2008-05

視察報告・14(2月28日のできごと)ついに“しょっぱいかわ”を渡る

2008年4月14日(月) 晴れ

しつこくヒグマの足跡を見に行く。
昨日撮影したエゾシカの足の骨のすぐ横に残っていた前足跡はすでに解けてなくなってしまっていた。
車のダッシュボードの中にいつもメジャーを積んでいるのだが、昨日は興奮していたあまり、持って降りるのを忘れてしまって悔しかったのである。

せっかく持って来たのだが…。
執念深く周りを見回してみたら、斜面を滑ったと思われる近くに後ろ足だけど残っていた。
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じ、18cm!?


2月28日(木)のできごと

杜の都・仙台に来たからには伊達政宗公にごあいさつせねばということで青葉城址へ。
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おおーっ、兜の弦月形がりりしい。
NHK大河ドラマの「独眼竜政宗」、欠かさず見ておりましたぞ。

みぞれ降る中、15人くらいの団体が政宗公の像をバックに写真を撮っていた。
聞こえてくる声は日本語ではない。

以下、カタコト英語での会話。
「どっから来たの?」
「台湾だよ」
「歓迎光臨!」
「オウ、謝謝」
ちょっとした国際交流である。

「この犬、かわいいね」
「そうかい? ありがと」
「一緒に写真を撮ってもいい?」
「い、いいけど…!?」
そして予想外の事態に。な、なんとほぼ全員が入れ替わり立ち代わり<Kussharo Factory>の看板犬と記念撮影を始めたのである。
な、なして?????
そんなに珍しい犬種? とも思えんが。はて?

ダテ男、伊達政宗公も苦笑いされそうなチョー人気ぶりであった。
ちょっとした国際交流である。
モデル犬はかなりお疲れのご様子であった。ご苦労。

東北自動車道に乗り、サービスエリアでちょっと休憩。
牛タン串orずんだ餅か、どちらの仙台名物を食すかでしばし悩む。で、結局ずんだ餅。
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ひとえに経済的理由による。
一説によると、ずんだ餅は料理好きだった正宗公が考案されたとか。

その後は一路、青森に向け走る走るひた走る。
岩手に入ると、途端に道の脇の雪の量が増え、一時、吹雪状態で路面のラインが見えなくなるくらい。にもかかわらず、なしてそんなに(ほかの車は)スピードを出せるのだ!?

5時間ほどして、やっと東北自動車道の終点、青森ICの看板が見えてきた。
長かったなあ。青森って何か見るところあるべか?

「三内丸山遺跡って、(東北自動車道から)遠いんだべか?」
ああ、どうなんだべ? 地図、見てみっかい? ってなことで後ろのシートに置いてあった地図を手元に引き寄せようとしたところで、路肩に立っていた看板が目に入った。

<三内丸山遺跡 すぐ>
いや、実際は「すぐ」じゃなくて、○kmって書いてあったんだけど忘れちまって。とにかく、すごく近かったのである。
なんてラッキーな。

延々走り続けてきた東北自動車道ともついにお別れ。
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標識に導かれるまま進むと5分ほどで三内丸山遺跡に到着。青森は寒いのう。
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
縄文時代最大級の集落として、江戸時代から知られている遺跡である。
これまでに縄文時代前期から中期(約5500年前〜4000年前)の大集落跡や平安時代(約1000年前)の集落跡、中世末(約400年前)の城館跡の一部が見つかっているという。
いつの時代も、人々が住みやすい場所の条件は同じということか。

それにしても5000年以上も前に、これほど多くの竪穴住居、しかも大型から小型までタイプもさまざまに建てる技術があったというのは驚きである。建築工学上からしても理にかなっているそうだ。
また動物や魚の骨、植物の種子や花粉からは当時の実に豊かな自然環境や食生活が窺い知れるという。
遺物が花粉とわかったこと自体、すごいことだと思うのだが。

