ロマン!?
2008年10月30日(木) くもり
ついに。とうとう。
看板犬との朝の散歩時に、うっすらと雪化粧した屈斜路の山々とご対面。

藻琴山は全体が雲に包まれていて様子を窺うことができなかったが。
<Kussharo Factory>なんちゃって気象記録士によれば、昨年の藻琴山および周囲の山々の初冠雪は11月9日だったから、えっ!? 10日近くも早いってことかい?
今晩も夜11時の時点で気温は−3℃である。
10月27日付の北海道新聞に、たいへん興味深い記事が掲載されていた。
「江戸時代の探検家・近藤重蔵 択捉で収集のイナウ現存」
「国内最古か 島名を墨書」
幕府の調査隊として、近藤重蔵が1798年に択捉島に渡った際に、現地のアイヌ民族から収集し持ち帰ったイナウ(木幣)が現存していることが大阪学院大学の大塚和義教授の調べで分かったという。
収集者や時代、場所が特定できるイナウとしては国内最古ではないかということで、アイヌ文化を知るうえで貴重な資料になるとのこと。
ちなみにイナウとは神事の際に祀られるもの。ヤナギ、キハダ、ミズキなどの木が材料として使われる。木肌を細く削ることによってできる美しい削りかけは、神々がとくに好むものとされている。人間と神々との仲介役を果たすイナウは、儀礼や祀る神によっても形が異なり、地域や家系による違いも見られる(見られた?)という。
続いて10月29日付の北海道新聞夕刊には、調査を行った大塚教授の解説が載っていた。
今回スポットライトを浴びているイナウには、道東アイヌ集団の系統を示す様式とイトクパと呼ばれる刻印があるそうだ。
イナウは帯が巻かれたままであったことから未使用のものとみられ、「アイヌ民族ではない近藤に渡さざるを得なかったイナウに自らのイトクパを示すことには躊躇したアイヌの意思が感じられる」と大塚教授は分析している。
210年という時間の流れを長いとみるか短いとみるか−。
一方、こちらは「5000年に1度」というから、そりゃあもう、スケールがデカすぎじゃ。
10月30日付の北海道新聞
「70年前の屈斜路地震 つめ跡 大地に今も」
北海道大学大学院理学研究院付属地震火山研究観測センター(ながっ!)と道立地質研究所(ほっ)が1938年に起きた屈斜路地震の断層掘削調査を行っているそうだ。
よく通る近くの国道で、なーんか道路工事ではなさそうだけど掘ってる現場があるなあ、と思っていたらこのことか。
1938年5月29日に発生した屈斜路地震の断層は、地震で地表に断層が現れたものとしては道内唯一のものなんだと。
弟子屈地域に歪みが集中して生きている可能性は数年前から指摘されていたため、今回は約2.5mの深さまで掘って断層を詳しく調べたという。
その結果、「5000年に1度(の周期で起きる?)の地震だった」…と昨晩の某公共放送ニュースで言っていたのだが、北海道新聞にはそんなことは一言も書いていなかった−。
聞き間違いではない…と思う…のだが、まあ、ポイントをどこに置いて報道するかの各社の方針の違いが表れた…ということにしておこう。
調査内容は内陸地震のメカニズムを把握し、将来の長期予測に大いに役立つとされている。
先日、ノーベル物理学賞を受賞された各氏の研究内容はさーっぱり????ちんぷんかんぷんであったが、それに比べるとこの2件は、多少…なんとなく…。
…気のせいだな、きっと。
ついに。とうとう。
看板犬との朝の散歩時に、うっすらと雪化粧した屈斜路の山々とご対面。

