落ち着きを取り戻したコタン
2007年6月18日(月)どよ〜んとした曇りのち雨のち晴れ
めまぐるしく天気が変わる1日だった。
きのうはバッチリ晴れわたり、絶好の運動会日和。よかった。大運動会できましたよ。屈斜路の一大イベントが終わりましたよ。
きのうは朝5:55に目覚ましの音で起きて、6:00に花火の音を聞いて、テントを持って小学校へ行って、テントを張って、7:00過ぎには帰ってきて二度寝した。
このあたりの運動会はスゴい。
いろんな意味でスゴい。
もっともスゴいのはお昼の時間に披露される。そう、お弁当。
なんせ基本がオードブルである。運動会時期になると、地元のスーパーマーケットではオードブルの注文を承ってくれて、当日、会場まで届けてくれるという至れり尽くせり商法だ。もちろんぜーんぶ手作り、とか、一部手作りっておうちもあるけど。いずれにしても1日とはいえ延期されるとたいへんな事態に。
「このザンギ(タレに漬け込んで揚げる鶏肉)、しょっぱくないか?」
「あー、おとといから漬け込んでたからねえ」
みたいな。
で、エビやら卵焼きやらスイカやら何やらかにやら入ったオードブルのほかにオプションが付く。極めつけは甘納豆入り赤飯。当然、甘い赤飯である。小豆入りを食べなれた人間は、たぶん面食らう。(個人的に)聞いた結果を総合するに、同じ地域でも作る人と作らない人がいるということから、おそらく開拓で入って来たどこぞの地域の発祥なんでしょう。
自ら積極的に作らないけど、いただいたので食べました。ごちそうさまでした(拝)。
さあて。
屈斜路自治会のメンバーは農業か観光業に携わる家庭がほとんど。
いずれにしても繁忙期に突入だ!
…と、意気込んでみたものの、きょうは自治会の草刈りをした。午前中、短時間で終わったけど。
アイヌ・暮らしの民具
文・萱野茂 写真・清水武男
2005年7月25日 初版第1刷発行
株式会社 クレオ


のページをぱらぱらめくりつつ、<Kussharo Factory>彫り物担当は鹿角細工をせっせと、刺繍担当は<hos ホシ>脚絆をスローペースで制作中。

ホシのアイヌ文様デザインは、仲間のつるこちゃんが描いてくれた。彼女および彼女の作品に関しては、後日あらためて紹介するので、乞うご期待。
めまぐるしく天気が変わる1日だった。
きのうはバッチリ晴れわたり、絶好の運動会日和。よかった。大運動会できましたよ。屈斜路の一大イベントが終わりましたよ。
きのうは朝5:55に目覚ましの音で起きて、6:00に花火の音を聞いて、テントを持って小学校へ行って、テントを張って、7:00過ぎには帰ってきて二度寝した。
このあたりの運動会はスゴい。
いろんな意味でスゴい。
もっともスゴいのはお昼の時間に披露される。そう、お弁当。
なんせ基本がオードブルである。運動会時期になると、地元のスーパーマーケットではオードブルの注文を承ってくれて、当日、会場まで届けてくれるという至れり尽くせり商法だ。もちろんぜーんぶ手作り、とか、一部手作りっておうちもあるけど。いずれにしても1日とはいえ延期されるとたいへんな事態に。
「このザンギ(タレに漬け込んで揚げる鶏肉)、しょっぱくないか?」
「あー、おとといから漬け込んでたからねえ」
みたいな。
で、エビやら卵焼きやらスイカやら何やらかにやら入ったオードブルのほかにオプションが付く。極めつけは甘納豆入り赤飯。当然、甘い赤飯である。小豆入りを食べなれた人間は、たぶん面食らう。(個人的に)聞いた結果を総合するに、同じ地域でも作る人と作らない人がいるということから、おそらく開拓で入って来たどこぞの地域の発祥なんでしょう。
自ら積極的に作らないけど、いただいたので食べました。ごちそうさまでした(拝)。
さあて。
屈斜路自治会のメンバーは農業か観光業に携わる家庭がほとんど。
いずれにしても繁忙期に突入だ!