ヒスイやコハク、黒曜石は遠方との交易があったことを示しているという。漆器は専門的な技術を持った人がいたと考えられるそうだ。挙句の果てに、失敗したと思われる土器が5000年以上経った時代に公開されるなんざ、作者もフクザツな心境であろう。
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屋外の遺跡やら屋内の展示室やら見て回っていたら2時間近くが経過。一気に知識を詰め込むにはこのあたりが限界じゃ。
外に出ると、青森もはや夕暮れ時。ほかに見てみたいところも特にないし、そろそろ北の大地に帰るとするか、ということで18:00に青森港を出るフェリーに乗ることにした。フェリー会社はいくつかあったが、出航時間と料金の兼ね合いによる。

青森−函館を結ぶ4時間。あー、揺れるんだろうなあ。短距離航路のフェリーなのでペットゲージは設置されておらず、<Kussharo Factory>の看板犬はマイカーの中で過ごすことになる。お約束の誓約書=「何があってもフェリー会社側としては責任とれませんぜ」って用紙にサインをする。

乗り込む車はトラックばっかり。乗用車はなんと<Kussharo Factory>の1台だけであった。最後の最後にちょこんと乗せられて搬入ゲートが閉まる。ライトアップされた青森ベイブリッジ(青森のウォーターフロントのシンボル。全長2km。すぐ近くには歩行者専用道「ラブリッジ」っちゅーのもあって、デートスポットとして人気…らしい)だけが見送ってくれた。

で、どこのフェリーでも船室っていうのは一般客室と業務用トラック運転手さんたちの専用スペースが別に設けられている。
ということで、60人収容という一般客室は<Kussharo Factory>の人間スタッフ2人だけの貸切状態。
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なんだ、これなら看板犬も連れ込めたじゃないか…という邪な考えが頭をよぎらなくもなかった。

低気圧がもろ近づいていた影響で、けっこう揺れた。というか、かなり揺れた。前回<Kussharo Factory>のなんちゃって刺繍担当が経験した悪夢=外洋でも船酔いしなかったのに冬の苫小牧−敦賀という日本海航路で船酔いするという精神的ショックが大きかった出来事、のときよりも揺れたかもしれない。が、2人ともまったく酔わなかった。それどころかカップラーメンを食べ、足元が不安定にもかかわらずシャワーも浴びた。
するってえと前回の船酔いは単に体調が悪かっただけかい?

22:00、定刻どおり♪は〜るばる来たぜ函館に到着。クンクンクン。北海道のにおいだ!


視察報告・13(2月27日のできごと)匠と世界遺産

2008年4月9日(水) くもり のち 晴れ

朝のうちはモワモワ〜ンと朝もやがかかっていたものの、昼前にはすっきりと晴れ渡った。
気持ちのいい青空を見るのは久しぶりのような気がする。

あまりに気持ちがいいので、ドライブがてら森林管理署に行った。
国有林に入るときは届出が必要なのだよ。

「雪解けでまだぬかるんでいますから、走行には気をつけてくださいね。あとゲートの鍵を開けたら必ず閉めてくださいね。…云々かんぬん」とご丁寧な注意を受ける。
任せておきなって!

おNEWの長靴も買ったし、おNEWのホイッスルも買った。
準備万端! さあ来い!
「何が?」
春。


2月27日(水)のできごと

寒い軽井沢を後にして群馬県に入る国道18号は2ルートある。
20kmくらい走ればまた1本化するのだが、要は碓氷峠をどう越えるかである。

地図を見ると、ややグニャグニャ道の中山道orかなりグニャグニャ道の碓氷バイパス、という選択。
時期が時期だけに、少しでもカーブが少なくなだらかそうな中山道コースを行くことにした。

結果的には、対向車がほとんどなく、日陰が多くて路面が凍結している下りカーブの連続。
山の中を走っているときの会話といえば、テーマはおのずと決まってくる。
「このあたり、ネギ=ギョウジャニンニクないべか?」「マイタケは?」「シイタケは?」。