藻琴山は全体が雲に包まれていて様子を窺うことができなかったが。
<Kussharo Factory>なんちゃって気象記録士によれば、昨年の藻琴山および周囲の山々の初冠雪は11月9日だったから、えっ!? 10日近くも早いってことかい?
今晩も夜11時の時点で気温は−3℃である。
10月27日付の北海道新聞に、たいへん興味深い記事が掲載されていた。
「江戸時代の探検家・近藤重蔵 択捉で収集のイナウ現存」
「国内最古か 島名を墨書」
幕府の調査隊として、近藤重蔵が1798年に択捉島に渡った際に、現地のアイヌ民族から収集し持ち帰ったイナウ(木幣)が現存していることが大阪学院大学の大塚和義教授の調べで分かったという。
収集者や時代、場所が特定できるイナウとしては国内最古ではないかということで、アイヌ文化を知るうえで貴重な資料になるとのこと。
ちなみにイナウとは神事の際に祀られるもの。ヤナギ、キハダ、ミズキなどの木が材料として使われる。木肌を細く削ることによってできる美しい削りかけは、神々がとくに好むものとされている。人間と神々との仲介役を果たすイナウは、儀礼や祀る神によっても形が異なり、地域や家系による違いも見られる(見られた?)という。
続いて10月29日付の北海道新聞夕刊には、調査を行った大塚教授の解説が載っていた。
今回スポットライトを浴びているイナウには、道東アイヌ集団の系統を示す様式とイトクパと呼ばれる刻印があるそうだ。
イナウは帯が巻かれたままであったことから未使用のものとみられ、「アイヌ民族ではない近藤に渡さざるを得なかったイナウに自らのイトクパを示すことには躊躇したアイヌの意思が感じられる」と大塚教授は分析している。
210年という時間の流れを長いとみるか短いとみるか−。
一方、こちらは「5000年に1度」というから、そりゃあもう、スケールがデカすぎじゃ。
10月30日付の北海道新聞
「70年前の屈斜路地震 つめ跡 大地に今も」
北海道大学大学院理学研究院付属地震火山研究観測センター(ながっ!)と道立地質研究所(ほっ)が1938年に起きた屈斜路地震の断層掘削調査を行っているそうだ。
よく通る近くの国道で、なーんか道路工事ではなさそうだけど掘ってる現場があるなあ、と思っていたらこのことか。
1938年5月29日に発生した屈斜路地震の断層は、地震で地表に断層が現れたものとしては道内唯一のものなんだと。
弟子屈地域に歪みが集中して生きている可能性は数年前から指摘されていたため、今回は約2.5mの深さまで掘って断層を詳しく調べたという。
その結果、「5000年に1度(の周期で起きる?)の地震だった」…と昨晩の某公共放送ニュースで言っていたのだが、北海道新聞にはそんなことは一言も書いていなかった−。
聞き間違いではない…と思う…のだが、まあ、ポイントをどこに置いて報道するかの各社の方針の違いが表れた…ということにしておこう。
調査内容は内陸地震のメカニズムを把握し、将来の長期予測に大いに役立つとされている。
先日、ノーベル物理学賞を受賞された各氏の研究内容はさーっぱり????ちんぷんかんぷんであったが、それに比べるとこの2件は、多少…なんとなく…。
…気のせいだな、きっと。
グッドタイミング
2008年10月29日(水)晴れ ときどき くもり
この時期の悩みの種といえば、冬タイヤ(=スタッドレスタイヤ)への交換をいつ行うか、っちゅーことである。
あまり早すぎると溝の減りが早いし。
が、峠道を越える可能性があるとしたら夏タイヤでは危険だし。
うーむ……。
26日夜、稚内で初雪を観測した。平年よりも5日、昨年より14日遅いという。
27日には札幌の手稲山(1,024m)で初冠雪を記録した。平年より11日、昨年より13日遅いという。
週間天気予報にも
マークが見られるようになってきた。
というわけで−。
思い切って履き換えることにした。
そうしたら−。
<Kussharo Factory>のフレンドリープレイス・阿寒湖アイヌコタンでは風花が舞った。
阿寒横断道路では初雪が見られた。
明日の朝は北海道東部で強い冷え込みが予想されている。
ちなみに、アイヌ語で雪は<upas=u(互いに)pas(走る)>という。
かなり気に入っている表現だ。
この時期の悩みの種といえば、冬タイヤ(=スタッドレスタイヤ)への交換をいつ行うか、っちゅーことである。
あまり早すぎると溝の減りが早いし。
が、峠道を越える可能性があるとしたら夏タイヤでは危険だし。
うーむ……。
26日夜、稚内で初雪を観測した。平年よりも5日、昨年より14日遅いという。
27日には札幌の手稲山(1,024m)で初冠雪を記録した。平年より11日、昨年より13日遅いという。
週間天気予報にも
マークが見られるようになってきた。というわけで−。
思い切って履き換えることにした。
そうしたら−。
<Kussharo Factory>のフレンドリープレイス・阿寒湖アイヌコタンでは風花が舞った。
阿寒横断道路では初雪が見られた。
明日の朝は北海道東部で強い冷え込みが予想されている。
ちなみに、アイヌ語で雪は<upas=u(互いに)pas(走る)>という。
かなり気に入っている表現だ。
名誉の負傷
2008年10月27日(月) くもり ときどき 晴れ
「食べるもの、着るもの、そして<cikuni>薪があれば(生活は)十分だ」と昔のアイヌは言ったそうだ。
それも「必要なときに、必要なものを、必要な分だけ」ということを口に出すまでもなく心がけていた。
温めてくれて、食べ物の煮炊きに欠かせない。
<cise>家の中心に囲炉裏として存在し、威厳と暮らしを支える力をたたえて、アイヌは火のことを<ape(火) huci(のおばあさん) kamuy(神)>とか<iresu(ものを育てる) kamuy(神)>と呼んだ。
「万一、食べ物がなくなったら借りに行くこともできるが、薪はそういうわけにはいかない」とも言ったそうだ。
その年の天候状況や予想外の人の出入りで食べ物が急になくなることはしょうがないことなのだ。
しかし、冬以外の時季にコツコツと集めておける薪が足りなくなるということは、イコール怠けていた証拠であるから恥ずかしいことなのだ、と。
薪は、木を拾ってきて割ったからといってすぐに使えるものではない。
最低でも半年〜1年以上乾かしておくことが望まれる。つまり、今年準備する薪というのは来年以降使うためのモノなのだ。
資本主義経済社会の片隅の隅の隅で生きる現代の採集狩猟&農耕民族としては、観光シーズン中はそれなりに忙しいのである。いや、ほんとに。
それどころか、春は観光シーズンとして忙しくなり始めてからも(山菜をとるために)山へ入っていなければならないし、秋は観光シーズンが一段落するかしないかのうちに、(きのこを求めて)山へ入っていなければならない。
でもって、それらもなにもかも落ち着きを見せたころから白い物が舞い降りるまでの、わずかな日々の間に薪を調達せねばならんのである。
あー、忙し忙し。
そんな<Kussharo Factory>のスタッフに、新たな試練が待っていた。
チェーンソーくんがウンともスンとも言わなくなってしまったのだ。
ウーンとうなってしまったのは、<Kussharo Factory>の木彫り、もとい、きこり担当である。
ゆかいな仲間のWさんやGくんの助言を受けて、あっちとこっちの修理屋さんに問い合わせてみたところ、偶然というよりも必然として同様の答えが返ってきた。曰く、
「おたくのチェーンソーっちゅーのは量販店用なんだよね。ウチみたいなプロフェッショナルなところでは部品すら扱っていないわけよ。つまり安物である分だけ壊れやすいし、壊れたら終わり!みたいなもんで」
と、ここまではハッキリ言わないまでも、やさーしくそれらしいことを説明されて納得できた。
なので現在は、ワンダーランド・ホー○ックに入院・加療中。
そんな逆境をみかねて、<ぢぢカヌー>の農作業担当・ぢぢはチェーンソーとむーみんを貸してくれた。
前述のWさんはトラックを貸してくれた。
仲間たちの温かい友情に支えられ、いざ!

薪集めには絶好の日和である。
チェーンソーも快適な音を発し、作業は快調に進行する。
運搬1回目<ぢぢカヌー>用、同2回目<Kussharo Factory>用、同3回目<ぢぢカヌー>用…と時間が経つごとに3人の口数は激減して行ったのである。
そして終わってみれば、<Kussharo Factory>のきこり担当は右目の横を木の枝にひっかかれて流血し、<Kussharo Factory>の積み込み担当は左下顎部を木の枝にひっかかれて流血し、<ぢぢカヌー>の喫茶担当は右目の上をはねかえってきた木の枝で殴打してタンコブを制作するなど、どこまでも仲良くチームワーク抜群のトリオなのであった。
うえーん(号泣)。痛いよお。
とりあえず量的には満足できるのだが、このあとに「割る」というさらなる重労働が待っているのであった。
薪作りはまだまだ続く…。
ところで。
<ぢぢカヌー>喫茶担当は<Kussharo Factory>積み込み担当のキズを見て、「熊の爪あと」というコメントを寄せてきた。
(確かに、似てるんでないかい? by陰の声)
「食べるもの、着るもの、そして<cikuni>薪があれば(生活は)十分だ」と昔のアイヌは言ったそうだ。
それも「必要なときに、必要なものを、必要な分だけ」ということを口に出すまでもなく心がけていた。
温めてくれて、食べ物の煮炊きに欠かせない。
<cise>家の中心に囲炉裏として存在し、威厳と暮らしを支える力をたたえて、アイヌは火のことを<ape(火) huci(のおばあさん) kamuy(神)>とか<iresu(ものを育てる) kamuy(神)>と呼んだ。
「万一、食べ物がなくなったら借りに行くこともできるが、薪はそういうわけにはいかない」とも言ったそうだ。
その年の天候状況や予想外の人の出入りで食べ物が急になくなることはしょうがないことなのだ。
しかし、冬以外の時季にコツコツと集めておける薪が足りなくなるということは、イコール怠けていた証拠であるから恥ずかしいことなのだ、と。
薪は、木を拾ってきて割ったからといってすぐに使えるものではない。
最低でも半年〜1年以上乾かしておくことが望まれる。つまり、今年準備する薪というのは来年以降使うためのモノなのだ。
資本主義経済社会の片隅の隅の隅で生きる現代の採集狩猟&農耕民族としては、観光シーズン中はそれなりに忙しいのである。いや、ほんとに。
それどころか、春は観光シーズンとして忙しくなり始めてからも(山菜をとるために)山へ入っていなければならないし、秋は観光シーズンが一段落するかしないかのうちに、(きのこを求めて)山へ入っていなければならない。
でもって、それらもなにもかも落ち着きを見せたころから白い物が舞い降りるまでの、わずかな日々の間に薪を調達せねばならんのである。
あー、忙し忙し。
そんな<Kussharo Factory>のスタッフに、新たな試練が待っていた。
チェーンソーくんがウンともスンとも言わなくなってしまったのだ。
ウーンとうなってしまったのは、<Kussharo Factory>の木彫り、もとい、きこり担当である。
ゆかいな仲間のWさんやGくんの助言を受けて、あっちとこっちの修理屋さんに問い合わせてみたところ、偶然というよりも必然として同様の答えが返ってきた。曰く、
「おたくのチェーンソーっちゅーのは量販店用なんだよね。ウチみたいなプロフェッショナルなところでは部品すら扱っていないわけよ。つまり安物である分だけ壊れやすいし、壊れたら終わり!みたいなもんで」
と、ここまではハッキリ言わないまでも、やさーしくそれらしいことを説明されて納得できた。
なので現在は、ワンダーランド・ホー○ックに入院・加療中。
そんな逆境をみかねて、<ぢぢカヌー>の農作業担当・ぢぢはチェーンソーとむーみんを貸してくれた。
前述のWさんはトラックを貸してくれた。
仲間たちの温かい友情に支えられ、いざ!

