屈斜路コタンの桜
2008年5月16日(金) 晴れ
きょう、根室のチシマザクラが開花したことで、例年より4日早く桜前線がゴールしたという。
ことし3月に発行された


にも収録されている屈斜路コタン(同書での表記は「古潭」)の桜もいまが盛りである。

昭和24年に発行された弟子屈町史によると、木材の恩恵によって全道でも珍しい立派なコタンであるとして、研究学者たちを驚かせたほどだったという。その象徴が屈斜路神社であり、地元の人間が「屈斜路コタンの桜」と呼ぶのはその跡地に現在までたたずんでいる桜のことだ。
大正6年、ここで造材事業を行っていた黒瀧初太郎氏が部落民と協力して山の幸を司る大山神を祀る社をつくったとされる。
コタンにはコタンの神々もあったが、木材事業の盛衰によって生活が支えられていたという事実があり、この神に対する新しい信仰が芽生え始めていたらしい。
日本国内の、林業が盛んな地域にはいずこも山神信仰が存在する。この神様とは女神で、名を木花咲耶姫(このはなさくやひめ)といい、「桜」という名前の由来になったとされる山の精だ。
年に一度の山神祭の日は、絶対に山へ行って刃物を使ってはいけないとされていた。神の怒りに触れて災難に遭う、と。
木花咲耶姫は危険な山仕事をつねに楽しく守ってくれていたのだ。
神社の境内は、屈斜路コタンの子供たちにとっても楽しい遊び場であったという。
土俵も整えられていて、奉納相撲も行われていたとか。
桜の木は参道沿いも含めた敷地内に多くが立ち並び、「そりゃあ見事に咲き誇ったもんだ」と、ご近所のお兄さまお姉さまがたは、桜が咲くこの時期になると決まって口にする。
過去形になっているのは、いまから30年ほど前に屈斜路神社が湖の反対側にある和琴半島に移動してしまったからだ。
それでも残った何本かの桜の木は、一生懸命咲き続けてくれている。
美しいピンク色の花の裏には悲しい歴史が存在しているのだ。
黄色が眩しいレンギョウとのコントラストが目にも鮮やかである。

ちなみにレンギョウはお隣の国、韓国の国民が最も愛する花。日本人が桜に抱くような感情を、韓国人はレンギョウに託すのである。
以前、韓国から来たという観光客と、お互いにぎこちない英語で会話をした。
そのとき、知っている単語という意味で「ケナリ」という言葉を発したとたん、相手はびっくりしたような表情を見せた後に満面の笑みを浮かべたのである。その変わりように驚いてしまった。
「ケナリも花、サクラも花」(鷺沢萠・著)という本がある。
この女性作家は、父方の祖母に韓国人を持つクォーターであった。韓国人の祖母と日本人の祖父の間に生まれたのが作家の父親であり、作家の母親は日本人だったのだが、本人がそのことを知ったのは父親の死後で、母親もどうやら自分の夫に韓国人の血が半分流れていることを知らなかったようだ。そして、「父本人が半分韓国人ということを自ら自覚していたのかどうかを今となっては知る術もない」と書いていた。事実を受け止めた作家は、その後、韓国語の勉強を始め、韓国留学も経験するに至る。知ることによって悩みもした。そして2004年に36歳の若さでこの世を足早に駆け抜けて行ってしまった。理由は本人にしかわからない。
韓国語で、レンギョウは「ケナリ」ということを、この本で知った。
隠されていた血の意味するもの−。
屈斜路コタンの桜とレンギョウを見るたびに思い出す。
「アイヌ民族 先住民族認定へ/今国会決議 サミット前 政府声明」
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/92785.php
そしてきょう、アイヌ民族で組織する北海道ウタリ協会は、名称を発足当時の「北海道アイヌ協会」に戻すことを総会で決定した。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/92995.html
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/93102.html
きょう、根室のチシマザクラが開花したことで、例年より4日早く桜前線がゴールしたという。
ことし3月に発行された

にも収録されている屈斜路コタン(同書での表記は「古潭」)の桜もいまが盛りである。

昭和24年に発行された弟子屈町史によると、木材の恩恵によって全道でも珍しい立派なコタンであるとして、研究学者たちを驚かせたほどだったという。その象徴が屈斜路神社であり、地元の人間が「屈斜路コタンの桜」と呼ぶのはその跡地に現在までたたずんでいる桜のことだ。
大正6年、ここで造材事業を行っていた黒瀧初太郎氏が部落民と協力して山の幸を司る大山神を祀る社をつくったとされる。
コタンにはコタンの神々もあったが、木材事業の盛衰によって生活が支えられていたという事実があり、この神に対する新しい信仰が芽生え始めていたらしい。
日本国内の、林業が盛んな地域にはいずこも山神信仰が存在する。この神様とは女神で、名を木花咲耶姫(このはなさくやひめ)といい、「桜」という名前の由来になったとされる山の精だ。
年に一度の山神祭の日は、絶対に山へ行って刃物を使ってはいけないとされていた。神の怒りに触れて災難に遭う、と。
木花咲耶姫は危険な山仕事をつねに楽しく守ってくれていたのだ。
神社の境内は、屈斜路コタンの子供たちにとっても楽しい遊び場であったという。
土俵も整えられていて、奉納相撲も行われていたとか。
桜の木は参道沿いも含めた敷地内に多くが立ち並び、「そりゃあ見事に咲き誇ったもんだ」と、ご近所のお兄さまお姉さまがたは、桜が咲くこの時期になると決まって口にする。
過去形になっているのは、いまから30年ほど前に屈斜路神社が湖の反対側にある和琴半島に移動してしまったからだ。
それでも残った何本かの桜の木は、一生懸命咲き続けてくれている。
美しいピンク色の花の裏には悲しい歴史が存在しているのだ。
黄色が眩しいレンギョウとのコントラストが目にも鮮やかである。

ちなみにレンギョウはお隣の国、韓国の国民が最も愛する花。日本人が桜に抱くような感情を、韓国人はレンギョウに託すのである。
以前、韓国から来たという観光客と、お互いにぎこちない英語で会話をした。
そのとき、知っている単語という意味で「ケナリ」という言葉を発したとたん、相手はびっくりしたような表情を見せた後に満面の笑みを浮かべたのである。その変わりように驚いてしまった。
「ケナリも花、サクラも花」(鷺沢萠・著)という本がある。
この女性作家は、父方の祖母に韓国人を持つクォーターであった。韓国人の祖母と日本人の祖父の間に生まれたのが作家の父親であり、作家の母親は日本人だったのだが、本人がそのことを知ったのは父親の死後で、母親もどうやら自分の夫に韓国人の血が半分流れていることを知らなかったようだ。そして、「父本人が半分韓国人ということを自ら自覚していたのかどうかを今となっては知る術もない」と書いていた。事実を受け止めた作家は、その後、韓国語の勉強を始め、韓国留学も経験するに至る。知ることによって悩みもした。そして2004年に36歳の若さでこの世を足早に駆け抜けて行ってしまった。理由は本人にしかわからない。
韓国語で、レンギョウは「ケナリ」ということを、この本で知った。
隠されていた血の意味するもの−。
屈斜路コタンの桜とレンギョウを見るたびに思い出す。
「アイヌ民族 先住民族認定へ/今国会決議 サミット前 政府声明」
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/92785.php
そしてきょう、アイヌ民族で組織する北海道ウタリ協会は、名称を発足当時の「北海道アイヌ協会」に戻すことを総会で決定した。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/92995.html
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/93102.html