どうせスピードも出せないのだ。思いっきりキョロキョロしながら走行していると…およっ!?
なんか、いいカンジの風景が目に飛び込んできた。が、車は急に停まれない。しばらく走りすぎた後、どちらからともなく「ちょっと戻ってみるかい?」ということになって、凍結した路上でUターン慣れていない人はやってはいけませんよ。たいへん危険ですから

国指定重要文化財 碓氷峠鉄道施設「碓氷第五橋梁」
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明治26年に群馬県の横川〜軽井沢が開通し、同45年には日本初の電化になったが、この碓氷峠は交通の要衝であり難所でもあったという。平成9年に廃線となるまでの間には、土砂崩れや脱線転落事故などで少なからず犠牲者が出たようだ。
アーチ径11m、高さ8.8m。

登れるところはすぐに登ってしまう習性がある<Kussharo Factory>のスタッフである。
当然、アーチ橋の上まで行ってみた。

山間を削って敷かれた鉄道であるから、こういった橋やトンネルは数多く存在したのであろう。

先に停車していた長野ナンバーの車の運転手は結構お年を召したおじいであった。
「あんたらは若いから上まで行けてええのう。ここはいい景色じゃろ。ワシは何回かここに来とるんだ。なんでもな、またこの鉄道を通そうという話が持ち上がっているらしいぞ」。

夏草や兵どもが夢のあと−。
しばし感慨にふけった後、お礼をいっておじいと別れる。

ちょっと下った場所に、めがね橋もあったのだが、「落書きをしないでください」という看板が悲しかった。
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上信越自動車道〜北関東自動車道〜東北自動車道をひた走り、宇都宮ICで降りて日光宇都宮道路へ。
いろは坂、明智平を経由して中禅寺湖に到着。

「(中禅寺湖)凍ってないなあ。もう解けちゃったのか」
「凍るんだ?」
「この間、テレビに映ってたもん」
それにしても、もンのすごい強風だ。軟弱な<Kussharo Factory>のスタッフはコーヒーを飲みながら湖を眺めることにする。
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「もう、湖の氷、解けちゃったんですかい?」
「????……中禅寺湖は凍らないですよ」
おいおい。どこの湖を見たんじゃ!

駐車場に車を停め、華厳の滝を見に行く。こちらは凍ってた。
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今回の視察中に見た和歌山県・那智の滝と今回は見る予定のない茨城県・袋田の滝とともに日本三大瀑布のひとつに数えられる。高さ97m。
「圧巻だねえ」
「熱燗? 飲みたい」
「…寒いもんな」

いろは坂を下り、世界文化遺産である東照宮、二荒山神社、輪王寺をサササッと見学。
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観光地として名を馳せているのに、「この時期でも開いている数少ない土産物店」(泣)をのぞいてみる。
日光といえば、軽井沢に彫り物を伝えた職人が活躍した日光彫りの本場である。
なので、日光木彫りの里工芸センターにも立ち寄ってみることにした。

1634年から36年にかけて、徳川家3代将軍家光が東照宮を造り替えた際に、全国から集められた名匠が「余技」として始めたのがきっかけだという。
浮き彫り、透かし彫りなど数種類の技法があるが、日光彫りの特徴はなんといってもヒッカキと呼ばれる独特の刀を用いることだそうだ。社殿修復の際に、掻き落としにくいところに塗られた漆を除去するために、先端を曲げて手前に引く道具が考えられた。それを改良したものがこのヒッカキ刀だという。三角刀と同じような使い方をするみたいだが、三角刀といえば普通は押しながら彫るのに対し、ヒッカキは手前に引っ張りながら彫る。
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少なくとも<Kussharo Factory>の彫り物担当は見たことがない道具であった。誕生秘話を知れば納得。