薪集めには絶好の日和である。
チェーンソーも快適な音を発し、作業は快調に進行する。
運搬1回目<ぢぢカヌー>用、同2回目<Kussharo Factory>用、同3回目<ぢぢカヌー>用…と時間が経つごとに3人の口数は激減して行ったのである。
そして終わってみれば、<Kussharo Factory>のきこり担当は右目の横を木の枝にひっかかれて流血し、<Kussharo Factory>の積み込み担当は左下顎部を木の枝にひっかかれて流血し、<ぢぢカヌー>の喫茶担当は右目の上をはねかえってきた木の枝で殴打してタンコブを制作するなど、どこまでも仲良くチームワーク抜群のトリオなのであった。
うえーん(号泣)。痛いよお。
とりあえず量的には満足できるのだが、このあとに「割る」というさらなる重労働が待っているのであった。
薪作りはまだまだ続く…。
ところで。
<ぢぢカヌー>喫茶担当は<Kussharo Factory>積み込み担当のキズを見て、「熊の爪あと」というコメントを寄せてきた。
(確かに、似てるんでないかい? by陰の声)
いいんでないカイ?
2008年10月24日(金) くもり のち 雨+風 (夜11時で13℃!)
何気なく入ったコンビニエンスストア・セイ○ー○ートの書籍コーナーで。

およっ!?
<makiri>小刀でないかい?
中身をまったく見ることなく、表紙が<makiri>ということだけで即購入。
落ち着いてからページをめくってみたら。
およっ!?
<Kussharo Factory>が「現代の武四郎」と賞賛する松浦武四郎記念館の館長さんが載っているでねーの。
http://www.northerncross.co.jp/kai/
本誌のタイトル「カイ」とは、北海道のカイ、開拓のカイ、愉快のカイからとったという。
開拓のカイ…ということには、やや複雑な心境がなくもないが。
北海道の名づけ親である松浦武四郎翁がただならぬ思いを込めた「北加伊道」の加伊=カイとは、天塩流域の探検をまとめた「天塩日誌」に詳細が記されている。
現在の音威子府村に住んでいたアイヌの<ekasi>長老アエトモに、「“カイナー”が“男”、“カイ”が“この国に生まれた者”を意味すると教えてもらった」と−。
ちなみに、<Kussharo Factory>の木彫り担当を惹き付けた、表紙を飾っている<makiri>は松浦武四郎記念館に所蔵されているものだという。
松浦武四郎が蝦夷地探査の際に、アイヌの男性に作ってもらったか譲りうけたものらしい。
関心を持たれた方はぜひご購入ご一読を。
今月20日に創刊されたばかりという、ピッカピカのNEW雑誌です。
編集・発行所からの依頼・懇願その他は一切受けておりませんので、念のため(笑)。
何気なく入ったコンビニエンスストア・セイ○ー○ートの書籍コーナーで。

およっ!?
<makiri>小刀でないかい?
中身をまったく見ることなく、表紙が<makiri>ということだけで即購入。
落ち着いてからページをめくってみたら。
およっ!?
<Kussharo Factory>が「現代の武四郎」と賞賛する松浦武四郎記念館の館長さんが載っているでねーの。
http://www.northerncross.co.jp/kai/
本誌のタイトル「カイ」とは、北海道のカイ、開拓のカイ、愉快のカイからとったという。
開拓のカイ…ということには、やや複雑な心境がなくもないが。
北海道の名づけ親である松浦武四郎翁がただならぬ思いを込めた「北加伊道」の加伊=カイとは、天塩流域の探検をまとめた「天塩日誌」に詳細が記されている。
現在の音威子府村に住んでいたアイヌの<ekasi>長老アエトモに、「“カイナー”が“男”、“カイ”が“この国に生まれた者”を意味すると教えてもらった」と−。
ちなみに、<Kussharo Factory>の木彫り担当を惹き付けた、表紙を飾っている<makiri>は松浦武四郎記念館に所蔵されているものだという。
松浦武四郎が蝦夷地探査の際に、アイヌの男性に作ってもらったか譲りうけたものらしい。
関心を持たれた方はぜひご購入ご一読を。
今月20日に創刊されたばかりという、ピッカピカのNEW雑誌です。
編集・発行所からの依頼・懇願その他は一切受けておりませんので、念のため(笑)。
♪この〜○ なんの○ 気になる○〜♪
2008年10月20日(月) 晴れ
屈斜路湖に突き出る格好で、和琴半島がある。
<Kussharo Factory>のスタッフは本業の合間に、その和琴半島をグルッと一周できる自然探勝路のトレッキングガイドをやらせていただくことがある。
高木樹が20〜30種。
林床草本植物が最低でも70種。
鳥類が夏鳥、冬鳥、留鳥を含めて30種類以上。
魚類も増えてきていて10種類ほど!?
−といわれている、なんというか、とにかく自然にあふれたエリアなんである。
ちなみに、<kamuy>ヒグマのお姿は、足跡さえ拝見したことがないからいないんでしょ。
<tanne>長いヤツは結構いらっしゃるようだが。
とにかく、季節によって和琴半島は様相を変えるもんだから、たいへんなんである。
花真っ盛り!とか、キノコがうじゃうじゃ! の時期だったら、そりゃあもう…(涙)。
本番前には必ず試歩(!?)を行い、あれ?っと疑問に思ったことは解決させておくように心がけているのだが、そもそも「あれっ?」と思う場面に出くわさなければ、解決もなにもあったもんじゃない。
だからこそ、知らないことを知るっていうのは楽しい。ワクワクする。
で、知らなかったことは何かっちゅーと、
「カツラの落ち葉からはあま〜い匂いがする」という事実。
探勝路を歩いていたら、カラメルのような匂いが漂ってきたのである。どうやら、出所はカツラの葉、しかも落ちた後の葉、しかもしかも時間が経つほど強い匂いになるようなんである。
へええええ。
気になったので家に帰ってから調べてみた。
するとその香りの原因は「マルトール」という天然の有機化合物ということであった。
へええええ。
食品添加物や化粧品、医薬品の成分として利用されているんだと。
へええええ。
「カツラのマルトールと糖成分のうにゃらかにゃら」という学術論文もあったが、さーっぱりわかりまへんでしたのでパス。
新緑のころの葉は、お香の原料に使われるとか。
なにせカツラの語源は「香出(かづ)」ということで、カツラの葉が匂うということは古の時代から知られていたことらしい。
地方によっては、「抹香の木」とか「醤油の木」と呼んでいるところもあるそうな。
すみませんねえ、知らなくて。
この時期に探勝路を歩いたことがなかったものですから(単なる言い訳)。
それにしても、一生知らずに終わらなくて良かったさ。
高さが20〜30m、幹周が2m前後まで成長する巨木の代表格といえるカツラの木。

