら。
さて−。
行き当たりばっ旅の一行は、ここに来てやっと「札幌でどこに行くか?」の議論を開始。
「埋蔵文化財センターってのは、どうだい?」
「埋蔵金?」
「埋蔵金は霞ヶ関! 埋蔵文化財じゃ」
「いいんでないかい。埋蔵物は看板犬も好きそうだし」
「埋もれているモノ掘るの大好き!」
そんなこんなで、札幌の手前の江別市にある北海道立野幌(のっぽろ)森林公園を目指すことにした。
きょうはここまで。
(…それにしても、札幌まで遠すぎるんでないかい? by陰の声)
視察報告(11月20日その1)・事件の真相
2008年11月24日(月) 「くもり ときどき ちら雪」の繰り返し
せっかく電気チェーンソーを使って薪作りを始めたっけさあ、雪が降ってきたもんだから。
感電したらマズいっしょ。説明書にも「雨天時や降雪時には使用しないでください」って書いてある。
たいして本数をちょさないうちにあきらめたさ。
早くやってしまわんと、シバレが入ってわやなんだけど。
それでもコーヒーブレイクだけはしっかりと。
外にある薪ストーブでも結構あったかいんでいっ。
そう。あのときは寒かったっけなあ。
20日の朝は「道の駅・樹海ロード日高」に停めた車の中で迎えた。
<Kussharo Factory>の視察旅行に際しては車中泊が基本である。
一応、目覚まし時計をセットして眠りについたのだが、鳴るはずの時間よりもかなり早めに目が覚めた。
なぜか?
顔が寒かったためである。
寝ぼけ眼で隣人を見ると、しっかり頭のてっぺんまでシュラフをかぶって熟睡しているではないか。
一定間隔で息が白く吐き出されるようすは、さながら深海魚…いや、違うな、水槽の中の魚みたいなもん?
「しまった…久しぶりの車中泊だったもんで基本を忘れていた…」
などと悔やみながら車の中を見回してみると、ガラスというガラスが曇って、もとい、凍り付いていた。
そう、外側が、ではなくて内側「も」凍っていたのである。
昨夜の吹雪はすっかりおさまって陽光が差し込んでいるのがわかった。
ほう、するってえと氷点下、それもかなりキビしい温度の中で寝ていたわけか。
ちなみに、スタッフAは−10℃まで対応(しかし、「あくまでも一般キャンプ用につき、山岳用ではありませーん」の但し書き付き)のシュラフを使用。
スタッフBは、一般キャンプ(しかも平地の)春夏秋用シュラフ+バージョンアップをはかるべくインナーを併用。
これで日本全国津々浦々、いかなる時季でも出かけて行くのである。
とはいえ、なんとか凍死はまぬがれる最低レベルの装備と思われるので、良い子の皆さまはあまりマネしないほうがよい。
まっ、とりあえず頭のてっぺんまでシュラフに突っ込んでもう一眠りするかあ、と何気なく足元に感じるぬくもりの源を見てパッチリ目が覚めてしまった。
げげっ!
わが子がガタガタと震えているではないか!

(参考写真。まったく参考になっていないと思うが)
事件である!
慌てて隣人に呼びかけた。
「エンジンをかけて、暖房をたくべ」
「うーん…いま何時? まだいいっしょ」
「わが子が寒さで震えてる」
「早くエンジンをかけれ!」
ふだんは家の中で、犬だけど猫かわいがりされまくり(ややこしいな)、ストーブの前が定位置というわが子なのだ。
寒い日は、散歩から帰ると真っ先にストーブの前に座り込むわが子なのだ。
こんな寒さには慣れていないのだ。
すまん。大人たちが悪かった(つくづく過保護&親バカ)。
即刻、緊急のスタッフミーティングが開かれ、「今晩に備えて毛布を1枚ゲットしよう」という意見が満場一致で採択されたのだった。
同時に、自慢の装備は真冬の道北・道央じゃムリっぽいな、ということも悟ったのであった。
(気づくのが遅いんでないかい? by陰の声)
そんなこんなで、すっかり予定よりも早い時間に目が冴えてしまった<Kussharo Factory>の全スタッフ。
あったかくなった車内で生気を取り戻し、「よし! 札幌へ向かうぞお!」と元気に出発した。
では続きはまた次回。
(…って、距離的にぜんぜん進んでないっしょ。再びby陰の声)
せっかく電気チェーンソーを使って薪作りを始めたっけさあ、雪が降ってきたもんだから。
感電したらマズいっしょ。説明書にも「雨天時や降雪時には使用しないでください」って書いてある。
たいして本数をちょさないうちにあきらめたさ。
早くやってしまわんと、シバレが入ってわやなんだけど。
それでもコーヒーブレイクだけはしっかりと。
外にある薪ストーブでも結構あったかいんでいっ。
そう。あのときは寒かったっけなあ。
20日の朝は「道の駅・樹海ロード日高」に停めた車の中で迎えた。
<Kussharo Factory>の視察旅行に際しては車中泊が基本である。
一応、目覚まし時計をセットして眠りについたのだが、鳴るはずの時間よりもかなり早めに目が覚めた。
なぜか?
顔が寒かったためである。
寝ぼけ眼で隣人を見ると、しっかり頭のてっぺんまでシュラフをかぶって熟睡しているではないか。
一定間隔で息が白く吐き出されるようすは、さながら深海魚…いや、違うな、水槽の中の魚みたいなもん?
「しまった…久しぶりの車中泊だったもんで基本を忘れていた…」
などと悔やみながら車の中を見回してみると、ガラスというガラスが曇って、もとい、凍り付いていた。
そう、外側が、ではなくて内側「も」凍っていたのである。
昨夜の吹雪はすっかりおさまって陽光が差し込んでいるのがわかった。
ほう、するってえと氷点下、それもかなりキビしい温度の中で寝ていたわけか。
ちなみに、スタッフAは−10℃まで対応(しかし、「あくまでも一般キャンプ用につき、山岳用ではありませーん」の但し書き付き)のシュラフを使用。
スタッフBは、一般キャンプ(しかも平地の)春夏秋用シュラフ+バージョンアップをはかるべくインナーを併用。
これで日本全国津々浦々、いかなる時季でも出かけて行くのである。
とはいえ、なんとか凍死はまぬがれる最低レベルの装備と思われるので、良い子の皆さまはあまりマネしないほうがよい。
まっ、とりあえず頭のてっぺんまでシュラフに突っ込んでもう一眠りするかあ、と何気なく足元に感じるぬくもりの源を見てパッチリ目が覚めてしまった。
げげっ!
わが子がガタガタと震えているではないか!

