視察報告・14(2月28日のできごと)ついに“しょっぱいかわ”を渡る
2008年4月14日(月) 晴れ
しつこくヒグマの足跡を見に行く。
昨日撮影したエゾシカの足の骨のすぐ横に残っていた前足跡はすでに解けてなくなってしまっていた。
車のダッシュボードの中にいつもメジャーを積んでいるのだが、昨日は興奮していたあまり、持って降りるのを忘れてしまって悔しかったのである。
せっかく持って来たのだが…。
執念深く周りを見回してみたら、斜面を滑ったと思われる近くに後ろ足だけど残っていた。

じ、18cm!?
2月28日(木)のできごと
杜の都・仙台に来たからには伊達政宗公にごあいさつせねばということで青葉城址へ。

おおーっ、兜の弦月形がりりしい。
NHK大河ドラマの「独眼竜政宗」、欠かさず見ておりましたぞ。
みぞれ降る中、15人くらいの団体が政宗公の像をバックに写真を撮っていた。
聞こえてくる声は日本語ではない。
以下、カタコト英語での会話。
「どっから来たの?」
「台湾だよ」
「歓迎光臨!」
「オウ、謝謝」
ちょっとした国際交流である。
「この犬、かわいいね」
「そうかい? ありがと」
「一緒に写真を撮ってもいい?」
「い、いいけど…!?」
そして予想外の事態に。な、なんとほぼ全員が入れ替わり立ち代わり<Kussharo Factory>の看板犬と記念撮影を始めたのである。
な、なして?????
そんなに珍しい犬種? とも思えんが。はて?
ダテ男、伊達政宗公も苦笑いされそうなチョー人気ぶりであった。
ちょっとした国際交流である。
モデル犬はかなりお疲れのご様子であった。ご苦労。
東北自動車道に乗り、サービスエリアでちょっと休憩。
牛タン串orずんだ餅か、どちらの仙台名物を食すかでしばし悩む。で、結局ずんだ餅。

ひとえに経済的理由による。
一説によると、ずんだ餅は料理好きだった正宗公が考案されたとか。
その後は一路、青森に向け走る走るひた走る。
岩手に入ると、途端に道の脇の雪の量が増え、一時、吹雪状態で路面のラインが見えなくなるくらい。にもかかわらず、なしてそんなに(ほかの車は)スピードを出せるのだ!?
5時間ほどして、やっと東北自動車道の終点、青森ICの看板が見えてきた。
長かったなあ。青森って何か見るところあるべか?
「三内丸山遺跡って、(東北自動車道から)遠いんだべか?」
ああ、どうなんだべ? 地図、見てみっかい? ってなことで後ろのシートに置いてあった地図を手元に引き寄せようとしたところで、路肩に立っていた看板が目に入った。
<三内丸山遺跡 すぐ>
いや、実際は「すぐ」じゃなくて、○kmって書いてあったんだけど忘れちまって。とにかく、すごく近かったのである。
なんてラッキーな。
延々走り続けてきた東北自動車道ともついにお別れ。

標識に導かれるまま進むと5分ほどで三内丸山遺跡に到着。青森は寒いのう。
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
縄文時代最大級の集落として、江戸時代から知られている遺跡である。
これまでに縄文時代前期から中期(約5500年前〜4000年前)の大集落跡や平安時代(約1000年前)の集落跡、中世末(約400年前)の城館跡の一部が見つかっているという。
いつの時代も、人々が住みやすい場所の条件は同じということか。
それにしても5000年以上も前に、これほど多くの竪穴住居、しかも大型から小型までタイプもさまざまに建てる技術があったというのは驚きである。建築工学上からしても理にかなっているそうだ。
また動物や魚の骨、植物の種子や花粉からは当時の実に豊かな自然環境や食生活が窺い知れるという。
遺物が花粉とわかったこと自体、すごいことだと思うのだが。
ヒスイやコハク、黒曜石は遠方との交易があったことを示しているという。漆器は専門的な技術を持った人がいたと考えられるそうだ。挙句の果てに、失敗したと思われる土器が5000年以上経った時代に公開されるなんざ、作者もフクザツな心境であろう。