アイヌは漁で使う丸木舟の材料として大切に使っていた。
屈斜路湖に突き出る格好で、和琴半島がある。
<Kussharo Factory>のスタッフは本業の合間に、その和琴半島をグルッと一周できる自然探勝路のトレッキングガイドをやらせていただくことがある。
高木樹が20〜30種。
林床草本植物が最低でも70種。
鳥類が夏鳥、冬鳥、留鳥を含めて30種類以上。
魚類も増えてきていて10種類ほど!?
−といわれている、なんというか、とにかく自然にあふれたエリアなんである。
ちなみに、<kamuy>ヒグマのお姿は、足跡さえ拝見したことがないからいないんでしょ。
<tanne>長いヤツは結構いらっしゃるようだが。
とにかく、季節によって和琴半島は様相を変えるもんだから、たいへんなんである。
花真っ盛り!とか、キノコがうじゃうじゃ! の時期だったら、そりゃあもう…(涙)。
本番前には必ず試歩(!?)を行い、あれ?っと疑問に思ったことは解決させておくように心がけているのだが、そもそも「あれっ?」と思う場面に出くわさなければ、解決もなにもあったもんじゃない。
だからこそ、知らないことを知るっていうのは楽しい。ワクワクする。
で、知らなかったことは何かっちゅーと、
「カツラの落ち葉からはあま〜い匂いがする」という事実。
探勝路を歩いていたら、カラメルのような匂いが漂ってきたのである。どうやら、出所はカツラの葉、しかも落ちた後の葉、しかもしかも時間が経つほど強い匂いになるようなんである。
へええええ。
気になったので家に帰ってから調べてみた。
するとその香りの原因は「マルトール」という天然の有機化合物ということであった。
へええええ。
食品添加物や化粧品、医薬品の成分として利用されているんだと。
へええええ。
「カツラのマルトールと糖成分のうにゃらかにゃら」という学術論文もあったが、さーっぱりわかりまへんでしたのでパス。
新緑のころの葉は、お香の原料に使われるとか。
なにせカツラの語源は「香出(かづ)」ということで、カツラの葉が匂うということは古の時代から知られていたことらしい。
地方によっては、「抹香の木」とか「醤油の木」と呼んでいるところもあるそうな。
すみませんねえ、知らなくて。
この時期に探勝路を歩いたことがなかったものですから(単なる言い訳)。
それにしても、一生知らずに終わらなくて良かったさ。
高さが20〜30m、幹周が2m前後まで成長する巨木の代表格といえるカツラの木。

アイヌは漁で使う丸木舟の材料として大切に使っていた。
ときを超えて〜松阪と屈斜路
2008年10月17日(金) 晴れ
15日に、「松浦武四郎生誕190年等記念事業 武四郎の足跡を訪ねてin 北海道」ご一行さま35名がご来道!
ことしは松浦武四郎翁が、屈斜路コタンを訪れてからも150年という節目の年にあたる。
2月に武四郎翁の生誕地・三重県松阪市で行われた一連の記念事業の大切なスタートイベントに、武四郎翁に屈斜路湖を案内したアイヌ・イソリツカラの子孫を代表して<Kussharo Factory>の木彫り担当が招かれた。
ブログでも報告したけれど、とにかく感謝感激感動の1週間を過ごさせていただいたのである。
で。
今回は、武四郎翁をこよなく愛する35名の方々が足跡をたどるツアーを企画されたのだが、その中に屈斜路コタンでの交流の時間を設けてくださったのだ!
<Kussharo Factory>のスタッフはコタンの仲間よりも一足先に、ツアーが到着した日の晩に阿寒湖にてお迎えさせてもらった。
2月にお世話になった方も何人かいらっしゃって、再会を喜びあった。
昨日、ツアーの方々は弟子屈町にご到着。
まずは弟子屈町長を表敬訪問してくださり、その後、北海道ウタリ協会弟子屈支部のメンバーや町民参加者も合流して、武四郎翁の足跡をたどるバスツアーに出発した。
裏摩周から左手下の湖水際に降りて行った辺りに、武四郎翁が野営したとされる洞窟(武四郎の浜)がある。
クマザサが生い茂り、環境省の厳しい管理下に置かれているエリアであり、今後、人の目に触れることはおそらくないだろうという。
その後、対岸である第一展望台からも摩周湖を見渡してみた。
<kamuy to>神の湖といわれただけのことはある。

屈斜路コタンに建つ碑を見学してから、<cise>家へと場所を移す。
松浦武四郎記念館の高瀬英雄館長による「松浦武四郎の足跡をたどって弟子屈へたどりつく」というタイトルでの講演は、心打たれるものだった。
「屈斜路で過ごした日々をわが生涯の誇りとしている」という言葉には涙が出そうになった。
コタンの仲間たちも同じ気持ちだったことだろう。
…というか、<Kussharo Factory>のスタッフも含めて、屈斜路コタンの<utari>同胞、仲間のほうが高瀬館長夫妻と出会えたことに感謝している。
少なくとも、<Kussharo Factory>のスタッフは、高瀬館長夫妻を現代の松浦武四郎だと思っている。
松阪市からの参加者も一緒になって古式舞踊を踊ったことで、交流は一層深まっていった。

そしてきょう−。
絶好の天気に恵まれた中で、まずは安全を<to kor kamuy>湖の神に願う<kamuy nomi>神への祈りを行って、ネイチャーボートによる屈斜路湖&釧路川くだりを満喫した。

松浦武四郎自伝には、屈斜路に到着した翌日、「船を雇て湖中見物」とある。
今回は「水先イソリツカラ」とはいかなかったが(笑)。
秋晴れの高い青い空。
ほどよく色づいた木々の紅葉。
屈斜路ブルーの湖水。
オオハクチョウの白さが美しく交じり合い、ピンと張り詰めた朝の空気がこれ以上なく気持ちいい。
陸と湖と川から、武四郎翁の業績を垣間見ることができ、そしてそのための時間を松阪の方々とともに過ごせたことに、心から感謝したい。
風景言ん方なし。
−汐ならぬ 久寿里の湖に舟うけて 身も若がえる ここちこそすれ−
15日に、「松浦武四郎生誕190年等記念事業 武四郎の足跡を訪ねてin 北海道」ご一行さま35名がご来道!
ことしは松浦武四郎翁が、屈斜路コタンを訪れてからも150年という節目の年にあたる。
2月に武四郎翁の生誕地・三重県松阪市で行われた一連の記念事業の大切なスタートイベントに、武四郎翁に屈斜路湖を案内したアイヌ・イソリツカラの子孫を代表して<Kussharo Factory>の木彫り担当が招かれた。
ブログでも報告したけれど、とにかく感謝感激感動の1週間を過ごさせていただいたのである。
で。
今回は、武四郎翁をこよなく愛する35名の方々が足跡をたどるツアーを企画されたのだが、その中に屈斜路コタンでの交流の時間を設けてくださったのだ!
<Kussharo Factory>のスタッフはコタンの仲間よりも一足先に、ツアーが到着した日の晩に阿寒湖にてお迎えさせてもらった。
2月にお世話になった方も何人かいらっしゃって、再会を喜びあった。
昨日、ツアーの方々は弟子屈町にご到着。
まずは弟子屈町長を表敬訪問してくださり、その後、北海道ウタリ協会弟子屈支部のメンバーや町民参加者も合流して、武四郎翁の足跡をたどるバスツアーに出発した。
裏摩周から左手下の湖水際に降りて行った辺りに、武四郎翁が野営したとされる洞窟(武四郎の浜)がある。
クマザサが生い茂り、環境省の厳しい管理下に置かれているエリアであり、今後、人の目に触れることはおそらくないだろうという。
その後、対岸である第一展望台からも摩周湖を見渡してみた。
<kamuy to>神の湖といわれただけのことはある。