(参考写真。まったく参考になっていないと思うが)
事件である!
慌てて隣人に呼びかけた。
「エンジンをかけて、暖房をたくべ」
「うーん…いま何時? まだいいっしょ」
「わが子が寒さで震えてる」
「早くエンジンをかけれ!」
ふだんは家の中で、犬だけど猫かわいがりされまくり(ややこしいな)、ストーブの前が定位置というわが子なのだ。
寒い日は、散歩から帰ると真っ先にストーブの前に座り込むわが子なのだ。
こんな寒さには慣れていないのだ。
すまん。大人たちが悪かった(つくづく過保護&親バカ)。
即刻、緊急のスタッフミーティングが開かれ、「今晩に備えて毛布を1枚ゲットしよう」という意見が満場一致で採択されたのだった。
同時に、自慢の装備は真冬の道北・道央じゃムリっぽいな、ということも悟ったのであった。
(気づくのが遅いんでないかい? by陰の声)
そんなこんなで、すっかり予定よりも早い時間に目が冴えてしまった<Kussharo Factory>の全スタッフ。
あったかくなった車内で生気を取り戻し、「よし! 札幌へ向かうぞお!」と元気に出発した。
では続きはまた次回。
(…って、距離的にぜんぜん進んでないっしょ。再びby陰の声)
視察報告(11月19日)・白い魔物
2008年11月23日(日) 「ちら雪 ときどき 晴れ」の繰り返し
朝起きてからコーヒーを飲みつつ新聞に目を通し、さてそろそろ看板犬と散歩に出かけるかあ、と外を見ると、ちらちらと雪が降ってきた。
それでもわずかな晴れ間を見計らっては山へ出かけたり(まだ行ってるんかい)、薪ストーブで煮物をこさったり(北海道弁)、家の中の片づけをしたりと、なかなか有意義に過ごしたのである。
晴れたり雪が降ったり、雪が降ったり晴れたり。
忙しく天気が変わる一日であった。
まあ、これくらいの雪なんざあ、かわいいもんよ。
道東は本当に雪が少ない。
そうなのだ。
19日から21日まで、2泊3日と短い行程ながら札幌・旭川へ「視察」に出かけてきたのである。
というわけで、きょうからしばらくの間は視察報告にお付き合いください。
それは19日のことだった。
イチャルパの後片付け(の後片付け)も終わり、自宅で作ったラーメン(カップラーメンではない、という意)をすすりながら、「やれやれ、やっと一段落だ」と気を緩めていたのである。
正午前だったため、テレビの某公共放送では道内の天気予報が流れていた。
「旭川は向こう一週間、雪の日が続くでしょう…」みたいな内容が聞こえてきた。
続いて聞こえてきたのは「よし! 旭川へ行くぞ!」という内容。
その音声はテレビからではなく、目の前から発せられていた。
まあ、実際に旭川に行かねばならぬ理由はあった。それも11月1日から12月14日までの間に。
で、すでにこの時点でほぼ19日間が経過しており、12月1日から一週間くらいは別件の予定が入っている。
旭川に行くからには、ついでに札幌にも行きたい。
距離と方向的にいうと、ついでになるようなならないようなコースではあるが(弟子屈〜札幌〜旭川の場所がイメージできない方はご自分で地図を参照のこと)、遠出をするからには、という勢いが成せる錯覚である。
でもって、札幌や旭川といやあ、泣く子も黙る豪雪地帯である(もちろん北海道内に限って)。
できるだけ早い時期のほうがもろもろの危険度は確かに低いであろう。
うーむ。で、いつから行くんでい?
「いまから用意ができしだい出発だ!」
…………。
「夕方から出発して札幌に近づいておけば、翌日から丸一日が有効に使えるべ?」
まあ、確かに……。
すったもんだの挙句、4時30分ごろには準備が整ってしまったので、ゆかいな仲間・つるこちゃんに旅立ちのあいさつを−。
「札幌と旭川に行ってくる」
<Kussharo Factory>スタッフの突飛な発想には慣れているので、「あっ、そう」ってなもんである。
「心配するでない。今回の(視察)旅行、もとい視察(旅行)は3日、遅くても4日くらいで帰ってくる予定であるから…」
といい終わるか終わらないかのうちに、つるこちゃんはのたまった。
「水、落としたかい?」
…って、そっちの心配かい。
寒冷地以外にお住まいの方のために補足説明しておくと、水落としというのは水道管の中の水分を凍結、ひいては凍結による破裂が起きないように行う処理のことである。
水道の元栓を締め、なおかつ管に息を吹き込んだりして排水を促し、一滴たりとも水分を残さん! ぐらいの徹底さが大事。
水分が凍りつきそうな気温(氷点下)が続く環境が想定される際は、ぜーったいにやっておかねばならんのだ。でないと、予想外の出費がかさむことになる。
大声では言えんが、そういった一連の作業が面倒だっちゅー場合もしくは人だと、「3、4日ならストーブをつけっぱなしで(出かけて)いっかあ」という結論に達することもある。ちなみに<Kussharo Factory>としては実行したことがないが、いまどきのストーブは耐震装置が付いているので、そのような境地に至るのも理解できる。
だってえ、もっと寒い真冬に何日間か家を空けるとなったら保存野菜や電子機器の心配もせないかん。
そうなったら「えーい!面倒だあ!」ってなるっしょ。
いま時期はまだ、水道管の心配くらいで済むのである。
話がだいぶ逸れたが、もちろん水落としも済ませての出発である。
阿寒湖を経由して、上士幌、鹿追、清水町まで順調なドライブが続いた。そしていよいよ最大の関門・日勝峠へ。
それまではまったく降っていなかった雪が、峠を上り始めた途端、ご丁寧にも降ってきた。
しかも量は多いわ、粒は大きいわ、風は強くなるわ。
一般的にはこのような状況を「吹雪」もしくは「猛吹雪」もしくは「White out ホワイト アウト」という。
それにしても、慣れというのは恐ろしい。
大型トラックはそのような気象下でもガンガン攻め込んで行く。ちびっこ車としては、吹雪+追い抜かれざまの雪煙を浴びながら「ひょえー!」「げげっ!」と、あらんかぎりの感嘆符(?)を並べまくる始末。
車線なんかまったく見えん。
「対向車が来たあ!」
一方通行でない道路なんだから当たり前である。
「ぶつからないように祈れ!」
中央ラインはデコボコになっているから乗り上げたらわかるっしょ。
「阿寒横断道路だったら(吹雪でも)負けないんだが」
そのようなコメントはもはや負け犬の遠吠えである。
そんなこんなで午後10時過ぎ、日勝峠を下りたところにある「道の駅・樹海ロード日高」に到着。
できればもう少し先まで行きたかったが、心身ともに疲れ果て、ギャグにも精彩を欠く状態だったので無理をせずに今晩はここで車中泊することに決めた。
その約1時間後、19日の午後11時15分ごろ、日勝峠2合目付近で7台もの玉突き事故が起こり、一時通行止めになっていたということは、屈斜路に戻ってきてから知ったことである。
当時、<Kussharo Factory>のスタッフは全員全犬が爆睡中ZZZ。
そして翌朝、事件は起こったのである!
でも続きは次回に。
(とはいえ、あまり期待されても困るのだが…汗)
朝起きてからコーヒーを飲みつつ新聞に目を通し、さてそろそろ看板犬と散歩に出かけるかあ、と外を見ると、ちらちらと雪が降ってきた。
それでもわずかな晴れ間を見計らっては山へ出かけたり(まだ行ってるんかい)、薪ストーブで煮物をこさったり(北海道弁)、家の中の片づけをしたりと、なかなか有意義に過ごしたのである。
晴れたり雪が降ったり、雪が降ったり晴れたり。
忙しく天気が変わる一日であった。
まあ、これくらいの雪なんざあ、かわいいもんよ。
道東は本当に雪が少ない。
そうなのだ。
19日から21日まで、2泊3日と短い行程ながら札幌・旭川へ「視察」に出かけてきたのである。
というわけで、きょうからしばらくの間は視察報告にお付き合いください。
それは19日のことだった。
イチャルパの後片付け(の後片付け)も終わり、自宅で作ったラーメン(カップラーメンではない、という意)をすすりながら、「やれやれ、やっと一段落だ」と気を緩めていたのである。
正午前だったため、テレビの某公共放送では道内の天気予報が流れていた。
「旭川は向こう一週間、雪の日が続くでしょう…」みたいな内容が聞こえてきた。
続いて聞こえてきたのは「よし! 旭川へ行くぞ!」という内容。
その音声はテレビからではなく、目の前から発せられていた。
まあ、実際に旭川に行かねばならぬ理由はあった。それも11月1日から12月14日までの間に。
で、すでにこの時点でほぼ19日間が経過しており、12月1日から一週間くらいは別件の予定が入っている。
旭川に行くからには、ついでに札幌にも行きたい。
距離と方向的にいうと、ついでになるようなならないようなコースではあるが(弟子屈〜札幌〜旭川の場所がイメージできない方はご自分で地図を参照のこと)、遠出をするからには、という勢いが成せる錯覚である。
でもって、札幌や旭川といやあ、泣く子も黙る豪雪地帯である(もちろん北海道内に限って)。
できるだけ早い時期のほうがもろもろの危険度は確かに低いであろう。
うーむ。で、いつから行くんでい?
「いまから用意ができしだい出発だ!」
…………。
「夕方から出発して札幌に近づいておけば、翌日から丸一日が有効に使えるべ?」
まあ、確かに……。
すったもんだの挙句、4時30分ごろには準備が整ってしまったので、ゆかいな仲間・つるこちゃんに旅立ちのあいさつを−。
「札幌と旭川に行ってくる」
<Kussharo Factory>スタッフの突飛な発想には慣れているので、「あっ、そう」ってなもんである。
「心配するでない。今回の(視察)旅行、もとい視察(旅行)は3日、遅くても4日くらいで帰ってくる予定であるから…」
といい終わるか終わらないかのうちに、つるこちゃんはのたまった。
「水、落としたかい?」
…って、そっちの心配かい。
寒冷地以外にお住まいの方のために補足説明しておくと、水落としというのは水道管の中の水分を凍結、ひいては凍結による破裂が起きないように行う処理のことである。
水道の元栓を締め、なおかつ管に息を吹き込んだりして排水を促し、一滴たりとも水分を残さん! ぐらいの徹底さが大事。
水分が凍りつきそうな気温(氷点下)が続く環境が想定される際は、ぜーったいにやっておかねばならんのだ。でないと、予想外の出費がかさむことになる。
大声では言えんが、そういった一連の作業が面倒だっちゅー場合もしくは人だと、「3、4日ならストーブをつけっぱなしで(出かけて)いっかあ」という結論に達することもある。ちなみに<Kussharo Factory>としては実行したことがないが、いまどきのストーブは耐震装置が付いているので、そのような境地に至るのも理解できる。
だってえ、もっと寒い真冬に何日間か家を空けるとなったら保存野菜や電子機器の心配もせないかん。
そうなったら「えーい!面倒だあ!」ってなるっしょ。
いま時期はまだ、水道管の心配くらいで済むのである。
話がだいぶ逸れたが、もちろん水落としも済ませての出発である。
阿寒湖を経由して、上士幌、鹿追、清水町まで順調なドライブが続いた。そしていよいよ最大の関門・日勝峠へ。
それまではまったく降っていなかった雪が、峠を上り始めた途端、ご丁寧にも降ってきた。
しかも量は多いわ、粒は大きいわ、風は強くなるわ。
一般的にはこのような状況を「吹雪」もしくは「猛吹雪」もしくは「White out ホワイト アウト」という。
それにしても、慣れというのは恐ろしい。
大型トラックはそのような気象下でもガンガン攻め込んで行く。ちびっこ車としては、吹雪+追い抜かれざまの雪煙を浴びながら「ひょえー!」「げげっ!」と、あらんかぎりの感嘆符(?)を並べまくる始末。
車線なんかまったく見えん。
「対向車が来たあ!」
一方通行でない道路なんだから当たり前である。
「ぶつからないように祈れ!」
中央ラインはデコボコになっているから乗り上げたらわかるっしょ。
「阿寒横断道路だったら(吹雪でも)負けないんだが」
そのようなコメントはもはや負け犬の遠吠えである。
そんなこんなで午後10時過ぎ、日勝峠を下りたところにある「道の駅・樹海ロード日高」に到着。
できればもう少し先まで行きたかったが、心身ともに疲れ果て、ギャグにも精彩を欠く状態だったので無理をせずに今晩はここで車中泊することに決めた。
その約1時間後、19日の午後11時15分ごろ、日勝峠2合目付近で7台もの玉突き事故が起こり、一時通行止めになっていたということは、屈斜路に戻ってきてから知ったことである。
当時、<Kussharo Factory>のスタッフは全員全犬が爆睡中ZZZ。
そして翌朝、事件は起こったのである!
でも続きは次回に。
(とはいえ、あまり期待されても困るのだが…汗)
屈斜路コタンのイチャルパ
2008年11月17日(月) 小雨 ときどき くもり
<cise>(アイヌの)住居には必ず、<apeoi>囲炉裏と<kamuy puyar>神窓(東の方角)がある。
神窓に最も近い<inunpe>炉端が神座となり、<icharpa>先祖供養祭ではそこに男性たちが心をこめて削り出した<inaw>木幣や<tuk>高杯、<ikupasuy>儀式用の酒箸といった祭具、<tonoto>酒の入った<sintoko>行器=蓋付きの桶とともに、女性たちが心をこめて作った料理などが置かれる。

