祭りが終わると
2008年10月8日(水) くもり のち 晴れ
阿寒湖といえば、まりも。
まりもといえば、阿寒湖。
そして阿寒湖のまりもといえば、国の特別天然記念物である…と、まあ、百歩譲って天然記念物ということまでは知らないにしても、なんか、大切にしていそうなカンジという雰囲気は伝わっているのではないかと思う。
伝わっているって、どこに?
いや、全国的に。
実は、まりもというのは阿寒湖に限ったモノではなく、国内だけでも何か所かに存在している。
だったらなして阿寒湖のまりもだけが有名なのかっちゅーと、ときには直径30cmにまで成長するその大きさと、形の美しさが大きな要因だそうだ。指定されたのは1921(大正10)年というから、えーっと、かれこれ90年になろうとしているわけだな。
さて。
戦後まだ間もない昭和20年代といえば、阿寒湖がすこーしずつ観光地になり始めたころ−。
まりもはフツーに商品として売られていたという。
特別天然記念物とはいえ、湖のいたるところで見られるという珍しくもなんともないモノだったために、小遣い稼ぎとしてもちょうどよかったんだべな。で、乱獲が相次いだ。
さらに戦後の電力不足という事情がまりもにダメージを与えてしまった。
阿寒湖に水門を設けて下流にダムを作ったために、水位の変動が大きくなり、岸ちかくに棲息していたまりもが数多く露出→絶滅の危機に瀕する状況が生まれたのである。
こりゃあ、アカン…とふざけている場合ではなかったのだ。
阿寒湖に暮らすアイヌと和人はマジメに話し合った。
「売ったまりもを返してもらうべ」
「いまあるまりもを守っていかねば」
「それにしても、なんかきっかけが必要だべ」
「アイヌの儀式として、できるんでないかい?」
という会話があったかどうかは定かでないが、ちょっと!? いや大きな!? 問題があったことだけは確かである。
アイヌにとってまりもは<kamuy>神ではない、ということだ。
自然界のあらゆるものに魂が宿っていると考え、それぞれを神と崇めるアイヌであっても、まりもを神としてみたことはない。
某<ekasi>長老は、「たぶん、まりも(が神にならなかったの)は食べられなかったからではないか」という。
「(まりもを)酢醤油で食べるとウマいべ」
「かき揚げもなかなかだぞ」
という会話は、あくまでも冗談なのである。
とはいえ、阿寒湖そしてまりもは、周りに山々があり、木があり、川があってはじめて成り立つものである。
まりもと暮らしていける環境というのは、このようなすばらしい自然があってこそ。
だとすれば、アイヌの思想観に合っているのではないか。
1年に1度くらい、阿寒湖のまりもを取り巻く周囲の自然に感謝する儀式を行ってもいいのではないか−。
かくして、第1回まりも祭りは1950(昭和25)年に開催されたのだった。
そしてことしもまた、まりも祭りの日がやってきた。通算59回目。
8日は専門家によるまりもについての講演や生育地の見学などが行われる。
9日はアイヌによる<kamuy nomi>神への祈り、<kotan nusa kamuy nomi>村の祭壇での感謝の儀式、<icharpa>先祖供養祭を行ったあと、阿寒湖へまりもを迎えに行ってタイマツをかかげながらコタンに連れて帰り、一晩をともに過ごす。
翌10日は、まりもを送る儀式となる。
<kamuy nomi>を行ったのち、行進が出発。ホテル街を通り、湖畔の土地を無償貸与してもらっている前田一歩園の初代園長・故前田氏の胸像のまえで<rimuse>踊りを奉納する。
そして阿寒岳神社へ。
まりもを一度奉納し、お神酒を授かってから再びまりもを受け取って行進が続く。
なしてアイヌが神社へ行くのだ?