…と、意気込んでみたものの、きょうは自治会の草刈りをした。午前中、短時間で終わったけど。
アイヌ・暮らしの民具
文・萱野茂 写真・清水武男
2005年7月25日 初版第1刷発行
株式会社 クレオ

のページをぱらぱらめくりつつ、<Kussharo Factory>彫り物担当は鹿角細工をせっせと、刺繍担当は<hos ホシ>脚絆をスローペースで制作中。

ホシのアイヌ文様デザインは、仲間のつるこちゃんが描いてくれた。彼女および彼女の作品に関しては、後日あらためて紹介するので、乞うご期待。
旭山もいいけど屈斜路もね!?
2007年5月31日(木) どよーんとした曇り
5月も今日で終わるっちゅうのに、なんだね、この寒さは。
某公共放送の夕方のお天気コーナーでは弟子屈町の最高気温を11℃くらいに言っていたけど、屈斜路コタンにおける体感温度は5℃くらいじゃ。
観光客の皆さまも少ないので、よけい寒さが身にしみて…。うえーん(泣)
釧路支庁がまとめた2006年度の釧路管内観光客数が公表された。
前年より13万2000人減の676万2000人。02年度から5年連続の減少だとか。要因として考えられるのは台風、低温などの天候不良、世界自然遺産・知床観光の波及効果が薄らいだこと、そして何よりも旭川にある旭山動物園人気。
1日前に発表された根室管内も前年度比減。こちらも旭山動物園とセットのツアーを組める知床以外は苦戦を強いられた結果。もろ、あおりを受けてます。
間違いなく、旭山ZOOさまの一人勝ちです。太刀打ちできまへん。
うらやまひい。
そりゃあ、わかる。行きたいなあ。旭山ZOO。
今じゃもう、すごい人の数みたいですぜ。上野動物園にパンダが来たときみたいに。そう、あのランランとカンカン…って年代がバレるな。
屈斜路湖も含めた摩周湖、阿寒湖を抱える阿寒国立公園もすごおくイイところなんですぞ。
大混雑で湖が見えないってことは絶対に無いし。
はあああ(←ため息)。
屈斜路コタンでも、なにか動物を飼わなきゃダメかいな。
天気が悪いと考えも後ろ向き。これじゃ、いかん。本でも読もうっと。
弟子屈の温泉地をモデルとして、専門的に分析&解説&今後の提案をしてくれているありがたい本がコレ。
釧路内陸部の地域形成と観光マーケティング
光武 幸・小内純子・湯川郁子/著
2007年3月15日 第1版第1刷発行 創風社 2400円+税


なんと松浦武四郎の「久摺日誌」に沿って弟子屈や屈斜路湖畔の歴史までも紹介してくれている。
観光資源としては文句のつけようもないくらい恵まれているという心強いお墨付きをくださって。
あとは観光地の能力を高める=新しい魅力作りをすること。
今ある観光資源を、新しい魅力あるものに生まれ変わらせること。
そのためには観光地自らが自分たちの魅力を知り、その魅力を維持し、伝えることに頭を悩ませること。
地域住民、企業、自治体の連携こそが最も重要なことである、と教えてくれている。
屈斜路コタンも一緒に何かができそうな仲間たちが増えてきたもんな。
あとは自分たちでなんとかせにゃあ。
…どこぞの県知事みたいだな
5月も今日で終わるっちゅうのに、なんだね、この寒さは。
某公共放送の夕方のお天気コーナーでは弟子屈町の最高気温を11℃くらいに言っていたけど、屈斜路コタンにおける体感温度は5℃くらいじゃ。
観光客の皆さまも少ないので、よけい寒さが身にしみて…。うえーん(泣)
釧路支庁がまとめた2006年度の釧路管内観光客数が公表された。
前年より13万2000人減の676万2000人。02年度から5年連続の減少だとか。要因として考えられるのは台風、低温などの天候不良、世界自然遺産・知床観光の波及効果が薄らいだこと、そして何よりも旭川にある旭山動物園人気。