午前10時、第15回目となる屈斜路コタンの先祖供養祭が厳かな雰囲気のなかで始まった。
囲炉裏を挟み、神窓に向かって左側の<siso>右座手前から祭主、副祭主をはじめとする主催者側が、右側の<harkiso>左座手前から来賓が着座する。
まずは、家の中にあって最も大切な神とされる<ape huci kamuy>火の媼神に、「ただいまから先祖を供養するための儀式を執り行います。一生懸命努めますので、どうぞ最後まで温かくお見守りください」という意味を込め、炉端の四隅に塩を盛り、<siamam>米、塩、刻みたばこ、<sirari>酒かす、干した<pukusa>ギョウジャニンニクが捧げられる。
続いて行われるのは、<huci>媼が一週間ほど前から仕込んでおいた酒の吟味だ。
じっくりと味わった男性から「<pirika tonoto>良い出来栄えの酒だ!」という判断が下ると、女性の間からはほっとした空気が漂う。
<kamuy nomi>神々への祈りの言葉が静かに流れ、言霊とはこういうものなのだなとしみじみ感じることができる。
チセでは、<cise apa>入り口や四隅、<swat>炉かぎ、そして<ikor>宝物や神窓といった大事な箇所にイナウが捧げてある。昨年のイナウを新しいイナウと取り替え、一年間の感謝とこれからの一年間の安全を祈願するのだ。
これら一連の儀式を終えると、男性の手によってイナウや供物が神窓から外の<nusa>祭壇へと運び出される。
祭壇に捧げられるイナウには<supe>脚が付けられた後、削りかけに酒を浸し、<itokpa>家に代々伝わる男刻印に付け添えられることで初めて、イナウに魂が籠るのである。
火の媼神を通じて<wakka usi kamuy>水の神に祈りを捧げ、<huci nomi>媼による神々への祈りが行われると、女性たちの先祖供養が始まる。
供物となる食べ物を作った女性自身がまず口に含み、故人の名を呼びかけながら、遠い祖先も近い祖先もともに食べてくださいという願いを込めて進められる。
食事の後は余興へ−。
<utar hopunpare wa rimusere yan>みんな立ち上がって踊りましょう!というタイトルの<rimse>踊りを歌い、踊る。歌声は、屈斜路湖で羽を休める白鳥の鳴き声とともに火の媼神の煙と相まって天高く昇ってゆく。
屈斜路コタンでは、先祖供養祭が終わるといよいよ冬の始まりである。
<cise>(アイヌの)住居には必ず、<apeoi>囲炉裏と<kamuy puyar>神窓(東の方角)がある。
神窓に最も近い<inunpe>炉端が神座となり、<icharpa>先祖供養祭ではそこに男性たちが心をこめて削り出した<inaw>木幣や<tuk>高杯、<ikupasuy>儀式用の酒箸といった祭具、<tonoto>酒の入った<sintoko>行器=蓋付きの桶とともに、女性たちが心をこめて作った料理などが置かれる。