箪笥とか盆とかティッシュボックスとか実用品が中心。材は県の木でもあるトチやカツラが多いとのことであった。

江戸から明治の時代にかけて、手挽きロクロという道具を使ってお椀などを作った職人を木地師という。彼らの余技として作られ、広まったのが観賞用としてのミニチュア茶道具である。


材も違うし技法も違う。だからといってやってみたいかどうかというのはまた別の話だが、丹精込めて作られているモノを見るのは気持ちがいい。

次なる目的地へ向かうべく、再び東北自動車道を北上する。
途中、上河内SAで食した「きのこそば」に味わったことのないきのこが投入されていて、思わず店員さんに尋ねる。

「<ちたけ>って言うんですよ。この辺りではよく採れて食べられているものなんですけどね。ちょっとあのー、弾力がないのでボソボソするというか…。食べなれない方には…ねえ? ……でしたでしょ?」
こちらの表情を読み取りながら、適切な回答をくださったのであった。
ここには、松阪で毎朝あいさつを交わしたD○Doの自販機が。バリバリの関西弁であった。

夜9時過ぎ、杜の都・仙台に到着。
ジャ○コがあったので引力に逆らえず入店。なんと!フラットなまま斜面を動くエスカレーターが!

都会は違うのう。利用者にしかわからないかもしれんが、踵を付けたままだとアキレス腱が伸びていい刺激になる健康的な乗り物(?)であった。

外は大粒の雪が降っていた。
実はこのころ、屈斜路コタン(だけではなく釧路根室地方)は比較にならないくらい、たいへんな事態になっていたことなど知る由もなく。

視察報告・11(2月25日のできごと)匠の技を堪能

2008年4月4日(金) くもり ときどき 晴れ のち 雨

長年にわたり、点検を兼ねて地域住民に正午を知らせるために鳴っていたサイレンが中止になった。
スピーカー付近の町民から大音量すぎて子供の養育等の支障となっているという要望が寄せられたことによるらしい。

確かに。

かなり広範囲に聞こえるんだから相当の音量であることは理解できるんだけど、じゃあ鳴らす意味合いはどこへ行ったのだ?

時計って、見るときは見るけど見ないときはずーっと見ない(当たり前だが)…ような気がする。
とくに何か作業に集中しているときは、なおさら。
それが家事であれ遊びであれ仕事であれ育児であれ、だ。

正午に必ず昼食をとらなきゃいけないわけではもちろんないが、農家さんたちとか土木作業員の方たちはしっかり正午を守っている…ような気がする。
そういう人たちには必要だと思ったりするのだが!?

子供は昔から存在しているんである。
なんで今?
そもそもやめてほしいという要望はわかるが、続けてほしいという要望があったらどうなるんだべ?

スピーカーの場所を移すとかいう発想はないんだべか?


2月25日のできごと

<Kussharo Factory>の木彫り担当が制作した作品たちと久しぶりの再会を果たし、
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名残り惜しくも松阪を後にする。

さて−。どうするべか?
行き当たりばっ旅なので、なーんも決めていないのだが地図を広げてスタッフ会議を開いた結果、岐阜県関市に向かうことにした。

ちなみに関東と関西の境がこの関なんだそうだ。なるほど、だから東が「関東」で西が「関西」なのだな。えっ? 常識?

それはさておき、関市といえば刃物である。
<Kussharo Factory>の彫り物担当はいま、<makiri マキリ>小刀作りに凝っている。
「見たい!」
「いいね!」
「わん!」

伊勢自動車道〜東名阪自動車道を経由し、名神高速道路に入るつもりが入り損ねたので国道41号をひたすら北上する。
とりあえず関市にたどり着き、まずは腹ごしらえっちゅーことでのれんをくぐったラーメン店でテキトーに「刃物に関する博物館みたいなところありませんか?」と尋ねたら、すぐ近くにあった。