1日前に発表された根室管内も前年度比減。こちらも旭山動物園とセットのツアーを組める知床以外は苦戦を強いられた結果。もろ、あおりを受けてます。
間違いなく、旭山ZOOさまの一人勝ちです。太刀打ちできまへん。
うらやまひい。
そりゃあ、わかる。行きたいなあ。旭山ZOO。
今じゃもう、すごい人の数みたいですぜ。上野動物園にパンダが来たときみたいに。そう、あのランランとカンカン…って年代がバレるな。
屈斜路湖も含めた摩周湖、阿寒湖を抱える阿寒国立公園もすごおくイイところなんですぞ。
大混雑で湖が見えないってことは絶対に無いし。
はあああ(←ため息)。
屈斜路コタンでも、なにか動物を飼わなきゃダメかいな。
天気が悪いと考えも後ろ向き。これじゃ、いかん。本でも読もうっと。
弟子屈の温泉地をモデルとして、専門的に分析&解説&今後の提案をしてくれているありがたい本がコレ。
釧路内陸部の地域形成と観光マーケティング
光武 幸・小内純子・湯川郁子/著
2007年3月15日 第1版第1刷発行 創風社 2400円+税

なんと松浦武四郎の「久摺日誌」に沿って弟子屈や屈斜路湖畔の歴史までも紹介してくれている。
観光資源としては文句のつけようもないくらい恵まれているという心強いお墨付きをくださって。
あとは観光地の能力を高める=新しい魅力作りをすること。
今ある観光資源を、新しい魅力あるものに生まれ変わらせること。
そのためには観光地自らが自分たちの魅力を知り、その魅力を維持し、伝えることに頭を悩ませること。
地域住民、企業、自治体の連携こそが最も重要なことである、と教えてくれている。
屈斜路コタンも一緒に何かができそうな仲間たちが増えてきたもんな。
あとは自分たちでなんとかせにゃあ。
…どこぞの県知事みたいだな
フチが書いた「わたしのコタン」
2007年5月30日(水) 晴れのち雨
朝、某公共放送のお天気コーナーで。
“次の日曜日の好天に向け、太陽は充電(=くもりや雨のこと)します”というコメントを耳にして、思わず「なるほど」。
最近、屈斜路コタンでは太陽の充電が多いな。
<kito キト>ギョウジャニンニクもそろそろ終わりかあ。
今日は(今日も?)<komni-karus コムニ・カルシ>シイタケをみーつけた。今年は当たり年かも♪
中には軸が途中から分かれた双子のシイタケもあったりして。香りマツタケ味シメジって言うけど、天然のシイタケだって、これがなかなかの香りですぞ。

「春のキノコは虫がつく」とかで干せないらしい。なのでクッキングペーパーで汚れを拭き取って冷凍する。
軟弱というなかれ、一番お手軽なのだ。
昼前からポツポツ雨が降り出す。
雨が降ったら…本でも読むかあ。
わたしのコタン
弟子シギ子/著
平成13年8月1日発行
1500円+税

現在は阿寒湖温泉に住み民芸品店を経営するシギ子おばさんが、生まれ育った屈斜路コタンについて記した本。昭和10年〜16年ごろの出来事が綴られている。
昭和16年12月8日。太平洋戦争が始まったその日、屈斜路コタンではイオマンテ(熊祭り)が行われたこと。
冬は凍った湖上を歩いて学校へ通ったこと。
白鳥が騒ぎ出すと急いで薪を家の中に運び込み、いつもより多く水を汲んだこと。それは<フチ>(おばあさん)から「白鳥は空高く飛んでいるから天の神や風の神、山の神から天気が悪くなることを聞き、それを人間に伝えてくれる=騒いで教えてくれるんだよ」と教わったから。
三月の末頃、ほんのりと甘いイタヤの樹液を採るのが楽しみだったこと。