午前10時、第15回目となる屈斜路コタンの先祖供養祭が厳かな雰囲気のなかで始まった。
囲炉裏を挟み、神窓に向かって左側の<siso>右座手前から祭主、副祭主をはじめとする主催者側が、右側の<harkiso>左座手前から来賓が着座する。
まずは、家の中にあって最も大切な神とされる<ape huci kamuy>火の媼神に、「ただいまから先祖を供養するための儀式を執り行います。一生懸命努めますので、どうぞ最後まで温かくお見守りください」という意味を込め、炉端の四隅に塩を盛り、<siamam>米、塩、刻みたばこ、<sirari>酒かす、干した<pukusa>ギョウジャニンニクが捧げられる。
続いて行われるのは、<huci>媼が一週間ほど前から仕込んでおいた酒の吟味だ。
じっくりと味わった男性から「<pirika tonoto>良い出来栄えの酒だ!」という判断が下ると、女性の間からはほっとした空気が漂う。
<kamuy nomi>神々への祈りの言葉が静かに流れ、言霊とはこういうものなのだなとしみじみ感じることができる。
チセでは、<cise apa>入り口や四隅、<swat>炉かぎ、そして<ikor>宝物や神窓といった大事な箇所にイナウが捧げてある。昨年のイナウを新しいイナウと取り替え、一年間の感謝とこれからの一年間の安全を祈願するのだ。
これら一連の儀式を終えると、男性の手によってイナウや供物が神窓から外の<nusa>祭壇へと運び出される。
祭壇に捧げられるイナウには<supe>脚が付けられた後、削りかけに酒を浸し、<itokpa>家に代々伝わる男刻印に付け添えられることで初めて、イナウに魂が籠るのである。
火の媼神を通じて<wakka usi kamuy>水の神に祈りを捧げ、<huci nomi>媼による神々への祈りが行われると、女性たちの先祖供養が始まる。
供物となる食べ物を作った女性自身がまず口に含み、故人の名を呼びかけながら、遠い祖先も近い祖先もともに食べてくださいという願いを込めて進められる。
食事の後は余興へ−。
<utar hopunpare wa rimusere yan>みんな立ち上がって踊りましょう!というタイトルの<rimse>踊りを歌い、踊る。歌声は、屈斜路湖で羽を休める白鳥の鳴き声とともに火の媼神の煙と相まって天高く昇ってゆく。
屈斜路コタンでは、先祖供養祭が終わるといよいよ冬の始まりである。
受け継がれるもの
2008年11月16日(日) 小雨まじりのくもり ときどき 晴れ
「いやあ、雨でよかったねえ。雪でなくて。あったかいし」、というような天気の1日であった。
年に1度の<icharpa>先祖供養祭を明日に控え、屈斜路コタンの住人は大忙し(やや誇張)である。
男性たちは、儀式に欠かせない祭具である<inawke>イナウ削り。
神々がアイヌからもらう最も喜ぶ贈り物であるといわれるだけに、心をこめて作らなければならない。
捧げる神によって形や大きさの違う<inaw>木幣数種類を全部で100本近く削り出すのだ。
<inaw>の材料としては、おもにヤナギやミズキの木が適しているといわれるが、とくに生命力が強く、集めやすいことからヤナギが多く利用される。1週間ほど前に伐っておき、樹皮をむいてほどよく乾燥させておいた木を使う。
そして、ひと削りひと削り、心をこめて<inawkemakiri>イナウ削り用の小刀で木を削るのである。
「それにしても、最初にこの<inaw>を考えた人ってのは、たいしたもんだなや」
「んだな」
女性たちは、供える食べ物を調理する。屈斜路コタンでは、
<amam>穀類を炊いたごはん:米と<menkru>いなきび、種をとって乾燥させた<maw>ハマナスの実、細かく刻んで乾燥させた<pukusa>ギョウジャニンニクなどを合わせて炊く。
<rataskep>煮物:<sikerepe>シコロの実とかぼちゃを一緒に煮た<sikerepe rataskep>と、じゃがいもと<ciporo>イクラを混ぜた<ciporo rataskep>を用意。
そして、<kamuy chup>鮭、<sito>団子、<tonoto>酒、<nikaop>木の実=果物等、<topenpe>甘いもの=菓子等を先祖たちに味わってもらうのだ。
準備を進めつつ、ときには故人の思い出話で盛り上がりながら、年下は年上の人たちに教わっていくのである。
「いやあ、雨でよかったねえ。雪でなくて。あったかいし」、というような天気の1日であった。
年に1度の<icharpa>先祖供養祭を明日に控え、屈斜路コタンの住人は大忙し(やや誇張)である。
男性たちは、儀式に欠かせない祭具である<inawke>イナウ削り。
神々がアイヌからもらう最も喜ぶ贈り物であるといわれるだけに、心をこめて作らなければならない。
捧げる神によって形や大きさの違う<inaw>木幣数種類を全部で100本近く削り出すのだ。
<inaw>の材料としては、おもにヤナギやミズキの木が適しているといわれるが、とくに生命力が強く、集めやすいことからヤナギが多く利用される。1週間ほど前に伐っておき、樹皮をむいてほどよく乾燥させておいた木を使う。
そして、ひと削りひと削り、心をこめて<inawkemakiri>イナウ削り用の小刀で木を削るのである。
「それにしても、最初にこの<inaw>を考えた人ってのは、たいしたもんだなや」
「んだな」
女性たちは、供える食べ物を調理する。屈斜路コタンでは、
<amam>穀類を炊いたごはん:米と<menkru>いなきび、種をとって乾燥させた<maw>ハマナスの実、細かく刻んで乾燥させた<pukusa>ギョウジャニンニクなどを合わせて炊く。
<rataskep>煮物:<sikerepe>シコロの実とかぼちゃを一緒に煮た<sikerepe rataskep>と、じゃがいもと<ciporo>イクラを混ぜた<ciporo rataskep>を用意。
そして、<kamuy chup>鮭、<sito>団子、<tonoto>酒、<nikaop>木の実=果物等、<topenpe>甘いもの=菓子等を先祖たちに味わってもらうのだ。
準備を進めつつ、ときには故人の思い出話で盛り上がりながら、年下は年上の人たちに教わっていくのである。
めぐる1年
2008年11月15日(土) くもり
1年に1度行われる屈斜路コタンの<icharpa>先祖供養祭を明後日に控え、女性陣は<sito>団子作りを行った。
イチャルパとは、イ=もの、チャルパ=撒く、という意味をもつ。
現在の屈斜路コタンでは年に1度となってしまったが、そもそも盛大に行う儀式である一方で、なにか珍しい食べ物が手に入ったときやたくさんごちそうを作ったときなどに、この世の人間だけでなく<kamuy mosir>神の国で暮らす先祖たちにも味わってもらおうということで、簡単なイチャルパはひんぱんに行われていたという。
自分の名前や先祖の名前を呼びながら、お供え物について説明し、手で割ったり、ちぎったりして<nusa>祭壇の地面に撒く。もとの形をなくすことは、すなわちその物に入っていた魂が抜けて天へと昇り、天に到着すると現世の6倍にもなって届くと信じられていた。
もともと、アイヌには墓参りという習慣がなかった。
人が死ぬと、場所を「この世」から「神の国」に移すだけで生活内容は変わらないと信じていたので、死者を埋葬する墓地はあったが、先祖たちの生活を騒がせてはいけないと墓地へ行くことはほとんどなかったという。
その代わりに行われたのが<icharpa>であり、<kamuy nomi>神々への祈りが男の役目、男の仕事であるのに対し、<icharpa>が女の役目、女の仕事と言われる所以である。
<sito>は<icharpa>に限らず、儀式には欠かせないものだという。
あわやいなきびといった穀物で作っていたが、米が自由に入手できる時代になると上新粉なども使われるように。
屈斜路コタンでは上新粉と白玉粉を利用している。
少しずつ湯を加えながらこね、ドーナツ状の<sito>と、直径3cmくらいの小さな丸い<sito>を形作る。

どちらも熱湯で茹でた後、水にとって冷やすと同時に表面のぬめりを流す。

そして、水気を切って表面を乾かすのだ。

明日はいよいよ、丸1日をかけて男性陣は<inawke>イナウ削り、女性陣は供える料理を調える。
屈斜路コタンの住人は、<icharpa>の準備を進めながら、「1年という時間が流れるのは早いなあ」としみじみ感じるのである。
1年に1度行われる屈斜路コタンの<icharpa>先祖供養祭を明後日に控え、女性陣は<sito>団子作りを行った。
イチャルパとは、イ=もの、チャルパ=撒く、という意味をもつ。
現在の屈斜路コタンでは年に1度となってしまったが、そもそも盛大に行う儀式である一方で、なにか珍しい食べ物が手に入ったときやたくさんごちそうを作ったときなどに、この世の人間だけでなく<kamuy mosir>神の国で暮らす先祖たちにも味わってもらおうということで、簡単なイチャルパはひんぱんに行われていたという。
自分の名前や先祖の名前を呼びながら、お供え物について説明し、手で割ったり、ちぎったりして<nusa>祭壇の地面に撒く。もとの形をなくすことは、すなわちその物に入っていた魂が抜けて天へと昇り、天に到着すると現世の6倍にもなって届くと信じられていた。
もともと、アイヌには墓参りという習慣がなかった。
人が死ぬと、場所を「この世」から「神の国」に移すだけで生活内容は変わらないと信じていたので、死者を埋葬する墓地はあったが、先祖たちの生活を騒がせてはいけないと墓地へ行くことはほとんどなかったという。
その代わりに行われたのが<icharpa>であり、<kamuy nomi>神々への祈りが男の役目、男の仕事であるのに対し、<icharpa>が女の役目、女の仕事と言われる所以である。
<sito>は<icharpa>に限らず、儀式には欠かせないものだという。
あわやいなきびといった穀物で作っていたが、米が自由に入手できる時代になると上新粉なども使われるように。
屈斜路コタンでは上新粉と白玉粉を利用している。
少しずつ湯を加えながらこね、ドーナツ状の<sito>と、直径3cmくらいの小さな丸い<sito>を形作る。

