2007-05

フチが書いた「わたしのコタン」

2007年5月30日(水) 晴れのち雨

朝、某公共放送のお天気コーナーで。
“次の日曜日の好天に向け、太陽は充電(=くもりや雨のこと)します”というコメントを耳にして、思わず「なるほど」。
最近、屈斜路コタンでは太陽の充電が多いな。

<kito キト>ギョウジャニンニクもそろそろ終わりかあ。
今日は(今日も?)<komni-karus コニ・カルシイタケをみーつけた。今年は当たり年かも♪
中には軸が途中から分かれた双子のシイタケもあったりして。香りマツタケ味シメジって言うけど、天然のシイタケだって、これがなかなかの香りですぞ。

07053001


「春のキノコは虫がつく」とかで干せないらしい。なのでクッキングペーパーで汚れを拭き取って冷凍する。
軟弱というなかれ、一番お手軽なのだ。

昼前からポツポツ雨が降り出す。
雨が降ったら…本でも読むかあ。

わたしのコタン
弟子シギ子/著
平成13年8月1日発行
1500円+税

07053002


現在は阿寒湖温泉に住み民芸品店を経営するシギ子おばさんが、生まれ育った屈斜路コタンについて記した本。昭和10年〜16年ごろの出来事が綴られている。

昭和16年12月8日。太平洋戦争が始まったその日、屈斜路コタンではイオマンテ熊祭り)が行われたこと。
冬は凍った湖上を歩いて学校へ通ったこと。
白鳥が騒ぎ出すと急いで薪を家の中に運び込み、いつもより多く水を汲んだこと。それは<フチ>おばあさん)から「白鳥は空高く飛んでいるから天の神や風の神、山の神から天気が悪くなることを聞き、それを人間に伝えてくれる=騒いで教えてくれるんだよ」と教わったから。
三月の末頃、ほんのりと甘いイタヤの樹液を採るのが楽しみだったこと。

親たちの年代はアイヌ語を使っていたのかもしれないが、子供の前では決してアイヌ語を使わなかったこと。
フチ達はアイヌ語を話すのは周りに誰もいない湖の上が一番だったらしいこと。

昨日交わしたばかりのような細かい会話が記されていて、日常のほんの一コマの中に季節感やアイヌとしての生活のようすが生き生きと語られている、屈斜路コタンにとって貴重な記録であり、大切な一冊だ。

−アイヌ語を教えてと頼んでも「学校の勉強をして手紙を書ける様なえらい人になりなさい」と言って、ぜったいに教えてくれなかった祖父母たち。日本語はたどたどしく話せても、日本字を読めず書けなかったため、悔しく悲しい思いをたくさんした事でしょう。
 自分達民族の言葉を捨て、アイヌの習慣も捨て、住んで居た土地も追われ、「シサム=日本人」に恨みがあるはずなのに自分達の子孫を少しでも「シサム」に近づけようと決心するまでには、今の私達では想像を絶する事があったと思います。現に私が十代の後半に、アイヌの何処が悪いか、と言って喧嘩したら、そこに居たじいさんが「おい、そこのメノコ良く聞けよ、この北海道ではアイヌの一人や二人を殺しても罪にはならないんだぞ」とおどされた事がありました。昭和の二十年代にもこんなシサムが居たと言う事は、明治、大正時代はどんなだったかと思う。アイヌの先祖が自分達を捨て、子孫の盾になって守ってきてくれたのですね。
 学校の先生でもなく大臣でもなく、手紙の書ける「えらい人」、この言葉には「ジーン」とくるものがあります−
(本文より)


時を超え、民族を超え、言語を超え、文化を超え、国籍を超え、語り継いでいかなければならないことがある。



テーマ:北海道/道東 - ジャンル:地域情報

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