屈斜路コタンに建つ碑を見学してから、<cise>家へと場所を移す。
松浦武四郎記念館の高瀬英雄館長による「松浦武四郎の足跡をたどって弟子屈へたどりつく」というタイトルでの講演は、心打たれるものだった。
「屈斜路で過ごした日々をわが生涯の誇りとしている」という言葉には涙が出そうになった。
コタンの仲間たちも同じ気持ちだったことだろう。
…というか、<Kussharo Factory>のスタッフも含めて、屈斜路コタンの<utari>同胞、仲間のほうが高瀬館長夫妻と出会えたことに感謝している。
少なくとも、<Kussharo Factory>のスタッフは、高瀬館長夫妻を現代の松浦武四郎だと思っている。
松阪市からの参加者も一緒になって古式舞踊を踊ったことで、交流は一層深まっていった。

そしてきょう−。
絶好の天気に恵まれた中で、まずは安全を<to kor kamuy>湖の神に願う<kamuy nomi>神への祈りを行って、ネイチャーボートによる屈斜路湖&釧路川くだりを満喫した。

松浦武四郎自伝には、屈斜路に到着した翌日、「船を雇て湖中見物」とある。
今回は「水先イソリツカラ」とはいかなかったが(笑)。
秋晴れの高い青い空。
ほどよく色づいた木々の紅葉。
屈斜路ブルーの湖水。
オオハクチョウの白さが美しく交じり合い、ピンと張り詰めた朝の空気がこれ以上なく気持ちいい。
陸と湖と川から、武四郎翁の業績を垣間見ることができ、そしてそのための時間を松阪の方々とともに過ごせたことに、心から感謝したい。
風景言ん方なし。
−汐ならぬ 久寿里の湖に舟うけて 身も若がえる ここちこそすれ−
一緒に。
2008年10月15日(水) 晴れ のち くもり
それは夕方のことだった。
ぽけらーっとしているときのことだった。
くわー、クワー、くわー、クワー…。
むむっ!?
なーんか、聞き覚えのある音だのう。
そういえば、昨年も10月15日だったっけ。
一昨年は10月13日だったなあ。
というわけで。
今秋初めて、屈斜路コタンから冬の使者・オオハクチョウの姿が確認できましたとさ。
来たなあ。
来たなあ、といえば−。
北海道の名付け親である松浦武四郎翁の生誕地、三重県松阪市からお客さまツアーがご来道。
明日、明後日は行動を共にする時間が予定されている。
楽しみだ。
それは夕方のことだった。
ぽけらーっとしているときのことだった。
くわー、クワー、くわー、クワー…。
むむっ!?
なーんか、聞き覚えのある音だのう。
そういえば、昨年も10月15日だったっけ。
一昨年は10月13日だったなあ。
というわけで。
今秋初めて、屈斜路コタンから冬の使者・オオハクチョウの姿が確認できましたとさ。
来たなあ。
来たなあ、といえば−。
北海道の名付け親である松浦武四郎翁の生誕地、三重県松阪市からお客さまツアーがご来道。
明日、明後日は行動を共にする時間が予定されている。
楽しみだ。
秋の色
2008年10月13日(月・祝) 晴れ
秋のことをアイヌ語では<chuk>という。
アイヌ文化伝承者であった故・山本多助エカシは、秋という季節をさらに細分化した呼び方の記録を残している。
9月は<ムニ・オラッ・チュプ>枯葉月=草木の下葉が枯れて落ち始める月
10月は<シニ・オラッ・チュプ>落葉月=草木の葉は紅葉して多く落ちる月
11月は<ウレポッ・チュプ>足元に冷気を感じる月=寒気が日増しに加わり、足そこに冷気を感じる月
である、と。
屈斜路コタンも朝晩は冷え込みを感じる日が多くなり、周囲の山々の中にもところどころで赤や黄色が見られるようになってきた。
この「ところどころ」というのが北海道ならでは、なんである。
本州から来た旅行者だと、ちと物足りなさを感じるのではなかろうか。
北の大地では、そのほとんどで針広混交林が形成されている。
文字通り、亜寒帯に多い常緑針葉樹(トドマツ、エゾマツ、アカエゾマツなど)と温帯に多い広葉樹(カンバ、シナ、イタヤカエデ、ミズナラ)が入り交じって生育しているもので、実は世界的にみても珍しい存在なんである。
ちょうど気候帯の境目というわけだ。
秋になると広葉樹は赤や黄色に変化し、針葉樹の緑との違いが一段とはっきり見て取れる。
が、本州に比べて広葉樹が少ないので、その点で物足りなさを感じるのではないか、と思っただけのことである。
屈斜路コタンの秋だって、それなりに(!?)美しい。
ただし、紅葉が見られるようになるとその先の季節が駆け足で近づいていることを悟ることにもなり、迎えるための準備でなんとなく気ぜわしくなるのであった。

秋のことをアイヌ語では<chuk>という。
アイヌ文化伝承者であった故・山本多助エカシは、秋という季節をさらに細分化した呼び方の記録を残している。
9月は<ムニ・オラッ・チュプ>枯葉月=草木の下葉が枯れて落ち始める月
10月は<シニ・オラッ・チュプ>落葉月=草木の葉は紅葉して多く落ちる月
11月は<ウレポッ・チュプ>足元に冷気を感じる月=寒気が日増しに加わり、足そこに冷気を感じる月
である、と。
屈斜路コタンも朝晩は冷え込みを感じる日が多くなり、周囲の山々の中にもところどころで赤や黄色が見られるようになってきた。
この「ところどころ」というのが北海道ならでは、なんである。
本州から来た旅行者だと、ちと物足りなさを感じるのではなかろうか。
北の大地では、そのほとんどで針広混交林が形成されている。
文字通り、亜寒帯に多い常緑針葉樹(トドマツ、エゾマツ、アカエゾマツなど)と温帯に多い広葉樹(カンバ、シナ、イタヤカエデ、ミズナラ)が入り交じって生育しているもので、実は世界的にみても珍しい存在なんである。
ちょうど気候帯の境目というわけだ。
秋になると広葉樹は赤や黄色に変化し、針葉樹の緑との違いが一段とはっきり見て取れる。
が、本州に比べて広葉樹が少ないので、その点で物足りなさを感じるのではないか、と思っただけのことである。
屈斜路コタンの秋だって、それなりに(!?)美しい。
ただし、紅葉が見られるようになるとその先の季節が駆け足で近づいていることを悟ることにもなり、迎えるための準備でなんとなく気ぜわしくなるのであった。