どちらも熱湯で茹でた後、水にとって冷やすと同時に表面のぬめりを流す。

そして、水気を切って表面を乾かすのだ。

明日はいよいよ、丸1日をかけて男性陣は<inawke>イナウ削り、女性陣は供える料理を調える。
屈斜路コタンの住人は、<icharpa>の準備を進めながら、「1年という時間が流れるのは早いなあ」としみじみ感じるのである。
天と地
2008年11月13日(木) 晴れ
まずは訂正から。
11月11日のブログ中に書いた「モチモチの木に火が灯る」日は、霜月20日ではなくて霜月3日(の丑三つ時)とのこと。
17日もズレておりました。
なぜ3日が20日と記憶されたのかについてはさっぱりわかりませんが、ゆかいな仲間・Yちゃんのお陰で、たぶん、もう一生忘れないと思う。
すんません。お詫びして訂正いたします。友人知人に言い広めてしまった方々は、急ぎ訂正に回ってください。
たぶん被害者は皆無だと思うけど。
なんてったって、「モチモチの木」によって「せっちん」という単語および意味を初めて知ったという、ありがたい本なのだ。思い入れはひとしおなんである。
ついでに。
あくまでもイメージとしてなのだが、この「モチモチの木に火が灯る日」というのがどうも満月の晩のような気がしてならないのである。
偶然にも今宵は満月(決して話の前フリではないぞ! 偶然なのだ)。
なんとなーく夜空を見上げてみると。
およっ!? 月の回りに暈がかかっているぞ。

月暈−「つきがさ」「げつうん」とも呼ばれる。
太陽や月に薄い雲がかかったとき、その周囲に光の輪が見える現象のことだ。
そもそも雲は氷の粒によって形成されるわけだが、それらがプリズムとして働き、光がその氷の粒の中を通りぬける際に屈折することで発生するという。
フレームの中に全体が入りきらなかったのは残念であった。
さて−。
きょうは「リス日和」だった。
まずは<Kussharo Factory>の看板犬との朝の散歩中。
ちなみに看板犬はウサギ狩りを得意とするビーグルの血を引いている。なので、ちょっとでも動いているモノには敏感に反応する。
てくてく、とことこ。
ゴキゲンに歩を進めていた看板犬だったが、いきなりスイッチが入った!
興奮気味に見つめるその視線の先には、<niyou>エゾリスの姿。

すっかり葉が落ちてしまった木から木へ、身軽に飛び移るさまはカワイイもんである。
厳しい冬を前に彼らも急がしそうに森の中を駆け回っている。
そう、<Kussharo Factory>のスタッフだって森の中を駆け回りたい。
これまでは「山菜を採りに」とか「きのこを探しに」とか「ぶどうを集めに」などなど目的があってこそ山に行っていたのだが、もはやこの時期になると目的もなくなってくるのである。
「とりあえず、行ってみるべ」
「おう!」
結局、目的なんてどーでもいいのであった。
そこに山があるから行くんである。
某林道を走っていると、なにやら視界に動くモノが入った。
<ruo cironnup=ru(縞)o(ついている)ci(我々が)ronnu(どっさり殺す)p(もの)>エゾシマリスだ。

なんとも過激な意味を持つ単語だが、どっさり殺すというのは獲物として狩猟したためであり、アイヌは自戒の念も含めて命名したのではないだろうか。
単に<cironnup>といえば、キタキツネを指す。キタキツネもアイヌにとっては肉も毛皮も有益なものであったことは間違いない。
<niyou>に比べて体つきはだいぶ小さい。
<niyou>が冬眠しないのに対し、<ruo cironnup>はしっかり冬眠する。
かなりせわしくチョロチョロしていたが、離れていくようすもない。
人馴れしていないことが妙にうれしい。よしよし。
このあとも、また<niyou>を見たりして、とにかくよくリスに会う1日であった。
ちなみに、少なくとも昔のアイヌにとって<niyou>はあまり好ましい存在ではなかったようだ。
地方によってその言い伝えは違えど、
「猟に行くときに<niyou>の姿を見たら猟は止めたほうがいい」
「<niyou>が家のそばまで来て歩いて山へ逃げていったら、その家は滅びる」
など、結構な悪モノである。
「リスが住める森があるんだからいいべさ」
−昔のアイヌにそう言ったら、眉をしかめられるだろうか。
まずは訂正から。
11月11日のブログ中に書いた「モチモチの木に火が灯る」日は、霜月20日ではなくて霜月3日(の丑三つ時)とのこと。
17日もズレておりました。
なぜ3日が20日と記憶されたのかについてはさっぱりわかりませんが、ゆかいな仲間・Yちゃんのお陰で、たぶん、もう一生忘れないと思う。
すんません。お詫びして訂正いたします。友人知人に言い広めてしまった方々は、急ぎ訂正に回ってください。
たぶん被害者は皆無だと思うけど。
なんてったって、「モチモチの木」によって「せっちん」という単語および意味を初めて知ったという、ありがたい本なのだ。思い入れはひとしおなんである。
ついでに。
あくまでもイメージとしてなのだが、この「モチモチの木に火が灯る日」というのがどうも満月の晩のような気がしてならないのである。
偶然にも今宵は満月(決して話の前フリではないぞ! 偶然なのだ)。
なんとなーく夜空を見上げてみると。
およっ!? 月の回りに暈がかかっているぞ。

月暈−「つきがさ」「げつうん」とも呼ばれる。
太陽や月に薄い雲がかかったとき、その周囲に光の輪が見える現象のことだ。
そもそも雲は氷の粒によって形成されるわけだが、それらがプリズムとして働き、光がその氷の粒の中を通りぬける際に屈折することで発生するという。
フレームの中に全体が入りきらなかったのは残念であった。
さて−。
きょうは「リス日和」だった。
まずは<Kussharo Factory>の看板犬との朝の散歩中。
ちなみに看板犬はウサギ狩りを得意とするビーグルの血を引いている。なので、ちょっとでも動いているモノには敏感に反応する。
てくてく、とことこ。
ゴキゲンに歩を進めていた看板犬だったが、いきなりスイッチが入った!
興奮気味に見つめるその視線の先には、<niyou>エゾリスの姿。

すっかり葉が落ちてしまった木から木へ、身軽に飛び移るさまはカワイイもんである。
厳しい冬を前に彼らも急がしそうに森の中を駆け回っている。
そう、<Kussharo Factory>のスタッフだって森の中を駆け回りたい。
これまでは「山菜を採りに」とか「きのこを探しに」とか「ぶどうを集めに」などなど目的があってこそ山に行っていたのだが、もはやこの時期になると目的もなくなってくるのである。
「とりあえず、行ってみるべ」
「おう!」
結局、目的なんてどーでもいいのであった。
そこに山があるから行くんである。
某林道を走っていると、なにやら視界に動くモノが入った。
<ruo cironnup=ru(縞)o(ついている)ci(我々が)ronnu(どっさり殺す)p(もの)>エゾシマリスだ。

なんとも過激な意味を持つ単語だが、どっさり殺すというのは獲物として狩猟したためであり、アイヌは自戒の念も含めて命名したのではないだろうか。
単に<cironnup>といえば、キタキツネを指す。キタキツネもアイヌにとっては肉も毛皮も有益なものであったことは間違いない。
<niyou>に比べて体つきはだいぶ小さい。
<niyou>が冬眠しないのに対し、<ruo cironnup>はしっかり冬眠する。
かなりせわしくチョロチョロしていたが、離れていくようすもない。
人馴れしていないことが妙にうれしい。よしよし。
このあとも、また<niyou>を見たりして、とにかくよくリスに会う1日であった。
ちなみに、少なくとも昔のアイヌにとって<niyou>はあまり好ましい存在ではなかったようだ。
地方によってその言い伝えは違えど、
「猟に行くときに<niyou>の姿を見たら猟は止めたほうがいい」
「<niyou>が家のそばまで来て歩いて山へ逃げていったら、その家は滅びる」
など、結構な悪モノである。
「リスが住める森があるんだからいいべさ」
−昔のアイヌにそう言ったら、眉をしかめられるだろうか。
眩いばかりの
2008年11月11日(火) 晴れ
ここ数日の間、吹き荒れた風がいかにスゴかったかというと。

こんな太い木が根元からバキッ! っとなるくらい。
<Kussharo Factory>看板犬との散歩コースに伸びている木柵の何箇所かでは、倒れた木が直撃したことにより破壊されているところも。
いやあ、<wen rera=wen(悪い)rera(風)>の威力たるや、恐るべし。
そんな中、なにがホッとしたかって、あーた!
積み上げた薪が崩れなかったことである。
きょうは「久しぶりだなあ」と声に出すくらい、朝から風もなく穏やかな小春日和なのであった。
こんな日に、<Kussharo Factory>のスタッフがおとなしくしているわけがない。
「山へ行くぞ〜!」
「おう!」
出会った瞬間、<Kussharo Factory>のモノ拾い担当(薪も拾うし、<sikerepe>シコロの実も拾う)は感嘆の声を挙げた。
「うわあ! モチモチの木だあ!」