親たちの年代はアイヌ語を使っていたのかもしれないが、子供の前では決してアイヌ語を使わなかったこと。
フチ達はアイヌ語を話すのは周りに誰もいない湖の上が一番だったらしいこと。
昨日交わしたばかりのような細かい会話が記されていて、日常のほんの一コマの中に季節感やアイヌとしての生活のようすが生き生きと語られている、屈斜路コタンにとって貴重な記録であり、大切な一冊だ。
−アイヌ語を教えてと頼んでも「学校の勉強をして手紙を書ける様なえらい人になりなさい」と言って、ぜったいに教えてくれなかった祖父母たち。日本語はたどたどしく話せても、日本字を読めず書けなかったため、悔しく悲しい思いをたくさんした事でしょう。
自分達民族の言葉を捨て、アイヌの習慣も捨て、住んで居た土地も追われ、「シサム=日本人」に恨みがあるはずなのに自分達の子孫を少しでも「シサム」に近づけようと決心するまでには、今の私達では想像を絶する事があったと思います。現に私が十代の後半に、アイヌの何処が悪いか、と言って喧嘩したら、そこに居たじいさんが「おい、そこのメノコ良く聞けよ、この北海道ではアイヌの一人や二人を殺しても罪にはならないんだぞ」とおどされた事がありました。昭和の二十年代にもこんなシサムが居たと言う事は、明治、大正時代はどんなだったかと思う。アイヌの先祖が自分達を捨て、子孫の盾になって守ってきてくれたのですね。
学校の先生でもなく大臣でもなく、手紙の書ける「えらい人」、この言葉には「ジーン」とくるものがあります−
(本文より)
時を超え、民族を超え、言語を超え、文化を超え、国籍を超え、語り継いでいかなければならないことがある。
朝、某公共放送のお天気コーナーで。
“次の日曜日の好天に向け、太陽は充電(=くもりや雨のこと)します”というコメントを耳にして、思わず「なるほど」。
最近、屈斜路コタンでは太陽の充電が多いな。
<kito キト>ギョウジャニンニクもそろそろ終わりかあ。
今日は(今日も?)<komni-karus コムニ・カルシ>シイタケをみーつけた。今年は当たり年かも♪
中には軸が途中から分かれた双子のシイタケもあったりして。香りマツタケ味シメジって言うけど、天然のシイタケだって、これがなかなかの香りですぞ。

「春のキノコは虫がつく」とかで干せないらしい。なのでクッキングペーパーで汚れを拭き取って冷凍する。
軟弱というなかれ、一番お手軽なのだ。
昼前からポツポツ雨が降り出す。
雨が降ったら…本でも読むかあ。
わたしのコタン
弟子シギ子/著
平成13年8月1日発行
1500円+税

現在は阿寒湖温泉に住み民芸品店を経営するシギ子おばさんが、生まれ育った屈斜路コタンについて記した本。昭和10年〜16年ごろの出来事が綴られている。
昭和16年12月8日。太平洋戦争が始まったその日、屈斜路コタンではイオマンテ(熊祭り)が行われたこと。
冬は凍った湖上を歩いて学校へ通ったこと。
白鳥が騒ぎ出すと急いで薪を家の中に運び込み、いつもより多く水を汲んだこと。それは<フチ>(おばあさん)から「白鳥は空高く飛んでいるから天の神や風の神、山の神から天気が悪くなることを聞き、それを人間に伝えてくれる=騒いで教えてくれるんだよ」と教わったから。
三月の末頃、ほんのりと甘いイタヤの樹液を採るのが楽しみだったこと。
親たちの年代はアイヌ語を使っていたのかもしれないが、子供の前では決してアイヌ語を使わなかったこと。
フチ達はアイヌ語を話すのは周りに誰もいない湖の上が一番だったらしいこと。