関鍛冶伝承館(大人1人200円)でまずは歴史の勉強じゃ。
http://www.sekikanko.jp/

今から700年前=鎌倉時代末期に九州から「刀祖・元重」が関に移り住み、初めてこの地で日本刀が作られたという。
一方、南北朝時代から室町時代初期に大和(奈良)越前(福井)から刀匠が美濃(関市の隣)に移住して始めたという説もあるそうだが。

「折れず曲がらずよく切れる」として、関の刀剣は「関(美濃)伝」と称され、大和、山城(京都)備前(岡山)相州(神奈川)とともに「五か伝」の一つとして知られる存在となった。戦国時代の最盛期、関には300人もの刀工がいたとされる。

…でもって、話し続けるとキリがないのでだいぶ端折るが、江戸時代になって世の中の平和とともに刀の需要は激減。
さらに明治9年に発布された廃刀令により刀鍛冶のほとんどが家庭用刃物の生産をする打刃物鍛冶へと転向。ポケットナイフをはじめスプーン、フォーク、ナイフといった金属洋食器や安全カミソリ、鎌などの農業用刃物へ活躍の場を広げた。

第1次世界大戦中は軍用刃物、戦後は爪切りやアウトドアナイフなどの生産も。それらの製品は国内のみならず世界各国に輸出され、関はドイツのゾーリンゲンと並ぶ世界の刃物産地に成長した−。ちゃんちゃん!

まずは日本刀から。刀装具って奥が深い。鍔ひとつとってもいろいろな図柄があって、そこからは時代やら流派やらさまざまな情報が読み取れるので、鑑定の際、大きな手がかりになるという。
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どうしても鹿角に目が行ってしまうんだな、これが。
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百徳ナイフって、仮にどんな種類のナイフが装備されているかわかったところで、どの位置に収納されているかまで覚えられるんだろか? あるナイフを出そうとしても最低10回近くは「あっ、違った」「あっ、違った」とかやっちまいそうだが。
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1時間近く滞在して満喫した。最後、パソコンによるクイズに挑戦。
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満足である。

帰り際、窓口にいた関市商業観光課のKさんは「ほかに刃物が見られる場所」を親切に教えてくれた。時間の関係で全部は見られなかったけど。

関の刃物直売所・協同組合岐阜県刃物会館
http://www.seki-japan.com/
包丁、はさみ、彫刻等、キッチンツールなど2000点を超える関の刃物がズラリ。

ナイフ博物館(大人1人500円)・ナイフ直売所
http://www.gsakai.co.jp/
カナダ風ログハウスの建物の中に世界約30か国の珍品、貴重なナイフが1500点ほど展示。600kgという世界一大きなロックナイフや刃の長さが2.2mもある折り込み式ナイフも。

世界のナイフ資料館・SETOカトラリー
http://www.setocut.co.jp/
資料館には各国の歴史的なナイフが、隣接する直売所SETOカトラリーには日本刀から鎧兜、西洋の剣まで。

世界のナイフショールーム 山秀
http://www.yamahide.com
世界各国のナイフ、キャンピング、フィッシングといったアウトドアシーンのナイフなども。

関市といえばもう一つ。忘れちゃならない円空さんがいらっしゃったんだけど、この日って月曜日だったのだ。
円空館は休み。残念!

これだけ見学していたら結構、いい時間になってしまった。
そろそろ本日の宿場を探さねば…。

再び地図とにらめっこした結果、「高山まで行くかあ」。
走った走った。3時間以上。途中、有名な温泉地である下呂を通過。下があれば上もあるってことで、当たり前っちゃー当たり前なのかも知れんが、上呂という地名看板を見てちょっと驚く。

夜9時過ぎ。高山市に到着。
まっすぐ「行きつけの」店へと向かう。

女手30年。店を切り盛りする名物女将のいる「京や」。
http://www.kyoya-hida.jp/
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2年ぶりの再会である。ママさんは相変わらず、豪快な笑顔で迎えてくれた。