晩秋のお約束
2008年10月10日(金) くもり のち 晴れ
昨日は天気予報どおりに午後から雨が降ってしまい、まりも祭りのハイライトともいうべきタイマツ行進が中止になってしまった。
驚くなかれ、17年ぶりのことだという。
すると、どういう事態が起こるか−。
17年はおろか、4,5年でも荒天中止なんてことがなければ、晴れることしか考えなくなるんである。
たとえ天気予報で「雨!」と言っていたにしても、だ。
「天気予報なんかアテにならん。明日は晴れるんじゃ」で、終わり。
たぶん、これまでの17年間にだって危うい天気のときはあっただろうが、幸いにしてタイマツ行進ができないほどの荒天にはならなかったということであろう。
で、いざ、タイマツ行進や屋外イベントができない状況に陥ると…。
「はて? 荒天のときはどうするんだっけ?」
危機管理ならぬ荒天時マニュアルがないことに気がつくのであった。あたふたあたふた。
きょうは朝からそこそこの荒天、もとい好天に恵まれ、無事にプログラムは進んだそうな。
−某<ekasi>長老が、“もうあとは若いもんに任せた”って言ったんだけどよお、冗談だと思っていたんだよな。
したっけ、時間になっても本当に集合場所に来ないんだ。探したら某所でアイスクリームを食べていやがんの。いや、驚いたのなんのって−
ってな話も、祭りが終われば笑い話である。
…笑えんか。
むかーしむかし。といっても今から10年くらい前。
<Kussharo Factory>の農耕民族がまだ観光客として北海道に来ていたころ、まりも祭りを見に来たことがあったそうな。
渡されたプログラムを片手にカメラを構えていたのだが、待てど暮らせど一向に祭りの始まる気配がない。
そこで、近くに立っていた男性に尋ねた。
民族衣装を着ていて、いかにも関係者とおぼしき彼は平然と答えたのだと。曰く、
「始まる時間? それは<kamuy>神が決めることだからなあ」
……。
「そのときは雰囲気に圧倒されて妙に納得してしまったけど、多少なりともアイヌのコミュニティに触れている今となっては、○○○○!ってカンジ(○はご想像にお任せします)」と<Kussharo Factory>の農耕民族は、まりも祭りの時期になると苦笑いしながら回想するのであった。
−そんなの、小さい小さい。(複数回まりも祭りが)同じようにできたことなんてないんだから。同じような苦情は100回以上聞いているけど−
ってな話も、祭りが終われば笑い話である。
…笑っていいのか?
ま、いかんせん、きょうのプラグラムには参加しておらず、何が起こっていたのかは複数の証言を聞いて理解するしかないのであって、「だったら何してたのよ?」といえば、山へ行っていたのである。
諸般の事情で、どうしても今日は山へ行かねばならなかったのだ。
しかも、ただ山へ行くっちゅーことではなく、「ヤマブドウを採集する」という重要な任務が数日前から予定されていたのである。
そのわりには「げっ! もうこんな時間だったんかい!」というような時間にのこのこと起きだし、ただでさえ残り少ない午前中にちょろりんと仕事をして、昼過ぎに出発!
「ジャンパー買ってきたんだ。ツ○ヤで」
おや、いつの間に?
「ちゃんと2人分、買ってあるから」
ほう。どれどれ…と渡された袋の中から出てきたのは、目にも鮮やかな蛍光オレンジでねーの。
ちと、ハデでないかい?
「ハンターに撃たれるよりマシっしょ?」
まあ、そうだけど。
きょうは農耕民族も木に登って収穫に勤しんだ。まっ、高さにしたら地上3メートル弱といったところだが。

一応、この伸びている枝の先のほうまで這っていた。
一方の採集狩猟民族はスルスルと7,8メートルくらいの高さまで登って作業を遂行。

あまり採りすぎると<kimun kamuy>ヒグマに申し訳ないので、少し残して退散。イヤイライケレー。
家に戻って計ってみたら15kg強ってことで、満足満足。
今回は、中国地方へと送られて行きましたとさ。
それにしても、蛍光オレンジのジャンパーは目立っていたなあ。
昨日は天気予報どおりに午後から雨が降ってしまい、まりも祭りのハイライトともいうべきタイマツ行進が中止になってしまった。
驚くなかれ、17年ぶりのことだという。
すると、どういう事態が起こるか−。
17年はおろか、4,5年でも荒天中止なんてことがなければ、晴れることしか考えなくなるんである。
たとえ天気予報で「雨!」と言っていたにしても、だ。
「天気予報なんかアテにならん。明日は晴れるんじゃ」で、終わり。
たぶん、これまでの17年間にだって危うい天気のときはあっただろうが、幸いにしてタイマツ行進ができないほどの荒天にはならなかったということであろう。
で、いざ、タイマツ行進や屋外イベントができない状況に陥ると…。
「はて? 荒天のときはどうするんだっけ?」
危機管理ならぬ荒天時マニュアルがないことに気がつくのであった。あたふたあたふた。
きょうは朝からそこそこの荒天、もとい好天に恵まれ、無事にプログラムは進んだそうな。
−某<ekasi>長老が、“もうあとは若いもんに任せた”って言ったんだけどよお、冗談だと思っていたんだよな。
したっけ、時間になっても本当に集合場所に来ないんだ。探したら某所でアイスクリームを食べていやがんの。いや、驚いたのなんのって−
ってな話も、祭りが終われば笑い話である。
…笑えんか。
むかーしむかし。といっても今から10年くらい前。
<Kussharo Factory>の農耕民族がまだ観光客として北海道に来ていたころ、まりも祭りを見に来たことがあったそうな。
渡されたプログラムを片手にカメラを構えていたのだが、待てど暮らせど一向に祭りの始まる気配がない。
そこで、近くに立っていた男性に尋ねた。
民族衣装を着ていて、いかにも関係者とおぼしき彼は平然と答えたのだと。曰く、
「始まる時間? それは<kamuy>神が決めることだからなあ」
……。
「そのときは雰囲気に圧倒されて妙に納得してしまったけど、多少なりともアイヌのコミュニティに触れている今となっては、○○○○!ってカンジ(○はご想像にお任せします)」と<Kussharo Factory>の農耕民族は、まりも祭りの時期になると苦笑いしながら回想するのであった。
−そんなの、小さい小さい。(複数回まりも祭りが)同じようにできたことなんてないんだから。同じような苦情は100回以上聞いているけど−
ってな話も、祭りが終われば笑い話である。
…笑っていいのか?
ま、いかんせん、きょうのプラグラムには参加しておらず、何が起こっていたのかは複数の証言を聞いて理解するしかないのであって、「だったら何してたのよ?」といえば、山へ行っていたのである。
諸般の事情で、どうしても今日は山へ行かねばならなかったのだ。
しかも、ただ山へ行くっちゅーことではなく、「ヤマブドウを採集する」という重要な任務が数日前から予定されていたのである。
そのわりには「げっ! もうこんな時間だったんかい!」というような時間にのこのこと起きだし、ただでさえ残り少ない午前中にちょろりんと仕事をして、昼過ぎに出発!
「ジャンパー買ってきたんだ。ツ○ヤで」
おや、いつの間に?
「ちゃんと2人分、買ってあるから」
ほう。どれどれ…と渡された袋の中から出てきたのは、目にも鮮やかな蛍光オレンジでねーの。
ちと、ハデでないかい?
「ハンターに撃たれるよりマシっしょ?」
まあ、そうだけど。
きょうは農耕民族も木に登って収穫に勤しんだ。まっ、高さにしたら地上3メートル弱といったところだが。