昨日交わしたばかりのような細かい会話が記されていて、日常のほんの一コマの中に季節感やアイヌとしての生活のようすが生き生きと語られている、屈斜路コタンにとって貴重な記録であり、大切な一冊だ。
−アイヌ語を教えてと頼んでも「学校の勉強をして手紙を書ける様なえらい人になりなさい」と言って、ぜったいに教えてくれなかった祖父母たち。日本語はたどたどしく話せても、日本字を読めず書けなかったため、悔しく悲しい思いをたくさんした事でしょう。
自分達民族の言葉を捨て、アイヌの習慣も捨て、住んで居た土地も追われ、「シサム=日本人」に恨みがあるはずなのに自分達の子孫を少しでも「シサム」に近づけようと決心するまでには、今の私達では想像を絶する事があったと思います。現に私が十代の後半に、アイヌの何処が悪いか、と言って喧嘩したら、そこに居たじいさんが「おい、そこのメノコ良く聞けよ、この北海道ではアイヌの一人や二人を殺しても罪にはならないんだぞ」とおどされた事がありました。昭和の二十年代にもこんなシサムが居たと言う事は、明治、大正時代はどんなだったかと思う。アイヌの先祖が自分達を捨て、子孫の盾になって守ってきてくれたのですね。
学校の先生でもなく大臣でもなく、手紙の書ける「えらい人」、この言葉には「ジーン」とくるものがあります−
(本文より)
時を超え、民族を超え、言語を超え、文化を超え、国籍を超え、語り継いでいかなければならないことがある。
屈斜路コタンが最初に載った文献は
2007年5月18日(金) 雨
雨が降ったら家の中で本を読む−。晴耕雨読。憧れの生活だなあ。余裕がなきゃできないぜ、と思いきや、雨が降って(山へ行けないから)店を開けたらお客様もいらっしゃらなかったので読書できちゃった。…あれ?
今回は、ここ屈斜路コタンが初めて載ったとされる文献の紹介です。
久摺(くすり)日誌 松浦武四郎著
1858(安政5)年、山川地理取調のため3月23日から4月16日の間、釧路を発着した紀行文。4月10日に屈斜路湖を訪れたそうです。現在のコタンから湖を見て述べたと思われる感想を書き記しています。曰く、
「湖水に枕て家居し、風景云ん方なし」
絶景を賞賛してくださったのですな。
えっと、現物はもちろん手元にありません。古書店を探せば複製本(?)が見つかるかもしれませんが。
アイヌは文字を持たない民族でした。すべては耳で聞き、口頭で伝え続けてきました。
現在、最も身近に接するアイヌ語は地名でしょう。とくに北海道において8割近くがアイヌ語に基づくといわれています。
もともとはすべてがアイヌ語でした。そりゃあそうです、この地はアイヌが先住していたのですから。それを和人(=アイヌ以外の日本人)が耳で聞いてなんとか文字化したのですが、しょせん音の構造が違う言葉なのでムリが生じますわな。さらにそれを漢字に当てはめようとしたもんだから、結果、道産子でも読めない地名が多々出来上がってしまったわけなんです。わが町・弟子屈も読み方の難しい部類に入ります。ちなみに「てしかが」と読みますが、説としては<テシカ・ガ>(岩盤の・上)とされています。釧路川、鐺別川に挟まれたこの地は魚のたまり場でもあり、アイヌはなんとかしてこの魚を獲りたいと網をかけたけど盤が多く、杭を打ち込むことができないと嘆いたとか。
屈斜路は、(屈斜路)湖が(釧路)川に流れ出すところから、喉口を意味する<クッチャロ>が語源と伝えられています。
アイヌの地名は地形によって呼び、付けられたものがほとんど。故に似た音の地名が道内の何箇所かに点在することとなり、それらは共通した地形になっています。