飛騨牛の炭火焼きや地酒を堪能できる郷土料理のお店。
なのに、すみません。オーダーするのは朴葉味噌とかそばずしとか一品料理ばかりで。

閉店間際に押しかけた迷惑な客にも嫌な顔ひとつせず、手作りのおから料理まで振舞ってくれる。
「釧路に行ったことがある」という板前さんをはじめ、お店の従業員の方たちも入れ替わり立ち代わり仕事の手を休めて話し相手になってくれた。外は冷たい雪が降っていたけど、身も心もすごくあったかい気分に。
せめてものお礼にと、皆さんにお揃いで名前を彫った鹿角ストラップをプレゼントする。

高山に行くことがあったら「京や」にぜひ! 

視察報告・7(2月21日のできごと)あふれる音

2008年3月24日(月) 雨 ときどき みぞれ

ぽかぽか陽気が2、3日続いたと思ったら…。
出始めようとしていたネギがまた引っ込んだりしないべな。

話は変わるが。
最近の読書は児童モノに凝っている。
文章がしっかりしていて、なおかつわかりやすい表現なもんで。

いま読んでいるのは塩澤実信・著/北島新平・絵コンビによる「ものがたり北海道」(理論社)シリーズ。
残念ながら販売はほとんど終わってしまっているようだけど。

全10巻でいま、「1・悲しみのコタン 追いやられたアイヌ民族」「2・新しい大地よ 探検と冒険の時代」を読み終わったところ。
最上徳内と近藤重蔵と高田屋嘉兵衛と伊能忠敬と間宮林蔵とゴローニンと松浦武四郎らのつながりがわかった。
改めて、地図を作るってスゴいことですぜ。しかも自分の足で歩いて測量しながら、って。
もちろん、この方たちの実績は地図を作ったことだけに留まらないのだが、貧弱なボギャブラリーでは語り尽くせないもので(謝)。

で、合間合間に動物モノを読んで歴史でグルグルした頭の中を整理する、と。
「北の森にヒグマを追って ヒグマ研究にかけた情熱」(子ども科学図書館シリーズ)青井俊樹・著(大日本図書)

冬眠穴に入っていたヒグマをおびき出し麻酔で眠らせた後、からだの測定や歯のチェックをして発信器を取り付ける。
さらにハンターに間違って撃たれないよう体毛に黄色のペンキで縞模様をかいて穴に戻す。
春になって穴から出てくるのを心待ちにしていたが、他のヒグマが活動を始めても動きを見せないのでついに穴に近づいて確認することになった。
果たして−。
そこには冷たくなったヒグマがいた。

獣医師の見立てによると発信器を付けて穴に戻したその日のうちに死んでしまっていたという。
冬眠終了期でまだ体力が十分でなく心臓が弱っていた可能性があるところへ、興奮状態の中で麻酔薬を打つなどしたために気管支炎や肺充血、脳充血を起こしたのではないか、と。

ヒグマを守るためにはヒグマを知ることが大切なのであって、テレメトリー(追跡)調査はやらなければならない手段だ。
もちろん犠牲になるヒグマを出さないにこしたことはないのだが。

第80回のセンバツ高校野球ではヒグマもまだちょっと寝ぼけていたみたい。


2月21日(木)のできごと

知らない土地を散歩するのは<Kussharo Factory>の看板犬としても楽しみである。
ただし、住宅街だと用を足せるところが限られていて難儀することもあるにはあるが…。
あとは、「こーんな狭い道にも車が入ってくるんかい?」と驚いて端っこに寄って車が通り過ぎるのを待っていたら、寄った側の家の庭に放し飼いされていた大型犬に吠えられてビビッたとか。
ふう…。都会は刺激的である。

刺激的といえば、松阪で滞在していた場所のすぐ近くに大きな病院があった。
そこは救急車がひっきりなしに入っていくんである。
いや、入っていく瞬間を見ていたわけではないが、ぴーぽーぴーぽーという音が遠くの方からだんだん近づいてきて、そしてプツッと止まるから、たぶんそこの病院に搬送されてんだと想像した、ということだ。