一応、この伸びている枝の先のほうまで這っていた。
一方の採集狩猟民族はスルスルと7,8メートルくらいの高さまで登って作業を遂行。

あまり採りすぎると<kimun kamuy>ヒグマに申し訳ないので、少し残して退散。イヤイライケレー。
家に戻って計ってみたら15kg強ってことで、満足満足。
今回は、中国地方へと送られて行きましたとさ。
それにしても、蛍光オレンジのジャンパーは目立っていたなあ。
祭りが終わると
2008年10月8日(水) くもり のち 晴れ
阿寒湖といえば、まりも。
まりもといえば、阿寒湖。
そして阿寒湖のまりもといえば、国の特別天然記念物である…と、まあ、百歩譲って天然記念物ということまでは知らないにしても、なんか、大切にしていそうなカンジという雰囲気は伝わっているのではないかと思う。
伝わっているって、どこに?
いや、全国的に。
実は、まりもというのは阿寒湖に限ったモノではなく、国内だけでも何か所かに存在している。
だったらなして阿寒湖のまりもだけが有名なのかっちゅーと、ときには直径30cmにまで成長するその大きさと、形の美しさが大きな要因だそうだ。指定されたのは1921(大正10)年というから、えーっと、かれこれ90年になろうとしているわけだな。
さて。
戦後まだ間もない昭和20年代といえば、阿寒湖がすこーしずつ観光地になり始めたころ−。
まりもはフツーに商品として売られていたという。
特別天然記念物とはいえ、湖のいたるところで見られるという珍しくもなんともないモノだったために、小遣い稼ぎとしてもちょうどよかったんだべな。で、乱獲が相次いだ。
さらに戦後の電力不足という事情がまりもにダメージを与えてしまった。
阿寒湖に水門を設けて下流にダムを作ったために、水位の変動が大きくなり、岸ちかくに棲息していたまりもが数多く露出→絶滅の危機に瀕する状況が生まれたのである。
こりゃあ、アカン…とふざけている場合ではなかったのだ。
阿寒湖に暮らすアイヌと和人はマジメに話し合った。
「売ったまりもを返してもらうべ」
「いまあるまりもを守っていかねば」
「それにしても、なんかきっかけが必要だべ」
「アイヌの儀式として、できるんでないかい?」
という会話があったかどうかは定かでないが、ちょっと!? いや大きな!? 問題があったことだけは確かである。
アイヌにとってまりもは<kamuy>神ではない、ということだ。
自然界のあらゆるものに魂が宿っていると考え、それぞれを神と崇めるアイヌであっても、まりもを神としてみたことはない。
某<ekasi>長老は、「たぶん、まりも(が神にならなかったの)は食べられなかったからではないか」という。
「(まりもを)酢醤油で食べるとウマいべ」
「かき揚げもなかなかだぞ」
という会話は、あくまでも冗談なのである。
とはいえ、阿寒湖そしてまりもは、周りに山々があり、木があり、川があってはじめて成り立つものである。
まりもと暮らしていける環境というのは、このようなすばらしい自然があってこそ。
だとすれば、アイヌの思想観に合っているのではないか。
1年に1度くらい、阿寒湖のまりもを取り巻く周囲の自然に感謝する儀式を行ってもいいのではないか−。
かくして、第1回まりも祭りは1950(昭和25)年に開催されたのだった。
そしてことしもまた、まりも祭りの日がやってきた。通算59回目。
8日は専門家によるまりもについての講演や生育地の見学などが行われる。
9日はアイヌによる<kamuy nomi>神への祈り、<kotan nusa kamuy nomi>村の祭壇での感謝の儀式、<icharpa>先祖供養祭を行ったあと、阿寒湖へまりもを迎えに行ってタイマツをかかげながらコタンに連れて帰り、一晩をともに過ごす。
翌10日は、まりもを送る儀式となる。
<kamuy nomi>を行ったのち、行進が出発。ホテル街を通り、湖畔の土地を無償貸与してもらっている前田一歩園の初代園長・故前田氏の胸像のまえで<rimuse>踊りを奉納する。
そして阿寒岳神社へ。
まりもを一度奉納し、お神酒を授かってから再びまりもを受け取って行進が続く。
なしてアイヌが神社へ行くのだ?
なぜなら、アイヌと和人が協力して立ち上げたまりも祭りだからこそ、双方の伝統を重んじた作法が取り入れられたのだと、先人は伝えてくれている。
まりも祭りは、アイヌと和人が共存共栄を目指す阿寒湖という観光地だからこそ生まれ、これからも伝えられていくのだろう。
一段と秋の深まりを感じる今日このごろ−。
阿寒湖といえば、まりも。
まりもといえば、阿寒湖。
そして阿寒湖のまりもといえば、国の特別天然記念物である…と、まあ、百歩譲って天然記念物ということまでは知らないにしても、なんか、大切にしていそうなカンジという雰囲気は伝わっているのではないかと思う。
伝わっているって、どこに?
いや、全国的に。
実は、まりもというのは阿寒湖に限ったモノではなく、国内だけでも何か所かに存在している。
だったらなして阿寒湖のまりもだけが有名なのかっちゅーと、ときには直径30cmにまで成長するその大きさと、形の美しさが大きな要因だそうだ。指定されたのは1921(大正10)年というから、えーっと、かれこれ90年になろうとしているわけだな。
さて。
戦後まだ間もない昭和20年代といえば、阿寒湖がすこーしずつ観光地になり始めたころ−。
まりもはフツーに商品として売られていたという。
特別天然記念物とはいえ、湖のいたるところで見られるという珍しくもなんともないモノだったために、小遣い稼ぎとしてもちょうどよかったんだべな。で、乱獲が相次いだ。
さらに戦後の電力不足という事情がまりもにダメージを与えてしまった。
阿寒湖に水門を設けて下流にダムを作ったために、水位の変動が大きくなり、岸ちかくに棲息していたまりもが数多く露出→絶滅の危機に瀕する状況が生まれたのである。
こりゃあ、アカン…とふざけている場合ではなかったのだ。
阿寒湖に暮らすアイヌと和人はマジメに話し合った。
「売ったまりもを返してもらうべ」
「いまあるまりもを守っていかねば」
「それにしても、なんかきっかけが必要だべ」
「アイヌの儀式として、できるんでないかい?」
という会話があったかどうかは定かでないが、ちょっと!? いや大きな!? 問題があったことだけは確かである。
アイヌにとってまりもは<kamuy>神ではない、ということだ。
自然界のあらゆるものに魂が宿っていると考え、それぞれを神と崇めるアイヌであっても、まりもを神としてみたことはない。
某<ekasi>長老は、「たぶん、まりも(が神にならなかったの)は食べられなかったからではないか」という。
「(まりもを)酢醤油で食べるとウマいべ」
「かき揚げもなかなかだぞ」
という会話は、あくまでも冗談なのである。
とはいえ、阿寒湖そしてまりもは、周りに山々があり、木があり、川があってはじめて成り立つものである。
まりもと暮らしていける環境というのは、このようなすばらしい自然があってこそ。
だとすれば、アイヌの思想観に合っているのではないか。
1年に1度くらい、阿寒湖のまりもを取り巻く周囲の自然に感謝する儀式を行ってもいいのではないか−。
かくして、第1回まりも祭りは1950(昭和25)年に開催されたのだった。
そしてことしもまた、まりも祭りの日がやってきた。通算59回目。
8日は専門家によるまりもについての講演や生育地の見学などが行われる。
9日はアイヌによる<kamuy nomi>神への祈り、<kotan nusa kamuy nomi>村の祭壇での感謝の儀式、<icharpa>先祖供養祭を行ったあと、阿寒湖へまりもを迎えに行ってタイマツをかかげながらコタンに連れて帰り、一晩をともに過ごす。
翌10日は、まりもを送る儀式となる。
<kamuy nomi>を行ったのち、行進が出発。ホテル街を通り、湖畔の土地を無償貸与してもらっている前田一歩園の初代園長・故前田氏の胸像のまえで<rimuse>踊りを奉納する。
そして阿寒岳神社へ。
まりもを一度奉納し、お神酒を授かってから再びまりもを受け取って行進が続く。
なしてアイヌが神社へ行くのだ?
なぜなら、アイヌと和人が協力して立ち上げたまりも祭りだからこそ、双方の伝統を重んじた作法が取り入れられたのだと、先人は伝えてくれている。
まりも祭りは、アイヌと和人が共存共栄を目指す阿寒湖という観光地だからこそ生まれ、これからも伝えられていくのだろう。
一段と秋の深まりを感じる今日このごろ−。
ふわふわふわふわ。
2008年10月5日(日) くもり のち 晴れ
ぽけらーっと外を見ていた…ら? およっ?
もしかして…!?
<upas kikir>雪虫でないかい?
(何回か撮影を試みてはみたが、あまりにも小さくてムリ。なので画像はなし)
本名はトドノネオオワタムシという。
体に白い蝋質物を付けて、力なく風に漂うかのように飛ぶ姿がいかにも雪の舞いに見えることから名づけられたと。
6月から10月ころまではトドマツの根元で過ごし、その後ヤチダモの木へと移動する。
この飛行が晩秋から初冬にかけて行われるのだ。
屈斜路コタンでは、雪虫の姿が見られてからほぼ1か月後に周囲の山々が白くなる。
そうかあ。
飛んじゃったかあ。
それにしても−。
井上靖の作品として有名な「しろばんば」って、伊豆地方における雪虫の呼び方だったとは!
知らなかった。
ぽけらーっと外を見ていた…ら? およっ?
もしかして…!?
<upas kikir>雪虫でないかい?
(何回か撮影を試みてはみたが、あまりにも小さくてムリ。なので画像はなし)
本名はトドノネオオワタムシという。
体に白い蝋質物を付けて、力なく風に漂うかのように飛ぶ姿がいかにも雪の舞いに見えることから名づけられたと。
6月から10月ころまではトドマツの根元で過ごし、その後ヤチダモの木へと移動する。
この飛行が晩秋から初冬にかけて行われるのだ。
屈斜路コタンでは、雪虫の姿が見られてからほぼ1か月後に周囲の山々が白くなる。
そうかあ。
飛んじゃったかあ。
それにしても−。
井上靖の作品として有名な「しろばんば」って、伊豆地方における雪虫の呼び方だったとは!
知らなかった。
2008秋 初物
2008年10月3日(金) 晴れ のち くもり のち 雨
朝食を摂りながらの<Kussharo Factory>スタッフミーティング−。
看板犬をのぞいたスタッフ全員がカゼ気味なため、なるべくおとなしく1日を過ごすことで合意。
「もう少しあったかくなったら外で鹿角を削って…アレして、コレして…」
「洗濯して、掃除機かけて、ストラップ編みして…アレして、コレして…」
「心静かに瞑想する」
おのおの、やること盛りだくさん。お互いの予定を確認し合って朝食が終了。
「とりあえず、山に行ってくる」
なにい!?
「なんも。1人で行ってくるから」
行く!
わん!
いや、看板犬はムリだって。
車でブオーッと走って、トコトコトコトコと歩いて、どれどれと木の周りを見てみる。
おや? このキノコはなんだべ?
早速、キノコ図鑑で調べてみる。