屋外の遺跡やら屋内の展示室やら見て回っていたら2時間近くが経過。一気に知識を詰め込むにはこのあたりが限界じゃ。
外に出ると、青森もはや夕暮れ時。ほかに見てみたいところも特にないし、そろそろ北の大地に帰るとするか、ということで18:00に青森港を出るフェリーに乗ることにした。フェリー会社はいくつかあったが、出航時間と料金の兼ね合いによる。
青森−函館を結ぶ4時間。あー、揺れるんだろうなあ。短距離航路のフェリーなのでペットゲージは設置されておらず、<Kussharo Factory>の看板犬はマイカーの中で過ごすことになる。お約束の誓約書=「何があってもフェリー会社側としては責任とれませんぜ」って用紙にサインをする。
乗り込む車はトラックばっかり。乗用車はなんと<Kussharo Factory>の1台だけであった。最後の最後にちょこんと乗せられて搬入ゲートが閉まる。ライトアップされた青森ベイブリッジ(青森のウォーターフロントのシンボル。全長2km。すぐ近くには歩行者専用道「ラブリッジ」っちゅーのもあって、デートスポットとして人気…らしい)だけが見送ってくれた。
で、どこのフェリーでも船室っていうのは一般客室と業務用トラック運転手さんたちの専用スペースが別に設けられている。
ということで、60人収容という一般客室は<Kussharo Factory>の人間スタッフ2人だけの貸切状態。

なんだ、これなら看板犬も連れ込めたじゃないか…という邪な考えが頭をよぎらなくもなかった。
低気圧がもろ近づいていた影響で、けっこう揺れた。というか、かなり揺れた。前回<Kussharo Factory>のなんちゃって刺繍担当が経験した悪夢=外洋でも船酔いしなかったのに冬の苫小牧−敦賀という日本海航路で船酔いするという精神的ショックが大きかった出来事、のときよりも揺れたかもしれない。が、2人ともまったく酔わなかった。それどころかカップラーメンを食べ、足元が不安定にもかかわらずシャワーも浴びた。
するってえと前回の船酔いは単に体調が悪かっただけかい?
22:00、定刻どおり♪は〜るばる来たぜ函館に到着。クンクンクン。北海道のにおいだ!
しつこくヒグマの足跡を見に行く。
昨日撮影したエゾシカの足の骨のすぐ横に残っていた前足跡はすでに解けてなくなってしまっていた。
車のダッシュボードの中にいつもメジャーを積んでいるのだが、昨日は興奮していたあまり、持って降りるのを忘れてしまって悔しかったのである。
せっかく持って来たのだが…。
執念深く周りを見回してみたら、斜面を滑ったと思われる近くに後ろ足だけど残っていた。

じ、18cm!?
2月28日(木)のできごと
杜の都・仙台に来たからには伊達政宗公にごあいさつせねばということで青葉城址へ。

おおーっ、兜の弦月形がりりしい。
NHK大河ドラマの「独眼竜政宗」、欠かさず見ておりましたぞ。
みぞれ降る中、15人くらいの団体が政宗公の像をバックに写真を撮っていた。
聞こえてくる声は日本語ではない。
以下、カタコト英語での会話。
「どっから来たの?」
「台湾だよ」
「歓迎光臨!」
「オウ、謝謝」
ちょっとした国際交流である。
「この犬、かわいいね」
「そうかい? ありがと」
「一緒に写真を撮ってもいい?」
「い、いいけど…!?」
そして予想外の事態に。な、なんとほぼ全員が入れ替わり立ち代わり<Kussharo Factory>の看板犬と記念撮影を始めたのである。
な、なして?????
そんなに珍しい犬種? とも思えんが。はて?
ダテ男、伊達政宗公も苦笑いされそうなチョー人気ぶりであった。
ちょっとした国際交流である。
モデル犬はかなりお疲れのご様子であった。ご苦労。
東北自動車道に乗り、サービスエリアでちょっと休憩。
牛タン串orずんだ餅か、どちらの仙台名物を食すかでしばし悩む。で、結局ずんだ餅。