屈斜路コタンにいて救急車の音が聞こえてきたら、そら、もう、一大事である。
聞こえたときからずーっと耳を澄ませ、遠のいたら「あー、美幌峠の方(屈斜路湖を挟んで対岸)に行ったねえ」とつぶやきながら一応、緊張の糸が切れる。

反対に、ますます近づいて来ようもんなら一気に緊張が高まる。
そして屈斜路コタンのエリア内に入って救急音(!?)が止まったら、たとえ真夜中だろうが<Kussharo Factory>のスタッフは音のした方に駆けつける。
一人暮らしの年寄りが自力で通報したか、はたまた高齢者夫婦の家だったら、と思うと落ち着いていられないんである。
ちなみに夏のシーズン中は夜中に酔っ払ってコタンの露天風呂に入った観光客がすべって転んだとか、そんなことも少なくない。
いずれにしても、屈斜路コタンに救急音が響き渡るなんざ年に数回のことだ。

最初のうちはビミョーながらも反応していた<Kussharo Factory>のスタッフ。
「たらい回しにされなくて良かったねえ」
「んだ、んだ」
「でも、わからんぞ。ここの病院が20軒目かもしれん」
「んだな」
「助かるといいけどねえ」
「助かるといいねえ」

しかし慣れとは恐ろしい。
「あっ、まただ」
「けっこう収容能力あるんだねえ」
…慣れたワケではないか。

刺激的な話をもう一つ。
散歩コースには、飲料用自動販売機が何か所もあったのである!

あのですね。
自動販売機っちゅーもんはあるのが当然と思っちゃあいけませんぜ。しかも歩いて行ける範囲内に!
そんな環境は恵まれている以外の何物でもない。

で、朝。
缶コーヒーでも買〜おうっと小銭を握り締めながら某メーカー・D○Doの前に立ったら、なにいっ!?
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自動販売機のクセしてポイントカードがあるっていうでねーの。
へえええええ。知らんかったなあ。やっぱ都会の自動販売機ってすごいんでしょ。
もしかしたら弟子屈町内にもあるのかもしれないけど、屈斜路コタンには少なくともD○Doの自動販売機はない。
おまけにコイツは自動販売機のクセして(クドい)しゃべるんである。しかも関西弁で。

「おはようさん」
へっ!? あっ、どうも。
「ほな、気イつけてえな」
あっ、ありがとうございます…などど受け答えこそせんかったが。
ポイントカードと関西弁がおもしろくて、結局その後、毎朝この自動販売機にまんまと立ち寄ってしまったのであった。
こういう消費者をメーカーサイドは「思うツボ」とか「カモ」と呼んでいるにちげーねえ

昼間は某所で某イベントの手伝いをしてからホームセンターに行って、さらに別のホームセンターに行って、ジャ○コに行って…。
誤解のないように書くが、松阪近辺にはホームセンターとかジャスコ以外の店舗だってあるのだが、どうも田舎から出てきた者が落ち着くといったら馴染みのあるところというか。
(わざわざ書くほどの言い訳ではないな)。

この日の夜からは、いよいよ一番大事な任務に向けての準備が始まったのである。
受験勉強みたいだ。
あっ、また救急車…。絶対音感を持っていなくて良かったなあ
犬の聴力は人間の6倍だったか?