なぜなら、アイヌと和人が協力して立ち上げたまりも祭りだからこそ、双方の伝統を重んじた作法が取り入れられたのだと、先人は伝えてくれている。
まりも祭りは、アイヌと和人が共存共栄を目指す阿寒湖という観光地だからこそ生まれ、これからも伝えられていくのだろう。
一段と秋の深まりを感じる今日このごろ−。
阿寒湖といえば、まりも。
まりもといえば、阿寒湖。
そして阿寒湖のまりもといえば、国の特別天然記念物である…と、まあ、百歩譲って天然記念物ということまでは知らないにしても、なんか、大切にしていそうなカンジという雰囲気は伝わっているのではないかと思う。
伝わっているって、どこに?
いや、全国的に。
実は、まりもというのは阿寒湖に限ったモノではなく、国内だけでも何か所かに存在している。
だったらなして阿寒湖のまりもだけが有名なのかっちゅーと、ときには直径30cmにまで成長するその大きさと、形の美しさが大きな要因だそうだ。指定されたのは1921(大正10)年というから、えーっと、かれこれ90年になろうとしているわけだな。
さて。
戦後まだ間もない昭和20年代といえば、阿寒湖がすこーしずつ観光地になり始めたころ−。
まりもはフツーに商品として売られていたという。
特別天然記念物とはいえ、湖のいたるところで見られるという珍しくもなんともないモノだったために、小遣い稼ぎとしてもちょうどよかったんだべな。で、乱獲が相次いだ。
さらに戦後の電力不足という事情がまりもにダメージを与えてしまった。
阿寒湖に水門を設けて下流にダムを作ったために、水位の変動が大きくなり、岸ちかくに棲息していたまりもが数多く露出→絶滅の危機に瀕する状況が生まれたのである。
こりゃあ、アカン…とふざけている場合ではなかったのだ。
阿寒湖に暮らすアイヌと和人はマジメに話し合った。
「売ったまりもを返してもらうべ」
「いまあるまりもを守っていかねば」
「それにしても、なんかきっかけが必要だべ」
「アイヌの儀式として、できるんでないかい?」
という会話があったかどうかは定かでないが、ちょっと!? いや大きな!? 問題があったことだけは確かである。
アイヌにとってまりもは<kamuy>神ではない、ということだ。
自然界のあらゆるものに魂が宿っていると考え、それぞれを神と崇めるアイヌであっても、まりもを神としてみたことはない。
某<ekasi>長老は、「たぶん、まりも(が神にならなかったの)は食べられなかったからではないか」という。
「(まりもを)酢醤油で食べるとウマいべ」
「かき揚げもなかなかだぞ」
という会話は、あくまでも冗談なのである。
とはいえ、阿寒湖そしてまりもは、周りに山々があり、木があり、川があってはじめて成り立つものである。
まりもと暮らしていける環境というのは、このようなすばらしい自然があってこそ。
だとすれば、アイヌの思想観に合っているのではないか。
1年に1度くらい、阿寒湖のまりもを取り巻く周囲の自然に感謝する儀式を行ってもいいのではないか−。
かくして、第1回まりも祭りは1950(昭和25)年に開催されたのだった。
そしてことしもまた、まりも祭りの日がやってきた。通算59回目。
8日は専門家によるまりもについての講演や生育地の見学などが行われる。
9日はアイヌによる<kamuy nomi>神への祈り、<kotan nusa kamuy nomi>村の祭壇での感謝の儀式、<icharpa>先祖供養祭を行ったあと、阿寒湖へまりもを迎えに行ってタイマツをかかげながらコタンに連れて帰り、一晩をともに過ごす。
翌10日は、まりもを送る儀式となる。
<kamuy nomi>を行ったのち、行進が出発。ホテル街を通り、湖畔の土地を無償貸与してもらっている前田一歩園の初代園長・故前田氏の胸像のまえで<rimuse>踊りを奉納する。
そして阿寒岳神社へ。
まりもを一度奉納し、お神酒を授かってから再びまりもを受け取って行進が続く。
なしてアイヌが神社へ行くのだ?
なぜなら、アイヌと和人が協力して立ち上げたまりも祭りだからこそ、双方の伝統を重んじた作法が取り入れられたのだと、先人は伝えてくれている。
まりも祭りは、アイヌと和人が共存共栄を目指す阿寒湖という観光地だからこそ生まれ、これからも伝えられていくのだろう。
一段と秋の深まりを感じる今日このごろ−。