ひとえに経済的理由による。
一説によると、ずんだ餅は料理好きだった正宗公が考案されたとか。
その後は一路、青森に向け走る走るひた走る。
岩手に入ると、途端に道の脇の雪の量が増え、一時、吹雪状態で路面のラインが見えなくなるくらい。にもかかわらず、なしてそんなに(ほかの車は)スピードを出せるのだ!?
5時間ほどして、やっと東北自動車道の終点、青森ICの看板が見えてきた。
長かったなあ。青森って何か見るところあるべか?
「三内丸山遺跡って、(東北自動車道から)遠いんだべか?」
ああ、どうなんだべ? 地図、見てみっかい? ってなことで後ろのシートに置いてあった地図を手元に引き寄せようとしたところで、路肩に立っていた看板が目に入った。
<三内丸山遺跡 すぐ>
いや、実際は「すぐ」じゃなくて、○kmって書いてあったんだけど忘れちまって。とにかく、すごく近かったのである。
なんてラッキーな。
延々走り続けてきた東北自動車道ともついにお別れ。

標識に導かれるまま進むと5分ほどで三内丸山遺跡に到着。青森は寒いのう。
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
縄文時代最大級の集落として、江戸時代から知られている遺跡である。
これまでに縄文時代前期から中期(約5500年前〜4000年前)の大集落跡や平安時代(約1000年前)の集落跡、中世末(約400年前)の城館跡の一部が見つかっているという。
いつの時代も、人々が住みやすい場所の条件は同じということか。
それにしても5000年以上も前に、これほど多くの竪穴住居、しかも大型から小型までタイプもさまざまに建てる技術があったというのは驚きである。建築工学上からしても理にかなっているそうだ。
また動物や魚の骨、植物の種子や花粉からは当時の実に豊かな自然環境や食生活が窺い知れるという。
遺物が花粉とわかったこと自体、すごいことだと思うのだが。
ヒスイやコハク、黒曜石は遠方との交易があったことを示しているという。漆器は専門的な技術を持った人がいたと考えられるそうだ。挙句の果てに、失敗したと思われる土器が5000年以上経った時代に公開されるなんざ、作者もフクザツな心境であろう。

屋外の遺跡やら屋内の展示室やら見て回っていたら2時間近くが経過。一気に知識を詰め込むにはこのあたりが限界じゃ。
外に出ると、青森もはや夕暮れ時。ほかに見てみたいところも特にないし、そろそろ北の大地に帰るとするか、ということで18:00に青森港を出るフェリーに乗ることにした。フェリー会社はいくつかあったが、出航時間と料金の兼ね合いによる。
青森−函館を結ぶ4時間。あー、揺れるんだろうなあ。短距離航路のフェリーなのでペットゲージは設置されておらず、<Kussharo Factory>の看板犬はマイカーの中で過ごすことになる。お約束の誓約書=「何があってもフェリー会社側としては責任とれませんぜ」って用紙にサインをする。
乗り込む車はトラックばっかり。乗用車はなんと<Kussharo Factory>の1台だけであった。最後の最後にちょこんと乗せられて搬入ゲートが閉まる。ライトアップされた青森ベイブリッジ(青森のウォーターフロントのシンボル。全長2km。すぐ近くには歩行者専用道「ラブリッジ」っちゅーのもあって、デートスポットとして人気…らしい)だけが見送ってくれた。
で、どこのフェリーでも船室っていうのは一般客室と業務用トラック運転手さんたちの専用スペースが別に設けられている。
ということで、60人収容という一般客室は<Kussharo Factory>の人間スタッフ2人だけの貸切状態。

なんだ、これなら看板犬も連れ込めたじゃないか…という邪な考えが頭をよぎらなくもなかった。
低気圧がもろ近づいていた影響で、けっこう揺れた。というか、かなり揺れた。前回<Kussharo Factory>のなんちゃって刺繍担当が経験した悪夢=外洋でも船酔いしなかったのに冬の苫小牧−敦賀という日本海航路で船酔いするという精神的ショックが大きかった出来事、のときよりも揺れたかもしれない。が、2人ともまったく酔わなかった。それどころかカップラーメンを食べ、足元が不安定にもかかわらずシャワーも浴びた。
するってえと前回の船酔いは単に体調が悪かっただけかい?
22:00、定刻どおり♪は〜るばる来たぜ函館に到着。クンクンクン。北海道のにおいだ!