スタッフ研修 in 網走

2008年3月4日(火) くもり ときどき 晴れ

「ただいま!」と視察から帰ってきたことをお知らせし、追い追い報告していきまーすと言っておきながら「ほ」の字も記さないまま、早○日…。
どうしても必要に迫られて釧路に行かねばならない、とか、今回の視察で知り合ったK氏からいただいた日本酒=三重県・元坂酒造の純米大吟醸「酒屋八兵衛」(山田錦全量使用!)を味わおう兼報告会を開かなければならなかったりと、なかなか落ち着かないのである。ちなみに元坂酒造の女将さんは酒の味と同じくお美しい。
http://gensaka.com/

ほんでもって、きょうは<Kussharo Factory>のスタッフ研修として、「流氷&道立北方民族博物館見学ツアー」が行われたし。

2週間あまりの視察では、それなりに勉強もしてきた。
その勢いがまだ続いているのと、ゆかいな仲間の一人つるこちゃんが「この前、(生まれてから)ウン十ウン年目にして初めて流氷を見て来たよ」と発した言葉でスイッチオン!

驚いちゃならんぞ。
生まれも育ちも北海道人っちゅー中には、「流氷?見たことなーい」「雪まつり?見たことないなあ」という人が少なくない。
<Kussharo Factory>の木彫り担当も生まれてからウン十ウン年、一度も流氷を見たことがないのであった。

「流氷、見に行く?」
「行く!」
見事な即答。
「せっかくだから民族博物館も見て来るべ」
「んだ、んだ」
「わん!」

くもっていた天気も、家を出るころには薄日がさしてきた。
久しぶりに<モコトヌプリ>藻琴山からの屈斜路湖を見た。
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オホーツク海に面している釧網本線の北浜駅は、流氷が見られる駅として有名である。
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ちょうどノロッコ号が停車していた。流氷が見られる時期限定で知床斜里−網走間をゆーっくり走る列車。ダルマストーブなんかも設置され、スルメを焼いて食べながら景色も味わいましょうってことである。
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ちょっと先頭車両を写そうと思ったら期せずして旅行者の列に紛れ込んでしまい、言われるがままにカメラを係員に渡してちゃっかり記念写真を撮ってもらってしまった。
カンペキな旅行者である。

今年は流氷がびっちり押し寄せたようで、見渡す限りの雪原状態である。
初めて見る者は満足したようだ。

流氷を堪能したあとは天都山(てんとざん)にある北海道立北方民族博物館へ。
http://hoppohm.org/
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ホームページ割引券をプリントアウトして握りしめていったので、入館料大人1人450円→400円。
ネーミングの通り、北方に暮らす諸民族の文化を紹介してくれる施設である。

エントランスでドーンとマンモスのお出迎えを受けつつ、常設展示場へと進む。
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アイヌも樹皮衣や獣皮衣、魚皮衣のほか、珍しい素材という意味では鳥皮衣なども見られる。が、ほかの北方民族が着たものとしてアザラシの腸製衣があるというのには驚いたというか感心したというか…。
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北欧スカンジナビア半島に住むサミ族はコーヒーミルを使っていたんだと。もちろんヨーロッパに住む人々との交易が始まってからのものだというが、コーヒーおよびコーヒー器具愛好者としては魅かれる一品である。
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ほ、欲しい…!

今月23日までの企画展は「森の人 ウデヘ〜ウスリー・タイガに暮らす」が行われている。
ウスリー・タイガとはロシア沿海地方に広がるトラやヒョウが生息している原生林のことで、この地に住む先住民がウデヘ族である。
今から100年ほど前、ウスリー・タイガ周辺を探検したロシア軍将校が体験を基に書いた本が「デルス・ウザーラ」である。日本では黒澤明監督の映画としてご存知の方もいらっしゃるのでは?

今回はハバロフスク在住の画家による水彩画を中心に、ウデヘの文化を垣間見ることができる。
いやいやいやいや、それにしてもこの鮮やかな衣装の美しさといったら!
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<Kussharo Factory>のなんちゃって刺繍担当はしばらく見とれていた。

コレクターとしては見逃せない一筆箋(2008年1月1日ブログ参照)300円と、今回の視察から収集を決めた缶バッジ(追い追い説明)150円をGETする。
08030412

帰りは美幌峠経由で帰宅。
08030411

−というわけで、視察報告はまた次回。

テーマ:北海道/道東 - ジャンル:地域情報

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