動物や植物を人間同様とみなしたように、山も川も湖もアイヌにとっては生き物だったので、擬人化した名も多くみられます。<クッチャロ>もその一つ、ということ。
当時、蝦夷地と称されたこの北の大地を自らの足で歩き、アイヌと膝を突き合わせて話し合い、心許しあい、詳細な記録を残した人物が、幕末の探検家で三重県八雲町(現松阪市)出身の松浦武四郎です…って、言葉でいうとサラリとしちゃうが、ハンパじゃない詳細さなんですぞ、これが。この近辺の記録を見ただけでも、山の中の谷という谷、沢という沢、一本一本すべてが地図とともに残されているのです。もう、驚きを通り越す所業。武四郎の前に、海岸線は測量・記録されていたそうですが、内陸部を調査したのは武四郎が初めてということです。はあああ。書いているだけでもため息出ちゃう。
北海道という名は武四郎が幕府に上申した案のうちの一つ、「北加伊道」からとったもの。彼が北海道の名付け親といわれる所以です。この「加伊」もアイヌ語の<カイナー>から引用した音。アイヌが自分たちを称する言葉で「この国に生まれた者」という意味を持っていました。武四郎がいかにアイヌの人権を尊重していたかがわかるエピソードでもあります。
アイヌが和人から受けていた非道な仕打ちを文章にして世に知らしめてくれたのも武四郎です。
道内には武四郎に関する歌碑や顕彰碑などがたくさんあります。それらを探し歩くのも旅の楽しみになるんじゃないかな。
きょうの北海道新聞−。
三重県松阪市にある松浦武四郎記念館で、北海道新聞社が贈ったエゾヤマザクラの苗木三本の植樹が行われたという記事が。道外に苗木を贈るのは初めてとのこと。武四郎は満開のエゾヤマザクラに雪が降る情景を歌に詠んでいたということで、「無事に成長して花を咲かせてほしい」と同館館長は没後120年近くたって届いたゆかりの品に感慨深げだったそうです。
<松浦武四郎記念館>http://www.city.matsusaka.mie.jp/bunka/shisetsu/take_mu/take_kinenkan.html
松浦武四郎が訪れてから149年目となる屈斜路コタンの桜の開花も、もうすぐ−。
雨が降ったら家の中で本を読む−。晴耕雨読。憧れの生活だなあ。余裕がなきゃできないぜ、と思いきや、雨が降って(山へ行けないから)店を開けたらお客様もいらっしゃらなかったので読書できちゃった。…あれ?
今回は、ここ屈斜路コタンが初めて載ったとされる文献の紹介です。
久摺(くすり)日誌 松浦武四郎著
1858(安政5)年、山川地理取調のため3月23日から4月16日の間、釧路を発着した紀行文。4月10日に屈斜路湖を訪れたそうです。現在のコタンから湖を見て述べたと思われる感想を書き記しています。曰く、
「湖水に枕て家居し、風景云ん方なし」
絶景を賞賛してくださったのですな。
えっと、現物はもちろん手元にありません。古書店を探せば複製本(?)が見つかるかもしれませんが。
アイヌは文字を持たない民族でした。すべては耳で聞き、口頭で伝え続けてきました。
現在、最も身近に接するアイヌ語は地名でしょう。とくに北海道において8割近くがアイヌ語に基づくといわれています。
もともとはすべてがアイヌ語でした。そりゃあそうです、この地はアイヌが先住していたのですから。それを和人(=アイヌ以外の日本人)が耳で聞いてなんとか文字化したのですが、しょせん音の構造が違う言葉なのでムリが生じますわな。さらにそれを漢字に当てはめようとしたもんだから、結果、道産子でも読めない地名が多々出来上がってしまったわけなんです。わが町・弟子屈も読み方の難しい部類に入ります。ちなみに「てしかが」と読みますが、説としては<テシカ・ガ>(岩盤の・上)とされています。釧路川、鐺別川に挟まれたこの地は魚のたまり場でもあり、アイヌはなんとかしてこの魚を獲りたいと網をかけたけど盤が多く、杭を打ち込むことができないと嘆いたとか。