小学生のころに読んだ絵本の名作。切り絵で表現された、じさまと豆太の顔はちと不気味ではあったが(作者さん、ごめんなさい)何が美しかったかって、あーた!
モチモチの木に火が灯っているシーン。見開きの大迫力は実物の本が手元にない今でも思い出すことができる。
もちろん、あれほどのハデさはないけれどイメージがモロかぶり。
あの場面も寒い頃の出来事だったはず。確か、霜月20日に見られるという伝説に基づいていたとかなんとか…。
雲ひとつない青空に映える<sikerepe>は、同じくらいに輝いて見えたのであった。
今シーズンだけでも何度か<sikerepe>採りに行っている。
どの木が良いとか悪いとかでは決してなく、すべてが山からの贈り物なのだが、それでも今日の<sikerepeni=sikerepe(シコロ)ni(木)>シコロの木は見事だった。
<Kussharo Factory>の木登り担当は、本領を発揮してスルスルと上へ。現代を生きる採集狩猟民族としては、高枝ばさみを器用に操ってパチン、パチンと実のついた小枝を切り落として行く。
便利な世の中になったものじゃ。

危ないですから良い子の皆さんはマネしないように。
無造作に切り落とされた小枝を、拾う方もたいへんだ。
たいてい下にはササが胸元から背丈くらいの高さまで生い茂っている。その中に紛れ込むもんだから、掻き分け掻き分け。しかも地面まで落ちるものもあるし、ササの途中でひっかかるものもある。

で、大収穫。

山の神さま、イヤイライケレー!
屈斜路コタンではもうすぐ、年に一度の<ityarupa>先祖供養祭が行われる予定になっている。
<sikerepe>とカボチャを一緒に炊いた<sikerepe ratasikep>は儀式には欠かせない料理のひとつである。
苦味95%甘味5%(<Kussharo Factory>のスタッフによる感覚)という、なんともいえない風味を持つ食べ物である。
ちなみに。
大声ではいえないが、<Kussharo Factory>のスタッフが<sikerepe ratasikep>を食べるときは、<sikerepe>を除けて口にする…。
それはつまり、「単なるかぼちゃの煮物」ともいうのだが。
ここ数日の間、吹き荒れた風がいかにスゴかったかというと。

こんな太い木が根元からバキッ! っとなるくらい。
<Kussharo Factory>看板犬との散歩コースに伸びている木柵の何箇所かでは、倒れた木が直撃したことにより破壊されているところも。
いやあ、<wen rera=wen(悪い)rera(風)>の威力たるや、恐るべし。
そんな中、なにがホッとしたかって、あーた!
積み上げた薪が崩れなかったことである。
きょうは「久しぶりだなあ」と声に出すくらい、朝から風もなく穏やかな小春日和なのであった。
こんな日に、<Kussharo Factory>のスタッフがおとなしくしているわけがない。
「山へ行くぞ〜!」
「おう!」
出会った瞬間、<Kussharo Factory>のモノ拾い担当(薪も拾うし、<sikerepe>シコロの実も拾う)は感嘆の声を挙げた。
「うわあ! モチモチの木だあ!」

小学生のころに読んだ絵本の名作。切り絵で表現された、じさまと豆太の顔はちと不気味ではあったが(作者さん、ごめんなさい)何が美しかったかって、あーた!
モチモチの木に火が灯っているシーン。見開きの大迫力は実物の本が手元にない今でも思い出すことができる。
もちろん、あれほどのハデさはないけれどイメージがモロかぶり。
あの場面も寒い頃の出来事だったはず。確か、霜月20日に見られるという伝説に基づいていたとかなんとか…。
雲ひとつない青空に映える<sikerepe>は、同じくらいに輝いて見えたのであった。
今シーズンだけでも何度か<sikerepe>採りに行っている。
どの木が良いとか悪いとかでは決してなく、すべてが山からの贈り物なのだが、それでも今日の<sikerepeni=sikerepe(シコロ)ni(木)>シコロの木は見事だった。
<Kussharo Factory>の木登り担当は、本領を発揮してスルスルと上へ。現代を生きる採集狩猟民族としては、高枝ばさみを器用に操ってパチン、パチンと実のついた小枝を切り落として行く。
便利な世の中になったものじゃ。

危ないですから良い子の皆さんはマネしないように。
無造作に切り落とされた小枝を、拾う方もたいへんだ。
たいてい下にはササが胸元から背丈くらいの高さまで生い茂っている。その中に紛れ込むもんだから、掻き分け掻き分け。しかも地面まで落ちるものもあるし、ササの途中でひっかかるものもある。

で、大収穫。

山の神さま、イヤイライケレー!
屈斜路コタンではもうすぐ、年に一度の<ityarupa>先祖供養祭が行われる予定になっている。
<sikerepe>とカボチャを一緒に炊いた<sikerepe ratasikep>は儀式には欠かせない料理のひとつである。
苦味95%甘味5%(<Kussharo Factory>のスタッフによる感覚)という、なんともいえない風味を持つ食べ物である。
ちなみに。
大声ではいえないが、<Kussharo Factory>のスタッフが<sikerepe ratasikep>を食べるときは、<sikerepe>を除けて口にする…。
それはつまり、「単なるかぼちゃの煮物」ともいうのだが。
ドタバタ冬じたく
2008年11月9日(日) くもり 相変わらずの強風
一昨日の夜、<Kussharo Factory>のフレンドリープレイス・阿寒湖アイヌコタンでゆかいな仲間たちと「道東観光の活性化」についてアツい議論を交わしていると、空から何かが落ちてくるのである。
空から落ちてくるというだけでも、たいていの方は「雪」を思い浮かべるんであろうが、阿寒湖アイヌコタンの場合は夜、聖火台のように薪を燃やしているスペースがあるので「灰だべ」ということで一時的に話は落ち着いたのであった。
しかしさすがに、落ちてくる白いモノの勢いがみるみる増したもんだから、やっと「こりゃあ、雪だ」ということにその場に居合わせた皆々は理解したのであった。

…遅いんでないかい?
阿寒湖から屈斜路湖までは阿寒横断道路という峠道を通らねばならん。
想像どおり、平地(といっても阿寒湖だったら標高5〜600mくらい!?)で降っている雪がさらに標高の高いところで降っていないわけがないのであり、改めてスタッドレスタイヤの威力を垣間見たのであった。
「あっ、ワイパーを冬用に交換するのを忘れてる」
「……」
でもって、昨日の未明にかけては屈斜路の地にもうっすらと雪が積もったのである。
朝起きた時点で、すでに日陰以外はほとんど解けてしまっていたのだが(そりゃあ、驚くほど早い時間に起きたわけではないけど、驚くほど遅い時間に起きたわけでもない)、なんとか屈斜路湖畔にある<nusa>祭壇の周りにうっすらと白っぽいものが見える…のがおわかりいただければ幸いである。はい。

ただでさえ頑張っていた薪拾い&薪割りも、こうなるといよいよ焦ってくるのであった。
「うりゃ!」「とりゃ!」と<Kussharo Factory>の木彫り、もとい、きこり担当が斧を振り下ろすそばから、<Kussharo Factory>の薪積み担当はえっさほっさと薪を運んでは薪を積み上げ、積み上げては崩し、リカバリーしたつもりがさらに崩れ…って、ぜんぜん積み上がらんべや!
はああああ、こわいこわい(=北海道弁で「疲れる」の意)。
その合間に、山へ<hat>ヤマブドウを採りに行かねばならんし、
<punup>イケマの根を掘らねばならんし、