ほう。そうか。マイタケっていうんだな。
(だから同じネタを繰り返し使うのはやめれ by陰の声)
その姿を見た者は、あまりにうれしさに舞い踊りたくなるから「舞茸」。まあ、大きさからして小躍りくらいだべか。
せっかく踊りの練習をしておいたのだが、それはまた次回に。
移動した場所で木の周りをチェック。
おや? このキノコはなんだべ?
早速、キノコ図鑑で調べてみる。

ほう。そうか。シイタケっていうんだな。
(もうわかったっちゅーの by陰の声)
とりあえず、例年にくらべて半月くらい遅いとはいえ、キノコの姿が見え始めたので一安心する。
帰路、たわわに実る山ぶどうの木を発見。
当初は予定になかったのだが、味見してみたら甘くなっていたし、なによりも今日は金曜日なので(=土日は仕事が休みで山に入る人が増える)速やかに採集する。

木に登ってぶどうを食べているヒグマみたいだな。
今回の山ぶどうは東海地方の某所へ送られて行きましたとさ。
山の恵みに感謝感謝。イヤイライケレー。
ところで。
なんのためのミーティングだったんだべか?
えっ? カゼ?
山を歩いていたら治っちゃった。
朝食を摂りながらの<Kussharo Factory>スタッフミーティング−。
看板犬をのぞいたスタッフ全員がカゼ気味なため、なるべくおとなしく1日を過ごすことで合意。
「もう少しあったかくなったら外で鹿角を削って…アレして、コレして…」
「洗濯して、掃除機かけて、ストラップ編みして…アレして、コレして…」
「心静かに瞑想する」
おのおの、やること盛りだくさん。お互いの予定を確認し合って朝食が終了。
「とりあえず、山に行ってくる」
なにい!?
「なんも。1人で行ってくるから」
行く!
わん!
いや、看板犬はムリだって。
車でブオーッと走って、トコトコトコトコと歩いて、どれどれと木の周りを見てみる。
おや? このキノコはなんだべ?
早速、キノコ図鑑で調べてみる。

ほう。そうか。マイタケっていうんだな。
(だから同じネタを繰り返し使うのはやめれ by陰の声)
その姿を見た者は、あまりにうれしさに舞い踊りたくなるから「舞茸」。まあ、大きさからして小躍りくらいだべか。
せっかく踊りの練習をしておいたのだが、それはまた次回に。
移動した場所で木の周りをチェック。
おや? このキノコはなんだべ?
早速、キノコ図鑑で調べてみる。

ほう。そうか。シイタケっていうんだな。
(もうわかったっちゅーの by陰の声)
とりあえず、例年にくらべて半月くらい遅いとはいえ、キノコの姿が見え始めたので一安心する。
帰路、たわわに実る山ぶどうの木を発見。
当初は予定になかったのだが、味見してみたら甘くなっていたし、なによりも今日は金曜日なので(=土日は仕事が休みで山に入る人が増える)速やかに採集する。

木に登ってぶどうを食べているヒグマみたいだな。
今回の山ぶどうは東海地方の某所へ送られて行きましたとさ。
山の恵みに感謝感謝。イヤイライケレー。
ところで。
なんのためのミーティングだったんだべか?
えっ? カゼ?
山を歩いていたら治っちゃった。