屈斜路は、(屈斜路)湖が(釧路)川に流れ出すところから、喉口を意味する<クッチャロ>が語源と伝えられています。
アイヌの地名は地形によって呼び、付けられたものがほとんど。故に似た音の地名が道内の何箇所かに点在することとなり、それらは共通した地形になっています。
動物や植物を人間同様とみなしたように、山も川も湖もアイヌにとっては生き物だったので、擬人化した名も多くみられます。<クッチャロ>もその一つ、ということ。
当時、蝦夷地と称されたこの北の大地を自らの足で歩き、アイヌと膝を突き合わせて話し合い、心許しあい、詳細な記録を残した人物が、幕末の探検家で三重県八雲町(現松阪市)出身の松浦武四郎です…って、言葉でいうとサラリとしちゃうが、ハンパじゃない詳細さなんですぞ、これが。この近辺の記録を見ただけでも、山の中の谷という谷、沢という沢、一本一本すべてが地図とともに残されているのです。もう、驚きを通り越す所業。武四郎の前に、海岸線は測量・記録されていたそうですが、内陸部を調査したのは武四郎が初めてということです。はあああ。書いているだけでもため息出ちゃう。
北海道という名は武四郎が幕府に上申した案のうちの一つ、「北加伊道」からとったもの。彼が北海道の名付け親といわれる所以です。この「加伊」もアイヌ語の<カイナー>から引用した音。アイヌが自分たちを称する言葉で「この国に生まれた者」という意味を持っていました。武四郎がいかにアイヌの人権を尊重していたかがわかるエピソードでもあります。
アイヌが和人から受けていた非道な仕打ちを文章にして世に知らしめてくれたのも武四郎です。
道内には武四郎に関する歌碑や顕彰碑などがたくさんあります。それらを探し歩くのも旅の楽しみになるんじゃないかな。
きょうの北海道新聞−。
三重県松阪市にある松浦武四郎記念館で、北海道新聞社が贈ったエゾヤマザクラの苗木三本の植樹が行われたという記事が。道外に苗木を贈るのは初めてとのこと。武四郎は満開のエゾヤマザクラに雪が降る情景を歌に詠んでいたということで、「無事に成長して花を咲かせてほしい」と同館館長は没後120年近くたって届いたゆかりの品に感慨深げだったそうです。
<松浦武四郎記念館>http://www.city.matsusaka.mie.jp/bunka/shisetsu/take_mu/take_kinenkan.html
松浦武四郎が訪れてから149年目となる屈斜路コタンの桜の開花も、もうすぐ−。
貴重な記録を掲載した本
2007年5月11日(金) どーんよりした曇り
昨晩は10:00くらいから雷ゴロゴロ、雨ザーザー。
そういえば雨の音を聞きながら眠るのは久しぶりだな。ここじゃあ、降るっていったらほとんど雪だもんね。音なんてしない。
少なくとも半年以上ぶり。
たまにはいいもんだ。
…で。一夜明けても空はどーんより、風はびゅうんびゅうん。
昨日とか一昨日は気温が18℃くらいになっていたみたいだけど、きょうは5℃ほど。さむうううい。
こりゃ、本日の山行きはダメだな。店開けようか…と思いきや、お客さまもいらっしゃらなかった(?)ので買い物に行ってしまいました。
いいんだろうか、こんなんで…。
屈斜路コタンのようすを記した本のご紹介です。
シマフクロウ FISH-OWL 神鳥・コタンコルカムイ
更科源蔵、石井英二、近藤英司、桜井淳史、永田洋平/著