<sikerpe>キハダの木の実を採りに行かねばならんし。

そう、キハダの木は優れものですぜ。
内皮が名前のとおり、本当にきれいな黄色なのだが、胃薬として用いられた。そして実は儀式の際の料理に使ったり、風邪をひいたときには煮詰めて飲んだ…というか、いまでもしっかり利用されているのである。
松浦武四郎翁の記録によると、十勝の元札内付近にキハダの樹皮でふかれている<cise>住居があったとも。
分刻みで山での用事を済ませたあとは、そうだ、スズメバチ防御ネットも外さねばならん。ネット類は雪が積もったり雪が張り付いたりしたら重みで破れたりするから、外せるものは外しておいたほうがいいのである。
はああああ、もう、わや(=北海道弁で「たいへんだあ」の意)。
ちなみに、そんなに忙しいそうで店はいつ開けてるの? とご心配くださっている方々がいらっしゃるやもしれんのでご説明申し上げると、屈斜路コタン本店はすでに冬期休業に入っております。
正確にいうと、冬期になる前から休業に入っております。
とりあえず今日の今日までどなたからも「(店に)行ったのに開いていなかった!」という苦情は受けておりませんので、誰にもご迷惑をおかけしていないということがせめてもの…。
そうか、誰もいないのか(号泣)。
来年に向けて、「あんなの作ってみるか」「こんなのもいいんでないかい?」と妄想だけは壮大に広がっておりますので、なにとぞ温かい目で見守っていただけると幸いです。
一昨日の夜、<Kussharo Factory>のフレンドリープレイス・阿寒湖アイヌコタンでゆかいな仲間たちと「道東観光の活性化」についてアツい議論を交わしていると、空から何かが落ちてくるのである。
空から落ちてくるというだけでも、たいていの方は「雪」を思い浮かべるんであろうが、阿寒湖アイヌコタンの場合は夜、聖火台のように薪を燃やしているスペースがあるので「灰だべ」ということで一時的に話は落ち着いたのであった。
しかしさすがに、落ちてくる白いモノの勢いがみるみる増したもんだから、やっと「こりゃあ、雪だ」ということにその場に居合わせた皆々は理解したのであった。

…遅いんでないかい?
阿寒湖から屈斜路湖までは阿寒横断道路という峠道を通らねばならん。
想像どおり、平地(といっても阿寒湖だったら標高5〜600mくらい!?)で降っている雪がさらに標高の高いところで降っていないわけがないのであり、改めてスタッドレスタイヤの威力を垣間見たのであった。
「あっ、ワイパーを冬用に交換するのを忘れてる」
「……」
でもって、昨日の未明にかけては屈斜路の地にもうっすらと雪が積もったのである。
朝起きた時点で、すでに日陰以外はほとんど解けてしまっていたのだが(そりゃあ、驚くほど早い時間に起きたわけではないけど、驚くほど遅い時間に起きたわけでもない)、なんとか屈斜路湖畔にある<nusa>祭壇の周りにうっすらと白っぽいものが見える…のがおわかりいただければ幸いである。はい。

ただでさえ頑張っていた薪拾い&薪割りも、こうなるといよいよ焦ってくるのであった。
「うりゃ!」「とりゃ!」と<Kussharo Factory>の木彫り、もとい、きこり担当が斧を振り下ろすそばから、<Kussharo Factory>の薪積み担当はえっさほっさと薪を運んでは薪を積み上げ、積み上げては崩し、リカバリーしたつもりがさらに崩れ…って、ぜんぜん積み上がらんべや!
はああああ、こわいこわい(=北海道弁で「疲れる」の意)。
その合間に、山へ<hat>ヤマブドウを採りに行かねばならんし、
<punup>イケマの根を掘らねばならんし、

<sikerpe>キハダの木の実を採りに行かねばならんし。

そう、キハダの木は優れものですぜ。
内皮が名前のとおり、本当にきれいな黄色なのだが、胃薬として用いられた。そして実は儀式の際の料理に使ったり、風邪をひいたときには煮詰めて飲んだ…というか、いまでもしっかり利用されているのである。
松浦武四郎翁の記録によると、十勝の元札内付近にキハダの樹皮でふかれている<cise>住居があったとも。
分刻みで山での用事を済ませたあとは、そうだ、スズメバチ防御ネットも外さねばならん。ネット類は雪が積もったり雪が張り付いたりしたら重みで破れたりするから、外せるものは外しておいたほうがいいのである。
はああああ、もう、わや(=北海道弁で「たいへんだあ」の意)。
ちなみに、そんなに忙しいそうで店はいつ開けてるの? とご心配くださっている方々がいらっしゃるやもしれんのでご説明申し上げると、屈斜路コタン本店はすでに冬期休業に入っております。
正確にいうと、冬期になる前から休業に入っております。
とりあえず今日の今日までどなたからも「(店に)行ったのに開いていなかった!」という苦情は受けておりませんので、誰にもご迷惑をおかけしていないということがせめてもの…。
そうか、誰もいないのか(号泣)。
来年に向けて、「あんなの作ってみるか」「こんなのもいいんでないかい?」と妄想だけは壮大に広がっておりますので、なにとぞ温かい目で見守っていただけると幸いです。
2つのニュース
2008年11月5日(水) 晴れ
【その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました】
アイヌ文学者と称される知里幸恵は、1922(大正11)年に(人の助けを借りたとはいえ)19歳という若さで「アイヌ神謡集」を著した。
祖母や伯母がカムイユカラ(アイヌ独自の口頭文芸の一ジャンル。<kamuy>神の目から見た世界を節にのせて謡う物語)の語り手であった幸恵は、15歳ころにユカラを記録することの重要性を悟ったとされる。
自身がアイヌ語と日本語の両方に精通していたこと。
すぐれた耳を持ち、文字を持たないアイヌ民族として限りなくアイヌ語に近い形の日本語表記を編み出したがゆえの功績でもある。
序文の書き出しである前述の一文は、ときどき引用されることもあるので、ご存知の方もいるだろう。
冬は雪の中で熊を狩り、夏は魚を漁り、春は蕗や蓬を摘み、秋は鹿の声を聞きながら月を愛でる…といったように自然とともに季節の移ろいを楽しむ生活があったことを懐かしんだ後、
【それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく】と続く。
北海道新聞 11月5日付
「屈斜路湖違法伐採 地権者、町など提訴」
「分譲不可能 10億円賠償を」
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/127304.php
昨年8月、屈斜路湖畔の原生林で大規模な違法伐採が行われていたことが発覚した。
土地を所有する不動産開発会社が、「予定していた別荘用地としての分譲ができなくなったのは、弟子屈町が土地の所有権を審査せずに伐採を許可したため」として損害賠償を請求する訴えを釧路地裁に起こしたというものだ。
幸恵はまた、「幸福な生活を送っていた先祖たちは、自分の郷土がこのような惨めなありさまになることを露ほどにも想像しなかっただろう」とも嘆く。
アイヌであることで和人(アイヌ以外の日本人)からは差別を受けた。
その時代には珍しいキリスト教徒ということで、アイヌ民族同士の中でも浮いた存在だったという。
学校では先生の代わりを担うほどだったという秀才ぶりもまた、他人と距離をおく一要素になりえた。
しかし幸恵は信念を曲げることなく、アイヌと日本人の橋渡し役になろうとしていたそうだ。
序文には、次のような一文も記されている。
【時は絶えず流れる。世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出てきたら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう】
−きょう、アメリカ合衆国では初めての黒人大統領が誕生した。
明治から大正という時代に、それも20年に満たない生涯だった一人のアイヌ女性による先見性には、ただただ驚くばかりだ。
日本というちっちゃな国のその片隅で、なんのつながりもないような2つのニュースを見聞きしながら、そんなことを思った一日だった。
【その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました】
アイヌ文学者と称される知里幸恵は、1922(大正11)年に(人の助けを借りたとはいえ)19歳という若さで「アイヌ神謡集」を著した。
祖母や伯母がカムイユカラ(アイヌ独自の口頭文芸の一ジャンル。<kamuy>神の目から見た世界を節にのせて謡う物語)の語り手であった幸恵は、15歳ころにユカラを記録することの重要性を悟ったとされる。
自身がアイヌ語と日本語の両方に精通していたこと。
すぐれた耳を持ち、文字を持たないアイヌ民族として限りなくアイヌ語に近い形の日本語表記を編み出したがゆえの功績でもある。
序文の書き出しである前述の一文は、ときどき引用されることもあるので、ご存知の方もいるだろう。
冬は雪の中で熊を狩り、夏は魚を漁り、春は蕗や蓬を摘み、秋は鹿の声を聞きながら月を愛でる…といったように自然とともに季節の移ろいを楽しむ生活があったことを懐かしんだ後、
【それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく】と続く。
北海道新聞 11月5日付
「屈斜路湖違法伐採 地権者、町など提訴」
「分譲不可能 10億円賠償を」
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/127304.php
昨年8月、屈斜路湖畔の原生林で大規模な違法伐採が行われていたことが発覚した。
土地を所有する不動産開発会社が、「予定していた別荘用地としての分譲ができなくなったのは、弟子屈町が土地の所有権を審査せずに伐採を許可したため」として損害賠償を請求する訴えを釧路地裁に起こしたというものだ。
幸恵はまた、「幸福な生活を送っていた先祖たちは、自分の郷土がこのような惨めなありさまになることを露ほどにも想像しなかっただろう」とも嘆く。
アイヌであることで和人(アイヌ以外の日本人)からは差別を受けた。
その時代には珍しいキリスト教徒ということで、アイヌ民族同士の中でも浮いた存在だったという。
学校では先生の代わりを担うほどだったという秀才ぶりもまた、他人と距離をおく一要素になりえた。
しかし幸恵は信念を曲げることなく、アイヌと日本人の橋渡し役になろうとしていたそうだ。
序文には、次のような一文も記されている。
【時は絶えず流れる。世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出てきたら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう】
−きょう、アメリカ合衆国では初めての黒人大統領が誕生した。
明治から大正という時代に、それも20年に満たない生涯だった一人のアイヌ女性による先見性には、ただただ驚くばかりだ。
日本というちっちゃな国のその片隅で、なんのつながりもないような2つのニュースを見聞きしながら、そんなことを思った一日だった。
熊の家と穴
2008年11月2日(日) くもり ときどき 晴れ
毎年、この時期になると<Kussharo Factory>のスタッフは「ある衝動」にかられるのであった。
いわゆる、「見たい!見たい!野生の<kimun kamuy>ヒグマ!」ってことである。