1984年5月2日初版第1刷発行 平凡社 A4変形112P
税込価格 ¥4095
屈斜路コタンの小学校の教壇にも立ったことのある更科氏が道内各地のフクロウ送りの伝承を記し、野鳥観察をライフワークとする近藤氏が根室の原生林に暮らすシマフクロウ親子の観察日記を綴り、動物写真家の石井氏がダイナミックに魚狩りをするシマフクロウの姿をとらえた写真を発表。
そして、桜井氏の写真、永田氏の文により、1983年(昭和58)11月に屈斜路湖畔で75年ぶりに行われた<コタンコロカムイ・イオマンテ>(コタンは村、カムイは神=シマフクロウ、イは物、オマンテは送る、という意味)が詳細に報告されています。
狩猟民族であったアイヌにとって、自然はすべて<カムイ>であり、獲った獣や魚、鳥などの霊は天上の神に返さなければならないとされていた−。村の守り神として<コタンコルカムイ><モシリコロカムイ>として最も崇められていたシマフクロウも厳粛な儀式によって天上に霊を送られていたわけです。
文中にも書かれていますが、75年ぶりということは、最長老たちでさえ幼い子供だったころの記憶をなんとか思い出して再現させたわけで。
独自の言語であるアイヌ語の使用を禁止され、儀式などの伝統や文化、生活様式一切を失った時間はあまりにも大きすぎますが、このような形ではあっても記録として残っているのはありがたいと思うのです。心から。

昨晩は10:00くらいから雷ゴロゴロ、雨ザーザー。
そういえば雨の音を聞きながら眠るのは久しぶりだな。ここじゃあ、降るっていったらほとんど雪だもんね。音なんてしない。
少なくとも半年以上ぶり。
たまにはいいもんだ。
…で。一夜明けても空はどーんより、風はびゅうんびゅうん。
昨日とか一昨日は気温が18℃くらいになっていたみたいだけど、きょうは5℃ほど。さむうううい。
こりゃ、本日の山行きはダメだな。店開けようか…と思いきや、お客さまもいらっしゃらなかった(?)ので買い物に行ってしまいました。
いいんだろうか、こんなんで…。
屈斜路コタンのようすを記した本のご紹介です。
シマフクロウ FISH-OWL 神鳥・コタンコルカムイ
更科源蔵、石井英二、近藤英司、桜井淳史、永田洋平/著
1984年5月2日初版第1刷発行 平凡社 A4変形112P
税込価格 ¥4095
屈斜路コタンの小学校の教壇にも立ったことのある更科氏が道内各地のフクロウ送りの伝承を記し、野鳥観察をライフワークとする近藤氏が根室の原生林に暮らすシマフクロウ親子の観察日記を綴り、動物写真家の石井氏がダイナミックに魚狩りをするシマフクロウの姿をとらえた写真を発表。
そして、桜井氏の写真、永田氏の文により、1983年(昭和58)11月に屈斜路湖畔で75年ぶりに行われた<コタンコロカムイ・イオマンテ>(コタンは村、カムイは神=シマフクロウ、イは物、オマンテは送る、という意味)が詳細に報告されています。
狩猟民族であったアイヌにとって、自然はすべて<カムイ>であり、獲った獣や魚、鳥などの霊は天上の神に返さなければならないとされていた−。村の守り神として<コタンコルカムイ><モシリコロカムイ>として最も崇められていたシマフクロウも厳粛な儀式によって天上に霊を送られていたわけです。
文中にも書かれていますが、75年ぶりということは、最長老たちでさえ幼い子供だったころの記憶をなんとか思い出して再現させたわけで。
独自の言語であるアイヌ語の使用を禁止され、儀式などの伝統や文化、生活様式一切を失った時間はあまりにも大きすぎますが、このような形ではあっても記録として残っているのはありがたいと思うのです。心から。