↑こんなカンジの。
(ちなみに、コレは阿寒湖在住の木彫作家・藤戸竹喜氏の作品<55万円>である。阿寒湖アイヌ部落内の民芸品店<熊の家>にて)。
昨年は10月末にウトロ〜知床横断道路〜羅臼というコースをたどった。
今年は羅臼に照準を定め、いざ出発!
弟子屈から中標津を経由して標津へ。
太平洋をのぞむ海岸線に入り、右手に国後の島影を見つつ、一路、羅臼そして車が走行できる道の行き止まりである相泊(あいどまり)を目指す。
雲が多かった天気も次第に晴れ間がのぞき、絶好のドライブ日和である。
<Kussharo Factory>の全スタッフ=人間+犬はゴキゲンだあ。
まずは「道の駅 知床・らうす」で情報収集。
ガイドマップをしばらく熟読して理解した。
「よし! わかったぞ」
「どこら辺にヒグマくんがいそうかい?」
「この、どんつき(=突き当たり)にある<熊の穴>っちゅー食堂を目指そう。ラーメンがあるらしい」
「あれ?」
途中、羅臼市街を過ぎて間もなくのところにある「マッカウス洞窟」へ。

ひかりごけが有名なこの洞窟は、松浦武四郎が野営したことでも知られている。
武四郎翁に屈斜路湖を案内したイソリツカラの子孫としては、見過ごすわけにはいかんのだ。
なので表敬訪問。
このマッカウス洞窟のみならず、周辺は断崖絶壁が続いており、ゆえに「落石注意!」の看板やら防御ネットが広範囲にわたって張り巡らされているのであった。
なかなかスリリング。

そしてなぜか、ひかりごけの説明板の横には「北の国から2002 遺言」と記されたポストらしき物体が!?

なんだべ? 遺言書を投函するんだべか?
疑問が解明されぬまま、さりとて疑問を解明する気もないので先を急ごう。
「ほんとにこの先にあるんだべか?」とやや心細くなりそうなくらい、番屋はいっぱいあるけど民家がほとんど見当たらない海岸沿いに伸びる一本道をひた走る。
羅臼市街から20kmくらい進んだころ、やっと「ラーメン」ののぼりを発見!
「日本最北東端」と描かれた看板が誇らしげに立っている。

えび、かに、ほっきなどが入った海鮮ラーメンと、流氷ラーメンを注文。

流氷に見立てた白い物体は、もちもちつるりんとした皮の中に肉が入っていた。
麺は、昆布を練りこんだいるということで緑色。
どちらも塩味でさっぱり仕上がっていた。
ほかに、熊肉のチャーシューがのった熊ラーメンとか、海の馬=トド肉と鹿肉がのった馬鹿ラーメン。土産物としてはヒグマやトドの缶詰などの姿が。

興味のある方はご自由にチャレンジなさってください。
ほぼ同じタイミングで入店し、先に会計を済ませた男性客が「日本最北東端の地 到達証明書」なるものを受け取っていたことを、<Kussharo Factory>のスタッフは見逃さなかった。
支払いを終えても、世間話を終えても、店員さんが一向にその証明書を差し出す気配がない。
うーむ。しょうがない。要求したさ。
「到達証明書、もらえないんかい?」
「道内のお客さんには渡していないんだよね」
「ああ、そうなんだ」
「欲しい?」
「欲しい!」

ということなので、良い子の道内在住者はマネしないように。
ちなみに、ここでは有力な情報を入手した。
「羅臼で熊を見る確率が高いのは6月ごろ。秋に酒、もとい鮭を狙う姿が見られるのはウトロのほう」だと。
…早く知りたかった。
毎年、この時期になると<Kussharo Factory>のスタッフは「ある衝動」にかられるのであった。
いわゆる、「見たい!見たい!野生の<kimun kamuy>ヒグマ!」ってことである。

↑こんなカンジの。
(ちなみに、コレは阿寒湖在住の木彫作家・藤戸竹喜氏の作品<55万円>である。阿寒湖アイヌ部落内の民芸品店<熊の家>にて)。
昨年は10月末にウトロ〜知床横断道路〜羅臼というコースをたどった。
今年は羅臼に照準を定め、いざ出発!
弟子屈から中標津を経由して標津へ。
太平洋をのぞむ海岸線に入り、右手に国後の島影を見つつ、一路、羅臼そして車が走行できる道の行き止まりである相泊(あいどまり)を目指す。
雲が多かった天気も次第に晴れ間がのぞき、絶好のドライブ日和である。
<Kussharo Factory>の全スタッフ=人間+犬はゴキゲンだあ。
まずは「道の駅 知床・らうす」で情報収集。
ガイドマップをしばらく熟読して理解した。
「よし! わかったぞ」
「どこら辺にヒグマくんがいそうかい?」
「この、どんつき(=突き当たり)にある<熊の穴>っちゅー食堂を目指そう。ラーメンがあるらしい」
「あれ?」
途中、羅臼市街を過ぎて間もなくのところにある「マッカウス洞窟」へ。

ひかりごけが有名なこの洞窟は、松浦武四郎が野営したことでも知られている。
武四郎翁に屈斜路湖を案内したイソリツカラの子孫としては、見過ごすわけにはいかんのだ。
なので表敬訪問。
このマッカウス洞窟のみならず、周辺は断崖絶壁が続いており、ゆえに「落石注意!」の看板やら防御ネットが広範囲にわたって張り巡らされているのであった。
なかなかスリリング。

そしてなぜか、ひかりごけの説明板の横には「北の国から2002 遺言」と記されたポストらしき物体が!?

なんだべ? 遺言書を投函するんだべか?
疑問が解明されぬまま、さりとて疑問を解明する気もないので先を急ごう。
「ほんとにこの先にあるんだべか?」とやや心細くなりそうなくらい、番屋はいっぱいあるけど民家がほとんど見当たらない海岸沿いに伸びる一本道をひた走る。
羅臼市街から20kmくらい進んだころ、やっと「ラーメン」ののぼりを発見!
「日本最北東端」と描かれた看板が誇らしげに立っている。

えび、かに、ほっきなどが入った海鮮ラーメンと、流氷ラーメンを注文。

流氷に見立てた白い物体は、もちもちつるりんとした皮の中に肉が入っていた。
麺は、昆布を練りこんだいるということで緑色。
どちらも塩味でさっぱり仕上がっていた。
ほかに、熊肉のチャーシューがのった熊ラーメンとか、海の馬=トド肉と鹿肉がのった馬鹿ラーメン。土産物としてはヒグマやトドの缶詰などの姿が。

興味のある方はご自由にチャレンジなさってください。
ほぼ同じタイミングで入店し、先に会計を済ませた男性客が「日本最北東端の地 到達証明書」なるものを受け取っていたことを、<Kussharo Factory>のスタッフは見逃さなかった。
支払いを終えても、世間話を終えても、店員さんが一向にその証明書を差し出す気配がない。
うーむ。しょうがない。要求したさ。
「到達証明書、もらえないんかい?」
「道内のお客さんには渡していないんだよね」
「ああ、そうなんだ」
「欲しい?」
「欲しい!」

ということなので、良い子の道内在住者はマネしないように。
ちなみに、ここでは有力な情報を入手した。
「羅臼で熊を見る確率が高いのは6月ごろ。秋に酒、もとい鮭を狙う姿が見られるのはウトロのほう」だと。
…早く知りたかった。








